第286話 呪いを生業とした男

僕たちは三鷹の森赤十字病院に到着し、ロビーの案内所で場所を聞いてから救急病棟に向かった。

救急病棟の廊下ではスーツ姿の男性が待ち構えていた。

一般患者が少ないためか救急病棟の廊下は人影がまばらに感じられる。

「武内沙也加さんですね。急な話なのにわざわざ来ていただきありがとうございました。私は三鷹署の岡村と申します」

サラリーマンなら名刺を差し出すタイミングだが、岡村さんは名刺の代わりに警察手帳を提示し、沙也加さんは僕と山葉さんを示しながら岡村さんに言う。

「こちらは、一緒に出掛けていた私の友人の内村さん夫妻です。幸恵の具合はどうなんですか」

沙也加さんは幸恵さんに対する疑惑はわきに置いてとりあえず彼女の容態を心配している。9

「今治療を受けていますが、予断を許さない状態です。発見されたのが地下にある店舗で、換気が悪かったことからファンヒーターの不完全燃焼で発生した一酸化炭素による中毒だと思われます。私どもは幸恵さんの家族に至急連絡を取りたいと思っています」

沙也加さんは自分のスマホを取り出すと電話番号を探し出して表示した。

「これが幸恵の自宅の電話番号です」

岡村さんは廊下の端に待機していた別の男性を呼ぶと家族に連絡を取るように指示し、沙也加さんに話を続ける。

「発見された時の服装がちょっと変わった雰囲気だったのですが、幸恵さんがコスプレのような趣味をお持ちだとか耳にされたことはありませんか」

「いえ、そんなことは聞いたことありません」

「そうですか」

岡村さんは沙也加さんを手招きして病室に入った。

病室では沙也加さんと同年代に見える女性がベッドに横たえられており、顔には酸素マスクが当てられている。

僕の目に付いたのはその女性が来ている衣服と彼女の肌の色だった。

彼女は白衣と言われる白い一重の着物を身に着け、その肌は赤っぽく彩色されている。

「発見現場にはこんなものが置かれていました。一緒にいた男性も神主さんみたいな恰好をされていたので、そういうプレイが趣味の方なのかと思ったのですが」

岡村さんが差し出したのは明らかに藁人形と思える物体だった。

山葉さんは、岡村さんにさりげなく指摘する。

「藁人形を使って呪いをかけるときは、その中に呪いをかける相手の写真とか髪の毛を入れます。確認されましたか」

「いえ、確認していません」

岡村さんは、素直な性格らしく手袋をはめた手で藁人形の胴体の中央辺りを探っている。

やがて、岡村さんは藁の隙間に挟まれていた小さな写真を探し出した。

そして岡村さんは写真の顔と沙也加さんの顔を見比べていた。

沙也加さんは岡村さんが指の上にのせている小さな顔写真を覗き込んだ。

「それは、私の写真のようですね」

「そ、そうですね」

岡村さんは気まずい雰囲気をどうすることもできず黙ってしまった。

山葉さんは場の空気をとりなすように岡村さんに尋ねる。

「一緒にいた男性はどうなったのですか。」

「男性のほうはさらに症状が重篤なので別室に収容されています。こちらです」

岡村さんは僕たちを別の部屋に案内した。

その男性は脈拍や呼吸をモニターする装置を接続されて、酸素吸入を受けていたが僕と山葉さんは部屋の入り口で足を止めた。

その部屋の中には数体の霊が存在しており、男性のベッドを遠巻きに取り囲むように佇んでいたからだ。

「山葉さん、この霊たちはどうしたのでしょうね」

「私にもわからないが、もしかしたらこの男性が、顧客からの依頼のままに呪詛を飛ばし、それによって命を落とした人々なのではないだろうか」

先ほどの藁人形や、僕たちが経験した交通事故を考えると、あり得ないことではなかった。

そして、僕たちが部屋に入った直後に、その男性の心拍数を示していたモニターが耳障りな警告音を発し始めた。

岡村さんは表情を険しくすると、僕たちに告げる。

「こちらからお呼びしておいて申し訳ありませんが、今日はお引き取り願えませんか。私はドクターを呼んできます」

「構いませんよ。私たちはこれで失礼します」

沙也加さんは短く答えると、部屋から出たが、そこで足を止めると放心したように宙を見つめる。

しかし、僕と山葉さんは心停止に至ったらしい男性が気になって沙也加さんのフォローもしないで室内の様子を窺った。

今や、部屋の中にいた霊たちは、男性のベッドを取り囲んでいたのだ。

「あの人が亡くなったら、部屋の中にいる霊はどうするのでしょうね」

「私に聞かれても困るな」

山葉さんも興味と恐怖が半ばしたような雰囲気でその様子を見ている。

やがて、集まっていた霊たちは一体の霊を抱え上げるようにしてぞろぞろと部屋の外に進み始めた。

僕と山葉さんが見守る前で、霊たちの姿は薄れていきやがて見えなくなった。

「連れていかれたのはあの男性の霊ですよね。山葉さんの呪詛返しの結果こんなことになったのですか」

「彼がどこに連れていかれて何をされるかは神のみぞ知るというところかな。

山葉さんは僕を振り返ると言葉を続ける。

「おそらく彼は私が呪詛返しをした時点で一酸化炭素中毒によって意識不明となっていたはずだが、彼の放った呪詛は残り、私たちを交通事故に巻き込むところだった。私たちはかろうじて無傷だったが術者同士が戦えば双方が無事では済まないのだな」

僕は先ほどの事故の状況を思い出しながら霊たちが消えた廊下の虚空を見つめた。

「あの男性が死んだことで、山葉さんは罪に問われるのでしょうか」

「いいや、彼と幸恵さんが藁人形を作って沙也加さんを呪ったことも警察から見たら、法に触れない他愛のない悪戯でしかない。私が呪詛返しをしたことなど警察は知ることもないはずだ。私たちは法律が及ばない領域で戦っていたのだ」

僕は気を取り直すと放心したように立つ沙也加さんに恐る恐る声をかける。

「あの、大丈夫ですか」

沙也加さんは、顔を上げるとゆっくりと答えた。

「大丈夫だと思います。私は幸恵が私と彼の仲を裂こうとしたことはわかっていましたが、あの藁人形で呪いまでかけられていたのがショックだったのです」

沙也加さんは蒼白な顔で僕に答えた。

僕たちは救急病棟の廊下で悄然としていたが、そこに先ほど岡村さんが指示をした別の刑事が通りかかった。

「先ほどはありがとうございました。おかげで松本幸恵さんの家族の方と連絡が付きました。今こちらに向かわれているそうです」

「わかりました。私たちはこれで失礼します」

沙也加さんが静かな口調で彼に告げたのを潮時に、僕たちは病院を後にすることにした。

しかし、帰途に就いたものの赤十字病院は大きな病院だったため、僕たちはエントランスの方向を間違えたようだ。

僕は方向を間違えて一般病棟に入り込んだことに気づき、案内所があったロビーに戻るための表示を探していたが、廊下に見覚えのある人影があることに気が付いた。

「山葉さん、あそこに沙也加さんに取り憑いていた男性の霊がいますよ」

山葉さんは眉間にしわを寄せてその方向を見て僕に答える。

「私には人相までわからないが、ウッチーにそう見えるなら間違いないのだろうな」

男性の霊は一度姿を消したが、廊下の奥に移動して出現した。

僕は、霊を追っていくことは危険かもしれないと思いながらも無意識にそのあとを追いかける。

沙也加さんは、先ほどの藁人形の一件がショックだった様子で僕たちの会話にあまり注意を払わず一緒に歩いている様子だ。

結局、僕は霊の後追いを止めて帰る道順を探すことにしたが、今度は沙也加さんは足を止めて、病室の入り口にある入院患者の名前の表示を見つめていた。

「どうしたんですか」

山葉さんが尋ねると、沙也加さんは入院患者の名前表示を指さして言った。

「この名前、市原和幸というのは私の父の名と同じなのです」

そこは4人収容の部屋で、各ベッドはカーテンで仕切られており、室内に入りカーテンを開けなければ入院患者を確認することは出来ない構造だった。

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