第309話 白い閃光

しばらくすると病室担当の看護師さんが戻り、山葉さんから莉咲を預かり保育器に戻すことになった。

僕は、山葉さんが抱えた莉咲の小さな手に指を伸ばしてみた。

莉咲の手は人形の手のように小さいが、ちゃんと5本の指があり、指には桜色の爪が付いている。

当たり前のことかもしれないが、僕は生命の神秘を見たように感動していた。

莉咲の手のひらにそっと指を乗せると、五本の指はキュッと僕の指を掴む。

「山葉さん、莉佐が僕の指を握ってくれましたよ」

僕は、莉咲が父と認識しているのではないかと思って、声高に山葉さんに報告したが、彼女はクスクスと笑いながら僕に教えた。

「それは把握反射と言って赤ちゃんが皆示す反応だよ。でも、私も最初にやってみた時はすごくうれしかったよ」

僕は、特別な出来事が起きているように思った自分が気恥ずかしくなった。

山葉さんは莉咲を看護師さんに預けると名残惜しそうに呼びかけた。

「莉咲ちゃん、よく眠るんでちゅよ」

莉咲は既に気持ちよさそうに眠っている。

山葉さんは莉咲を抱えて連れていく看護師さんを見送ると、ゆっくりと背伸びをした。

「看護師さんが言うには、今の私は産褥期と言って体を回復させる大事な時期だから、横になって体を休めるのが仕事みたいなものだそうだ」

彼女は言葉通りに、ベッドに横たわって見せる。

「あら、意外と素直に病院のスタッフの言うことを聞くのね」

裕子さんが感心したようにつぶやき僕も裕子さんと同様に少し意外に感じた。

いつもの山葉さんなら、「もう平気だ」と言って普段のように活動しそうだが、彼女も出産で消耗した自分の体が休養を求めていると感じるのだろう。

山葉さんがスヤスヤと眠り始めたので、僕と裕子さんは病室の丸椅子に座って彼女の寝顔を見守った。

「やっぱり、体にこたえるのですよね」

僕が独り言のようにつぶやくと、裕子さんは娘の顔を見ながらしみじみと言う。

「少なくとも二週間くらいは無理をしてはいけないと昔から言われていたわ。私がこの子を産んだのがついこの間のような気がするのにちゃんと母親になったのね」

僕と裕子さんはそれぞれに物思いにふけりながら、静かな時間を過ごした。

しばらくして、僕のスマホの着信音が鳴った。

それはSNSのダイレクトメッセージに相当するサービスの着信で、沼さんからだった。

裕子さんは無言だが内容を知りたそうなそぶりでこちらを見ているので、僕はメッセージの内容を伝えた。

「カフェのアルバイトをしてくれている大学の後輩からです。カフェのスタッフを代表してお見舞いに来てくれるそうです」

「あらそう、どれくらいでここに来るのかしら」

僕は到着予定時刻まで聞いていなかったので、口ごもった。

「聞いてなかったです」

仕方なく裕子さんに告げると、彼女はくすくすと笑うと僕に言う。

「あら、聞いてなかったからって別に気にしなくてもいいのに。ほんに婿殿は生真面目ですね」

裕子さんは相変わらず、菅井さんモードの緩い雰囲気で僕に告げる。

僕は別に婿養子になったわけではないが、彼女はお嫁さんの相手はお婿さん程度の認識で使っているのかもしれない。

「カフェから歩いてきたとしても三十分くらいで到着するはずです。おそらくお店でスタッフのみんなと会ってからこちらに向かっていると思います」

裕子さんが納得した表情でうなずいた時、僕たちの目にフラッシュのような白い光が飛び込んで来た。

白い光は一度ではなく二度三度とひらめき、目がくらみそうだ。

しかも、僕たちの目に入ったのは直接届いた光ではなく、廊下の壁に反射したものが、目の中に差し込んだと感じられた。

「今のは一体何かしらね」

裕子さんが眼をこすりながら訝しげにつぶやくので、僕は丸椅子から立ち上がった。

「僕が様子を見てきます。ここでお待ちください」

僕は足早に廊下に向かった。

もしも白い光が漏電のスパークの光で、どこかで火災が発生しているとしたら一刻も早く山葉さんや莉咲を非難させなければならないと思ったからだ。

しかし、廊下で鉢合わせしたのは火災の発生現場ではなく、沼さんだった。

沼さんはいつも首に下げている銀の十字架を片手にかざし、激しい運動をした後のように肩で息をしている。

「沼さん、やけに早く来たね。一体どうしたんだ」

僕が声をかけると、彼女は浅い呼吸をしながら僕に答えた。

「下のロビーから連絡したんです。それより、今この廊下で女の人の霊を見かけたのです。山葉さんや、赤ちゃんが入院している病院なので、即除霊してやろうと思ったのですが、取り逃がしてしまいました」

どうやら先ほどの白い光の正体は、沼さんが自身の信じるキリスト教の除霊術を行った時の閃光だったらしい。

「多分その霊は僕も見かけたやつだ。小さな花柄のパジャマにカーディガンを羽織った女性だったのではないかな」

僕の問いかけに沼さんは眼を見開いた。

「ウッチーさんも見かけたのですか。でもそれならばなぜ野放しにしているのですか。新生児などは無垢であるゆえに取りつかれやすいと言われているのに」

不満そうな表情の彼女に、僕は何故か言い訳のように説明しなければならなかった。

「僕も一度だけ見て、その時に言葉を交わしただけだ。詳しい話を聞こうと思ったら消えてしまったので、正体は不明なままだ」

「そうだったのですね。それに今、山葉さんはあまり体を動かしてはいけないはず。やはり私がお見舞い役で来て良かったのかもしれません」

相変わらず沼さんは死霊の類は急いで除霊しなければならないと考えている。

かつて僕は、彼女の除霊の光から霊をかばおうとして、正面から浴びてしまったことが有るが、かろうじて一命をとりとめた。

それ以後、沼さんは除霊について慎重になっていたが、新生児が沢山いる病院ということで、何が何でも除霊しようと頑張ったらしい。

「ありがとう。でも、あの女性は何か訳ありな感じがするから、慎重に浄霊したいと思っている」

沼さんは呼吸を整えながら小首をかしげた。

「慎重にと言っても相手は死霊ですよ。何を根拠に訳ありなどと評価されているのですか」

僕は、自分が見た印象から考えていることを沼さんに説明することにした。

「その人は、自分が死んだことを意識していないと思われるんだ。自分の出産が終わったのにまだ赤ちゃんに合わせてもらっていないという内容のことを僕に話していた」

沼さんは腕組みをして頭を振る。

「なお危険だと思いますよ。向こうの部屋で保育器に入った新生児を見ましたけど。そのうちの一人を自分の赤ちゃんだと思い込んだら大変なことになるかもしれません」

彼女の心配はもっともに聞こえるが、僕は自分の考えを展開する。

「死霊がこの辺りにあるものすべてに接触できるものでもないはずだ。僕の考えでは霊というのは通常の世界とは時間の流れ方が違う世界にいて、たまたま霊視能力がある人間と波長が合った時に姿が見えるのではないだろうか」

沼さんは再び首を傾げた。僕の説明は自分にはわかっても、第三者には説明不足に過ぎたようだ。

それでも沼さんは僕の意見を尊重してくれた。

「ウッチーさんがそうい言われるなら。除霊のリアタックをかけるのは控えておきます。でも、山葉さんも今は体を休めなければいけないはず。除霊術が必要な時はいつでも行ってくださいね。私は暇だしすぐに駆け付けます」

僕は、霊の状況が明らかになり、

浄霊が必要にんなったら、いつものように山葉さんに頼もうとしていた自分の誤りに気が付いた。

今の彼女に、神楽として舞う必要のあるいざなぎ流の浄霊の術を頼めば体に負担をかけることは必至だ。

「ありがとう沼さん。霊の状況を明らかにして送り出す準備が出来たら遠慮なく来てもらうよ」

「それではとりあえずお見舞いの品をお渡しします」

僕の言葉を聞いて沼さんは、表情を明るくし、持ってきた紙袋と花束を見せた。

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