第293話 亡き母の行方

僕たちは黒崎氏の指示で別の部屋に移動した。そこは美咲嬢が恵理子さんと面談している部屋だ。

「内村さん夫妻もお揃いですわね。それではこれから優菜ちゃんの面談を始めますから、内村さん夫妻にはもう一度浄霊の祈祷をお願いします」

僕たちはそのために来ているわけなので、美咲嬢の言葉に無言でうなずいた。

美咲嬢は僕たちの反応を見定めると、優菜ちゃんに目を移した。

「優菜ちゃんには今夜ここに泊まってもらいます。その間にいろいろなことをしてもらう予定ですが、先ずはお母さんと一緒に話を聞いてもらいましょう。お母さんと離れて一人でここに残っても大丈夫かな」

「はい」

優菜ちゃんは素直に返事をする。

「内村さん夫妻に来ていただいたのは、恵理子さんがお嬢さんに物の怪が取り付いているとする考えに捉われていたためです。それゆえ、これから山葉さんに浄霊の祈祷を行っていただきます。そうすれば恵理子さんにも安心していただけると思うからです」

山葉さんは何か言おうとして口を開きかけたが、言葉を飲み込むようにして美咲嬢にうなずくと、恵理子さんに話し始めた。

「私が執り行うのはいざなぎ流と呼ばれる神道の一流派の祈祷です。恵理子さんが危惧されていた物の怪や邪霊が取り付いた場合にそれを取り払うための祈祷ですので、安心してください。申し訳ないですが私は身重のため正規の装束で執り行えないことをお詫びいたします」

「いいえ、お腹が大きいのに祈祷をしていただけるなんてありがたいです。どうか無理をしてお体に触らないように気を付けてくださいね」

恵理子さんは極めて常識的な反応を示す。

優菜ちゃんに対して理不尽な振る舞いをしているとは、到底思えない雰囲気だ。

「それでは、僭越ですが私が祈祷させていただきます。恵理子さんも優菜ちゃんと一緒に並んで座っていただけますか」

山葉さんが告げると、恵理子さんは素直に山葉さんの言葉に従い、優菜ちゃんと一緒に面談室の少し広くなったスペースに座った。

僕は取り急ぎ祈祷の準備を始める。

今回もとりわけの儀礼をメインに行うと聞いていたので必要な祭具は取り揃えてあり、事前に作ってった式王子をみてぐらにしつらえ、準備が整うと同時に、山葉さんが祭文の詠唱を始める。

彼女が用意していたのは高田の王子の式王子だった。いざなぎ流で使われる式王子の中でも強力な部類だ。

山葉さんが緩やかに舞いながら詠唱を始めると、室内の空気がピンと張りつめる感じがする。

山葉さんの詠唱の声が流れる間、優菜ちゃんはおとなしく座っており、恵理子さんも目を閉じて詠唱に耳を澄ましているようだ。

祈祷が終わると、山葉さんは大きく一礼し一同に告げた。

「これにて、取り分けの儀式を終わります。お二人に狐狸や霊の類が付いていたのだとしても、もはや何物もいないことをお知らせします」

恵理子さんは眼を開けるとほっとしたような表情を浮かべる。

「どうもありがとうございました。これで安心することが出来ます」

恵理子さんが山葉さんに礼を言い、山葉さんも落ち着いた表情で彼女の言葉を聞いている。その光景を見ると、本当に何もないかのように思えた。

「それでは、恵理子さんには申し訳ないですがそろそろお帰り頂き、優菜ちゃんを私たちに預けていただきましょうか」

美咲嬢の指示を聞いた恵理子さんはどうすれば良いのかというように僕たちを見回したが、彼女の様子を見たツーコさんが進み出た。

「私が恵理子さんをご案内します。こちらにどうぞ、そして優菜ちゃんのことはスタッフが付ききりで世話をいたしますのでどうぞご安心ください」

ツーコさんが物静かに告げると、恵理子さんは何の疑いも持たずに席を立って彼女に従う。

「優菜、いい子にしているのよ」

恵理子さんは帰り際に優菜ちゃんに声をかけるが、優菜ちゃんは無言で見返すだけだった。

恵理子さんが帰った後、黒崎氏が優菜ちゃんの相手をしている。

「お疲れさまでした山葉さん。おかげで恵理子様も納得して帰ってくださいましたわ」

美咲嬢が、山葉さんにねぎらいの言葉をかけるが、山葉さんは納得していない雰囲気だった。

「今の祈祷、私は何の手ごたえも感じられなかった。事前にあなたが何かしたのか?」

美咲嬢は薄笑いを浮かべて山葉さんに答える。

「流石ですわね。実は恵理子さんの反応を見る必要があって、一度私がその霊を除霊したのです。あれだけの執着を見せる霊ですから、私が除霊しただけではしばらくすれば恵理子さんのところに戻ってくると思っていたのですが、意外にも戻ってくる様子が見られなかったのですわ」

僕は先ほど別室で恵理子さんの母親と思われる女性を見たことを思い出す。

「それらしき女性なら、優菜ちゃんがいた部屋で見かけましたよ」

僕が告げると、美咲嬢は興味深そうに僕を見返した。

「ウッチーさんが目撃したのに、目と鼻の先にあるこの部屋に戻ってこないのは不思議ですわ。何か他のものに引き寄せられているのでなければよいのですが」

山葉さんは、腕組みをして美咲嬢の言葉の意味を考えているようだ。

「引き寄せられるとしたら、恵理子さん以外に肉親である優菜ちゃんかもしれないな。優菜ちゃんに変わった様子は見えないだろうか」

僕はしげしげと優菜ちゃんを見た。

しかし彼女は、はにかんだ笑顔を返すばかりで、霊が取り付いている様子はうかがえない。

僕は、優菜ちゃんが霊に取り憑かれている兆候を探すことはあきらめて、美咲嬢に尋ねた。

「恵理子さんとの面談結果はどうだったのですか?」

「私が見たところ優菜ちゃんではなく、むしろ恵理子さんの方が自閉症スペクトラム障害的な部分があるようです。それでも、彼女は立派に社会生活を送っていますし、優菜ちゃんに対して常軌を逸した振る舞いをするのは何か別の要因があるのかもしれないと思って彼女の母親の霊を一時的に除霊するつもりだったのですわ」

「除霊した霊が戻ってこないとしたら、除霊成功で良いことではありませんか」

僕が重ねて聞くと、美咲嬢は苦笑して見せる。

「私の除霊は、取り憑かれた人から霊を引き剥がすことはできても、あの世とか来世とか呼ばれる領域に送り出すことが出来ないのです」

美咲嬢は山葉さんを示しながら話を続ける。

「それ故、あなたの奥さまに仕上げを頼むつもりだったのですが、霊の行方がつかめなくなるのは想定外ですわ」

山葉さんは、腕組みをして美咲嬢に尋ねた。

「それでは、その霊の影響を排除したら恵理子さんの問題は解決すると思うのか?」

「私が試した結果、そうなると思いますの。」

美咲嬢は自信がある表情で断言した。

しかし僕は、美咲嬢の除霊の術が完全ではないことが意外に思えた。

僕と知り合った頃の山葉さんも浄霊の祈祷に間違った部分があり、浄霊したはずの霊が近くにいた僕にとりついてしまう事例が頻発したのだ。

その思いは山葉さんも同じらしく、言葉を選ぶようにして美咲嬢に告げる。

「私の祈祷でよければ何時でも協力するよ」

「ありがとうございます。それでこそお友達ですわ」

美咲嬢は嬉しそうに答えた。

「ところで、優菜ちゃんを一晩泊めて何をするつもりなのですか」

僕は素朴な疑問として、美咲嬢に尋ねた。

「彼女がみだりに人の心を読んで、トラブルに捲き込まれないようにレクチャーする予定です。そして、深刻なトラブルが起きたときは私か黒崎に助けを求めるように教えておきます。必要があればトラブルにかかわった関係者の記憶を消すぐらいのことはするつもりです」

黒崎氏は優菜ちゃんと歓談して温厚な笑顔を浮かべている。

しかし、僕は自分の記憶が美咲嬢や黒崎氏にいじられたことがあるのではないかと微妙な疑念を感じてしまう。

僕は美咲嬢たちが、むやみにそんな真似をするはずがないと、自分の疑念を打ち消し、山葉さんと帰途についた。

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