第292話 彼女の施術とは

優菜ちゃんが七瀬カウンセリングセンターで面談する日に、僕と山葉も立ち会うことになった。

自閉症スペクトラム障害についての面談という本来の意味では僕たちの出る幕は無いのだが、恵理子さんに付きまとう彼女の実母の霊が気になるからと、美咲嬢が要請してきたのだ。

美咲嬢が指定してきた日、午後からの面談に立ち会うために僕と山葉さんは午前中でカフェの仕事を切り上げ、昼食後に出かける準備を始めた。

僕は大学院の春休みに入ったのでカフェの手伝に専念していたが、心霊関係の事案については山葉さんと僕が対応しないわけにはいかない。

「大学とか大学院の春休みはずいぶんと長いものなのだね」

「おかげで、お店の手伝いとか山葉さんの世話ができるからいいではないですか」

僕は山葉さんと他愛のない会話を交わしながら、先日会った恵理子さんと優菜さんのことを思い浮かべる。

一見優雅で優しそうな恵理子さんが、医師の診断も受けていないのに娘の優菜ちゃんを自閉症スペクトラム障害と決めつけていたことに、美咲嬢が激高していたのが記憶に新しい。

美咲嬢は自制して何事もなかったのだが、その時彼女から発せられたピリピリした雰囲気は、惨劇が起きることを予感させる程のものだった。

「美咲さんは優菜ちゃんに対してどんな方法でアプローチするんでしょうね」

「さあね、その方面は彼女が専門家だから口を挟むべきではないだろう。ところで、このマタニティウエアいい加減飽きてきたんだけどな」

彼女は最近よく着ているマタニティウエアの外出着を身に着けてから口を尖らせた。

「そういつも着られるものではないから仕方がありませんよ。そもそも山葉さんがこれ一つあれば十分だといっていたじゃありませんか」

「それはそうだけど」

山葉さんは大きなおなかに手を当てながらため息をつく。

妊婦として生活していると、いろいろと制約があるので彼女もストレスがたまっているのかもしれなかった。

「川島親子と面談したときに見た女性の霊は、恵理子さんの母親だと思いますか」

僕は、ほとんど確信していることを確認のために山葉さんに尋ねた。

「それについては、ウッチーの推定に間違いはないはずだ。問題はその存在をこれからどうするかだな」

僕は意外な気がして山葉さんに聞き返す。

「でも、近親者の霊の場合は守護霊かもしれないから迂闊に浄霊することが出来ないのではありませんか」

山葉さんは外出用のゆったりしたコートを羽織ると僕に答える。

「それはあくまで一般論だ。例えば強い心残りを抱えた霊が傍にいれば、多少とも霊感を持っている人間はその影響を受けてしまうことが有り得る。恵理子さんの場合、彼女の母親は悪意を抱いていないにせよ子供の頃からその影響を受けたことも考えられるから、よく考えてから対応する必要がありそうだ」

彼女の答えは、必要に迫られたら恵理子さんお母親の霊を浄霊する可能性があると取れるものだ。

僕は、物憂い表情で頬杖をついていた二十代後半の女性の面影を思い出し、その人がこの世に対して残した心残りを慮るしかなかった。

外出支度を整えた僕たちは、美咲嬢の職場兼住居となっている女性問題研究所まで歩いていくことにした。

カフェ青葉を出て、久しぶりに触れる屋外の空気は思ったより冷たく感じられた。

「山葉さん寒くないですか?」

僕は山葉さんを気遣ったが、彼女はコートを着た両手を横に挙げてクルリと回って見せる。

「大丈夫だよ。ドクターには出産まで程よいレベルの有酸素運動をかかさないようにしろと言われているから、散歩はちょうどいい」

寒の戻りで冷え込んだ空気は冷たく感じられるが、それは今年の冬が異常なくらいの暖冬だったため、寒さに過剰反応しているだけかもしれないと僕は思い直した。

美咲嬢の職場兼住居に着いた僕たちが、入り口のベルを鳴らすと、待つほどもなく七瀬家の執事的な存在である上門さんが姿を現した。

「いらっしゃいませ。美咲お嬢様は面談中ですのでしばらく別室でお待ちください。私がご案内します」

「ありがとうございます。川島さんは先にこちらに来られているのですか」

僕が尋ねると、上門さんはうなずいて見せる。

「はい、山葉さんや内村さんが来られる前に恵理子さんと話をしておきたいということでした。予定していた時間はもうすぐ終わりますのでこちらにお出でください」

上門さんが僕たちを案内したのは、美咲嬢のカウンセリングセンターにいくつかある面談室の一つだった。

他の部屋は、落ち着いた雰囲気の家具をしつらえた応接ルームであるのに対して、その部屋には絵本や箱庭セット、そして子供用のおもちゃがあちこちに置かれ、一見して子供の面談用に使われる部屋だとわかる。

その部屋には二人の先客がいた。

一人は、優菜ちゃんで箱庭セットを覗き込んで一心に配置を変えている。その横で見守っているのはツーコさんだった。

ツーコさんは僕たちに気づくとふわりと笑顔を浮かべる。

「ウッチーさん、山葉さん今日はお疲れ様です。もうすぐ美咲先生の施術が終わるのでお待ちくださいね」

箱庭を覗いていた優菜ちゃんも僕たちに気づいて顔を上げると言った。

「パンケーキのお兄ちゃんとお姉ちゃんだ」

僕は自分たちのがパンケーキのイメージで彩られていると知り微妙な気分だが、山葉さんは嬉しそうに言った。

「今日は優菜ちゃん。またパンケーキを食べに来てほしいな」

「行く!あのパンケーキ凄く美味しかったもん」

優菜ちゃんの反応は率直でほほえましいが、その様子を見ていたツー子さんは顔をゆがめた。

「こんなに素直でいい子なのに、どうしてお母さんは病気だなんて言ったのかしら」

それは僕も疑問に思っていたことだ。およそ自分の子供を病気と偽ってメリットがあるとは思えない。

しかし、再び箱庭の配置変更に取り掛かっていた優菜ちゃんは箱庭を覗いたまま、まるで僕の心の声に答えるようにつぶやいた。

「私が病気だと周囲の人から同情票が集まってちやほやされるからよ」

僕はその場で凝固してしまった。

考えを読まれていたことに対する驚きと、彼女が語った内容に対する驚きが相乗効果のように僕の動きを止めてしまったのだ。

「やっぱりそうなのかな」

山葉さんが優菜ちゃんの言葉に答えるのを、僕は遠くから見る情景のように感じている。

「優菜ちゃん今ね、猫のお姉さんがお母さんに変なことを言わないようお話してくれているからね」

ツー子さんが優菜ちゃんに告げた。彼女の言葉には裏表がなくありのままの彼女の心の内が紡がれているようだ。

優菜ちゃんは笑顔を浮かべ、乳歯が生え代わって永久歯が伸びつつある前歯を見せた。

僕は緊張を緩めて優菜ちゃんに言葉をかけようとしたが、僕たちがいる部屋の窓際に立つ人影に気が付いた。

派手な赤色のスカートスーツの背中には位相の揃ったウエーブの髪が見え、レースのカーテン越しに外の景色を見ているようだ。

先日見かけたのと同じ、恵理子さんの母親の霊のようだ。

僕は山葉さんにその女性の霊の存在を知らせようとしたが、彼女は既に気が付いて眉間にしわを寄せてそちらを見ている。

山葉さんは何かアクションを起こすつもりなのか、窓辺に佇む霊に向かって一歩踏み出したが、その時隣室に通じるドアが開き黒崎氏が顔を出した。

「お待たせしました。美咲先生の施術が終了しましたので、皆さんこちらに移動してください」

僕は窓際の女性の霊が立っていた辺りに目を戻したが、そこには何も見当たらなくなっている。

山葉さんは小さく息を吐くと、黒崎氏に尋ねた。

「黒崎さん。今施術と言われたが臨床心理士は医療行為は行わないのではないかな」

黒崎氏は、珍しく目じりを下げて笑顔を見せると山葉さんに告げた。

「確かに西洋医学の領域ならそうですが、美咲さんが使う術は医学の施術とは限りませんからね」

僕は黒崎氏の言葉に隠された意味に気づき、彼らの素性を改めて思い出していた。

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