第285話 呪詛の応酬
「その人を、置いてきてもよかったのですか」
僕はバックミラーでスポーツ用品店を見ながら沙也加さんに尋ねた。
「ええ、彼に今から消息不明だった父親を探しに行くと告げたら、手伝おうかと言ってくれたのですが、生霊の件を彼に話す勇気がなかったので断ってきました」
僕は微妙に気分を害したが、よく考えたら世間一般では生霊などと言っても話が通じないのが普通で、むしろ沙也加さんのようにすんなりと受け入れる人のほうが珍しいと言える。
「それでは、立川市に向かっていいですね」
「すいません。お待たせしました」
僕はWRX-STIを発進させると、環七通りを経由して首都高速道路に乗った。
本線の流れに乗ったところで、助手席の山葉さんが後部座席に乗った沙也加さんと会話しているのが耳に入る。
「沙也加さん、この人型にあなたの名前を書いてくれませんか」
僕は運転しながらバックミラーで様子を窺ったが、山葉さんは沙也加さんに和紙で作った人型を渡したところだった。
「ボールペンでいいですか」
「もちろんです」
沙也加さんはバッグから取り出した自分のボールペンで、人型に名前を書いている。
やがて沙也加さんは名前を書き終えた人型を山葉さんに渡してから尋ねた。
「それをどうするのですか」
「あなたに対する攻撃があったらこれが身代わりになってくれるのです」
沙也加さんは半信半疑の様子だが、とりあえずうなずいた。
「付き合っていた彼と喧嘩したきっかけは、彼が女性と歩いているのを見たというあなたの友人の報告のはずだったと思いますが、それが誤解だったというのがなぜわかったのですか」
山葉さんがおもむろに沙也加さんに尋ねるが、それは僕も聞きたかったことだ。
沙也加さんは悪びれる様子もなく山葉さんの問いに答える。
「結局、私の友人の幸恵が彼と私がいさかいになるように仕向けたことが分かったのです。幸恵が、彼が女性と歩いていたと教えてくれたのですが、それは彼女が仕組んだうえに私に証拠写真まで見せて私たちが喧嘩するようにあおっていたのです」
山葉さんは沙也加さんにゆっくりと告げた。
「そのお友達と関係があるかはわかりませんが何者かが、陰陽道の術を使う人間に頼んであなたに呪詛を飛ばしたです。それはあなたの命を奪うこともいとわない強い呪いだったと思われます」
「幸恵がそんなことをするとは思えません。でも私はなんだか何も信じられなくなりそうで」
「先ほど私は呪詛返しの祈祷を行いましたが、今回は呪詛を相手方の術者に返すことにしました。それ故、相手からの対抗措置も私たちに降りかかってくる可能性があるのです」
沙也加さんは黙り込んでしまった様子だ。
僕は、それほど込んでいない高速道路をゆっくりと運転していたが、不意にシャリーンという澄んだ金属音を聞いた気がした。
「今の音聞こえましたか」
「うん、何か来る、気を付けろウッチー」
その時、僕の前を走っていた配送用のトラックのリアゲートが突然開くと、中に積まれていた大小様々な段ボール箱が高速道路上に散乱した。
僕は急ブレーキをかけてスピードを落とすしかなかった。
荷物の落下に気づいた配送トラックのドライバーは路肩にトラックを寄せるが、段ボール箱は車線のほとんどを塞いでいる。
「ウッチー、中央分離帯側に大きめの隙間がある。止まらないであそこをすり抜けろ」
彼女が指示した方向には確かに荷物が少ない部分があったが、僕の感覚では車幅よりも狭く見える。
「狭くて通れませんよ」
「ミラーをたたんで、中央分離帯ギリギリのところを走るんだ」
僕は言われるままに、ミラーの格納ボタンを押してからWRX-STIを中央分離帯に近づけて落下した荷物との間をすり抜けようとした。
中央分離帯に接触するぎりぎりの距離を保つようにして、段ボール箱はいざとなれば跳ね飛ばすしかないと腹をくくる。
その横で、山葉さんは助手席側にウインドウを開けると、何かを投げ捨てた。
僕がどうにか段ボール箱が散乱したエリアを抜けてバックミラーを覗くと、僕たちが通り過ぎた後ろに、ひらひらと紙の人型がいくつか舞っているのが見えた。
その直後に、重い衝撃音が後ろから響いた。
バックミラーにガラスやプラスティックの破片が飛び散る様子が映る。
荷物に衝突しないように緊急停止した後続車に、後ろから来た車が追突したのだ。
破片の跳び方から考えて、乗っていた人は無事ではすみそうにない。
「危ないところでしたね」
僕は山葉さんに声をかけたが、彼女はバッグから取り出した式王子を片手に懸命に何かを詠唱しているところだった。
詠唱を終えた彼女は、額に汗を浮かべ、肩で息をしている。
「あの、今のは私を狙った誰かが攻撃してきたということなのですか」
山葉さんは大きく息を吸うと、彼女を安心させるように笑顔を浮かべて答えた。
「そのようですね。こちらも手加減なしで反撃をしたから、静かになるでしょう」
バックミラー越しに見える事故現場からは煙が上がっているのも確認でき、あのまま停止していたら僕たちも巻き込まれていたのは確実だった。
結局、僕たちは事故現場をそのまま後にして立川市に向かった。
警察への通報をしようかと思ったが、後続車両の誰かがやってくれるはずだという山葉さんの意見がもっともに思えたので結局通報はしなかった。
その代わりのように、沙也加さんはスマホで誰かをコールしていたが、相手が出ない様子だ。
「誰に電話をしているのですか」
「幸恵です、彼女が仕組んだことか直接問いただしてみようと思ったのですが、呼び出し音はしているのに出ないのです」
沙也加さんは、再びリダイアルし始める
「さっきはどうして人型を捨てたのですか」
どうにか平静さを取り戻した僕は山葉さんに尋ねた。
「あれは、私たちのダミーだ。敵方の攻撃はあの人型に引き寄せられ、私たちはその間に姿をくらますという訳だ」
山葉さんは余裕のある表情で説明するが、僕は先ほどの事故にあった人たちが僕たちの身代わりになったような気がして、内心落ち着かない。
「あの、私が呪われたことと、父の生霊が現れたことには関連があるのでしょうか」
沙也加さんが青ざめた顔で山葉さんに尋ねた。
「おそらく、あなたのお父さんは離別後もあなたの幸せを願っていたのだろう。あなたの身に危険が迫ったことを察知して助けようとしたのではないかな」
僕は彼女の言葉が腑に落ちなかった。
「でも、取り憑いただけでは沙也加さんを助けることはできないのではありませんか」
「あの生霊が特別な能力を獲得していたとしたら?本人は生死の境にいて元に戻ることは叶わないかもしれないが、その代わりに世界の有様を変え得る力を持ったのではないだろうか。それが証拠に私たちが沙也加さんに関わりを持って彼女を助けているではないか」
僕は山葉さんの主張が少しだけ理解できた気がした。
「それでは、沙也加さんが財布を落として僕がそれを拾ったのも、彼女のお父さんが仕組んだというのですか」
山葉さんはゆっくりとうなずき、僕は自分自身が誰かに操られていた気がして寒気を覚えた。
その時、沙也加さんがかけた電話に応答があったらしいく、彼女がスマホを耳に当てるのが見えた。
「もしもし、私は松本幸恵にコールしたつもりなのですが、あなたは誰なのですか」
山葉さんが訝しそうな顔で見守り、沙也加さんは通話を続ける。
「え、警察?何があったのですか」
通話相手の説明をしばらく聞いていた沙也加さんは、小さな声で答えた。
「わかりました。今からそちらに向かいます」
沙也加さんは通話を切ると僕たちに言った。
「幸恵が三鷹市にあるアロマテラピーの業者の店舗で一酸化炭素中毒で倒れているところを発見されて病院に搬送されたそうです。警察の方が家族と連絡を取りたいので私に来てほしいと言っています。これからそちらに向かっていただけますか」
僕は、意外な話に驚きながら彼女に尋ねた。
「それは構いませんが、どちらの病院なのですか」
「三鷹の森赤十字病院です」
僕たちは立川市に向かっていたところなので、三鷹市にほど近い辺りまで来ていた。
「私がカーナビを設定するから、ウッチーはナビ通りに運転してくれ」
「はい」
山葉さんはスマホに音声入力して病院の電話番号を素早く調べ、電話番号を使ってあっという間にカーナビをセットした。
「アロマテラピー業者というのは今回の件に関係があるのでしょうか」
「あるいは私がカフェを経営しながらいざなぎ流の祈祷をしているようにアロマテラピーを表の顔にして陰陽師家業をしているものがいたのかもな」
僕の質問に山葉さんはシニカルな雰囲気で応じると景色を眺めている。
僕はカーナビゲーションの案内に従って高速道路を下りると、三鷹の森赤十字病院へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます