第281話 パンケーキのトッピング

「あなたが内村さんですか。財布を拾って届けてくださってありがとうございました。私は武内沙也加といいます。財布を落としたことに気が付いた時は、貧血を起こして倒れそうだったんですけど、警察に問い合わせたら拾って届けてくれた人がいると聞いてほんとにうれしかったんですよ」

沙也加さんは財布の件で本当に感謝しているらしく、僕に対する感謝の言葉を一気に並べ立てた。

「いいえ、お気になさらずに。僕はあなたが財布を落とした瞬間を見たのにその場で声をかけることが出来なくてすいませんでした」

木綿さんに指摘されたこともあって、僕は思わずその場で手渡せなかったことを謝ったが、沙也加さんは妙に熱のこもった目つきで僕を見つめる。

僕は沙也加さんが思っていたよりテンションの高い人だったので、少し持て余し気味だ。

「そんな、その場で手渡せなかったからって謝るなんて、どれだけいい人なのですか。謝礼は不要と警察で言われましたが、お土産くらいは受け取ってください」

彼女は菓子折りが入った紙袋を僕に押し付けるように渡す。

「ありがとうございます。折角なのでいただきますが、それ以上お気遣いは不要ですから」

僕が菓子折りを受け取ったので沙也加さんはひとまず満足したらしく、話題を変えた。

「素敵なお店ですね。あなたは店長さんとして働かれているのですか」

「いえ、ここは妻が経営しているカフェで、僕は時間があるときは手伝っている程度です」

事実を言っているのだが、自分が世慣れた社会人のように聞こえるのでなんだか面映ゆい。

僕はしゃべっている間に祥さんがオーダーの品物を運んで通り過ぎたが、沙也加さんの目線は祥さんが運んでいたトレイを追っていた。

「お若く見えるのにすごいですね。ところで、向こうのテーブルに運んで行った小さいフライパンに入ったケーキみたいなのは何というメニューですか」

僕は祥さんが運んでいたのがスキレットで提供しているパンケーキセットだと確認してから答えた。

「パンケーキセットで、お飲み物は自由に選べますよ。召し上がっていかれますか」

沙也加さんは嬉しそうにうなずくので僕は彼女をカウンター席に案内した。

問題の男性の霊と黒い影は彼女の動きに追随して移動していく。

黒い影をどうにかするために、彼女からその原因となりそうな事柄、つまり近い将来彼女が命を落とす原因を探りだしたいのだが、その糸口さえもつかめなくて僕は少し焦っていた。

「ウッチーさん、彼女から何か手掛かりは得られたのですか」

背後から祥さんの硬い雰囲気の声が僕を追いかける。

「それがね、来店してから一方的に彼女が話していたので、こちらから質問するチャンスが全くなかった」

僕は周囲のお客さんに聞こえないように小声でつぶやくが、祥さんは通路が広くなったところで僕の横に並ぶと耳元で囁いた。

「何やっているんですか。命にかかわることでなのすから、あの人が帰るまでに絶対に解決する糸口をつかまないとだめですよ」

祥さんは言いたいことを言うと足早に僕を追い抜いて、お店のバックヤードに姿を消す。

僕は祥さんが入っていったスタッフ用のドアを見ながらため息をついた。

彼女は僕より5歳ほど年下だが成すべきことがあれば、僕などより毅然として物事に取り組んでいる。

何とかして沙也加さんに纏わりつく黒い影についてアプローチする方法を考えなければと僕は頭を悩ませる。

カウンターの内側に回って沙也加さんに向きあうと、彼女はメニューを見ながら悩んでいるところだった。

「すいません、パンケーキのトッピングをどれにするかで悩んでしまって」

僕は力が抜けるのを感じながら、彼女に人気のメニューを教えた。

「最近人気なのは、フレッシュストロベリーとプレーンのソフトクリームをトッピングしたものですね。他によく出るのは抹茶のソフトクリームと小倉餡をトッピングしたものですが、ベーシックにバターとメイプルシロップを好まれる方もいますよ」

僕の説明はさらに沙也加さんを悩ます結果となったようだ。

メニューを眺めて悩むお客さんを見るのはスタッフとしてはうれしいものだが、彼女の場合は背後に控える黒い影を見る限り、今日メニューから一つトッピングを選んだとして、他のトッピングを後日食べに来るほどは寿命が残されていないと思われた。

僕は、彼女の背後に黒く見える不吉な影と、もう一体の霊を無言で見つめるしかなかった。

「お悩みでしたらハーフ&ハーフで二種類のトッピングを乗せてもいいですよ」

オーダーに悩んでいる沙也加さんに僕の横から声をかけたのは山葉さんだった。山葉さんはお店の仕事には出ない予定だったが、どうやら祥さんが応援を求めて彼女に声をかけたようだ。

沙也加さんの表情が明るくなったところを見ると、本当にトッピングのセレクトに悩んでいたのだろう。

「ありがとうございます。フレッシュストロベリーに抹茶と小倉餡のハーフ&ハーフでドリンクはミルクティーを願いします。」

山葉さんは、微笑を浮かべて沙也加さんに告げる。

「食べるときに混ざってしまわないように、大きめの取り皿もつけておきますね」

山葉さんは自分のPDTからオーダーを送信すると、そそくさとバックヤードに引っ込んでいった。

帰り際の視線の動きを見ると、彼女にも黒い影と男性の霊が見えていることは間違いないはずだ。

「素敵な方ですね。奥さまですか」

「はいそうです。ありがとうございます」

僕は笑顔で答えるが、黒い影への対処方法について、山葉さんが支援してくれるものと思っていたので、期待外れの感は否めない。

仕方がないので、僕は沙也加さんに取り憑いている、おそらく彼女の父親だと思われる男性の霊から攻略することにした。

「実は財布を届けた時に沙也加さんの財布の中身を見たのですが、古びたSuicaのカードを使われているのですね」

まだ、メニューを眺めていた沙也加さんは、手を止めて僕の顔を見た。

「あのカードはお守りと思って持ち歩いているので普段は使っていないのです。私の実父は私が小さなころに母と離婚して、私は母に引き取られたのですが、まだ小さい頃に私は一人で父に会いに行ったのです。」

僕は最後の切り札と思っていたSuicaのカードの話題がどうにか彼女の父に結び付いたのでほっとすると同時に恐る恐る男性の霊の様子を窺った。

男性の霊は僕の目で見ても男性だとどうにかわかる程度で輪郭がはっきりしない。

当然その表情もよくわからず、僕と彼の娘が自分のことを話しているとは気づきもしない様子で寡黙に佇んでいるだけだ。

「そうだったんですね。そのお父さんとは最近会われたことはありますか」

僕が尋ねると沙也加さんは首を振ってみせるがその表情は悲しそうなわけでもなく何となくさばさばした雰囲気が漂う。

「いいえ、実父とは音信不通です。メンタルヘルスの調子が悪くなって失踪したと聞いていますが実際のところはわかりません。でも、私が会いに行ったときはファミレスで一緒にご飯を食べて優しい言葉をかけてくれたのを覚えています。Suicaのカードはその時に父がくれたのです」

僕がその話をさらに突っ込もうか考えていると、沙也加さんの前にスキレットで焼いたパンケーキが置かれた。

いつの間にか山葉さんがオーダーの品を持ってきたのだ。

パンケーキのスキレットは丸ごとオーブンに入れて焼いているので高温になっている。

そのため、うっかりつかんで火傷しないように柄の部分には布を巻き付けてあり、ふんわりと焼けたパンケーキにはフレッシュストロベリーとプレーンソフトクリームの部分と抹茶ソフトクリームと小倉餡の部分がうまく半々にトッピングしてあった。

山葉さんは取り分け用のお皿とミルクティーも置くと沙也加さんに告げる。

「裏メニューのパンケーキハーフ&ハーフセット、ドリンクはミルクティーでございます」

「すいません裏メニューを作らせてしまって」

沙也加さんは相好を崩しながらフォークを手に取ったが、パンケーキを食べる前に僕を見て言った。

「父の思い出があるカードだったので、届けていただいて凄くうれしかったんです。あらためてありがとうございました」

会話の流れとしては、これ以上彼女の父について話を続けることは難しそうだ。僕は何かほかの話題はないかと頭を悩ませながら彼女の傍の黒い影を見ようとしたが、意外なことに黒い影は消失していた。

僕は訳が分からずに山葉さんに小声で聞いた。

「山葉さん、あの黒い影は見えていますか」

「私も今しがた見失ったのでウッチーに尋ねようかと思っていたのだ。何が起きたのか見当もつかない」

黒い影を消し去ることは、極めて難しいが僕たちがやらなければと思っていたことだ。

しかし、理由もなくそれが消えてしまうとむしろ何が起きたのか理解に苦しんでしまう。

黒い影は消えたものの、沙也加さんの背後には表情がうかがえないくらいにぼやけた姿の男性の霊がいまだに佇んでいた。

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