第274話 呼ぶもの

その翌日には僕と山葉さんは四国に向かうジェット旅客機の機上にいた。

僕と山葉さんは栗田准教授の恩師である神崎先生の捜索に参加することになり、神崎家からは恭介さんも同行することになったのだ。

繁忙期に無理やりチケットをとったものだから、僕と山葉さんはどうにか並びでとれたものの、栗田准教授と恭介さんは機内のどこにいるかも定かでない。

僕たちが乗ったB767型機は、快適に飛行を続け窓の外には雪を頂いた富士山の姿が見える。

「恭介さんが僕たちと一緒に四国に行くことになったのは意外でしたね」

「うむ。彼はどちらかといえば引きこもり系のような印象だったから私も驚いたのだ。真由美さんに聞いたところでは、彼はお父さんが大好きだったらしい」

僕たちは年末に急遽旅行することになり少し浮わついた気分なのだが、行方不明のお父さんを探しに行く恭介さんの心境を考えると、はしゃぐのは禁物だ。

しかし、飛行機の中で座席が離れて彼の目が届かないのを幸いに、僕たちは恭介さんの話を始めた。

「お父さんが大学教授でも、お子さんがその跡を継ぐとは限らないものなのだな」

山葉さんが少し不思議そうな表情でつぶやくが、僕はわかっていないなと思い首を振りながら言った。

「専門分野の研究をするわけですから、その分野をほぼ一生をかけて研究しなければなりません。単純に親の仕事の後を継ぐという訳にはいかないと思いますよ。でも、恭介さんは神崎教授の研究内容についてずいぶん勉強している感じがしましたね」

「私もそんな気がしていたのだ。いざなぎ流のことについていくつか質問されたが、的を得た質問が多くて研究者と話しているようだった」

恭介さんは、神崎先生や栗田准教授の分野には進まずに、経済関係の学部を出て就職していたのだが、メンタル関係の不調で退職して実家に戻り、再就職先を探しているという割に危機感を感じさせない人だ。

「僕はお兄さんの恭一郎さんよりも、恭介さんのほうが接しやすくて好きですね」

「私もそう思っていたところだ。ピリピリしたところがないから付き合いやすそうな気がする。彼のためにも神崎先生の消息を掴みたいものだな」

山葉さんは表情を引き締めると、北の空の下に続く日本アルプスの白い峰々を眺めた。

一時間半ほどのフライトの後に僕たちは高知龍馬空港に到着し、栗田准教授が予約していたレンタカーで神崎先生が消息を絶ったと思われる集落に向かった。

その集落は、山葉さんの故郷の集落と同じ自治体に属しているが、標高千メートル級の山の連なりを超えたところにある谷の集落だった。

「この辺りは柴という集落です。送られてきたお面の様式等を見たところ、この集落のものとデザインが似ていたので、神崎先生が訪れた痕跡がないか調べてみようと思ったのです」

神崎先生が説明してくれるが、その集落は険しい山をえぐるV字型の谷の斜面に張り付くように立ち並んだ家々で構成されていた。

険しい山の斜面には果樹園が作られており急な傾斜に冬でも緑の葉をつけた果樹が植えられて斜面の上へと続いていた。

果樹の上のほうに黄色い果実があるのを見て僕は栗田准教授に尋ねた。

「この辺りではミカンの栽培が盛んなのですか」

「いや、あれはミカンではなくて柚子の木です。この辺りは日本有数の柚子の産地なのですよ」

フィールドワークで度々いざなぎ流調査に訪れている栗田准教授は現地の状況に詳しい。

集落内を通行する住民の姿はあまりなく、僕たちはレンタカーに乗ったまま所在なく集落内を走ったが、栗田准教授は集落のはずれのあたりで山の上から集落に降りてきた様子の男性を見つけて声をかけた。

「すいません。私たちは秋ごろにこの辺りでいざなぎ流の調査中に消息を絶った研究者を探しています。この写真の方なのですが見かけた覚えはありませんか」

栗田准教授は車を路肩に止めて、持参した神崎先生の写真を見せて尋ねている。

僕はそんないい加減な調べ方では、いつまでたってお手掛かりにたどり着けないのではないかと心配になったが、最初に尋ねた村人は神崎先生の写真に反応を示した。

『この人は大学の先生だと言ってこの辺りによく来られていたので覚えています。いざなぎ流の大夫さんがいた家で調べ物をされていたようですね』

男性の言葉は方言が強いが内容がわからないほどではない。

栗田准教授は勢い込んで男性に尋ねた。

「そのいざなぎ流の大夫さんのお家を教えていただけませんか」

男性は斜面の下に見える一軒の家を指したが、悲しげに首を振る。

『その家は住むものがいなくて空き家になっているよ。子孫にあたる人が市役所のある街に移り住んでいるので、先生はその人に連絡を取って、許可を得て調べていたようだ』

僕たちがその家をよく見ると、もともと茅葺きの上にトタンを被せた屋根の開口部からは草が生え、庭も雑草に覆われている。

「いざなぎ流の後継者がいなくなることもあるのですね」

僕が尋ねると、山葉さんは首を振った。

「いざなぎ流を継ごうなどというもの好きはそう多くはいない。私などはレアケースだと思ったほうが良い」

僕は荒れ果てた民家を見ながら、失われた伝承の数々を思ってため息が出た。

「ここで受け継がれていたいざなぎ流の術は永久に失われてしまったのですね」

僕の言葉を聞いた山葉さんは、硬い表情で答えた。

「完全に失われたわけではないかもしれない。いざなぎ流は口伝により継承されるが、大夫や博士の当事者は術を行うためのメモ書きを作っているものだ。神崎先生はこの谷に伝わる面や弓などの祭具を手にしただけでなくそうしたメモ書きを読み解いて自身がいざなぎ流の祭祀を行うことが出来るようになったのかもしれない。そしてそれは師匠による注意事項がないだけに危険もともなうものだ。」

僕は、神崎先生が子供たちに送り付けた面にメッセージ性の高い思念を張り付けていたことを思い出した。

「それでは、神崎先生はもっと高度な術も使える可能性があるというのですか」

「私の父が継承したくない術があると言っていたことを覚えているかな。いざなぎ流は決して綺麗ごとだけの流派ではないからな」

僕はもう一度民家に目をやったが、荒れ果てた民家は草に埋もれて寒々とした雰囲気でたたずんでいるばかりだった。

それはさておき、僕たちが最初に遭遇した男性と出会えたことは幸運だったようだ。

男性は心当たりの人々に次々と携帯電話で連絡を取り、栗田准教授に紹介してくれたのだ。

一見無人に見えた集落内の果樹園や納屋、そして家の中では集落の人々が生活しており、集まってきた人々から神崎先生に関する情報を得ることが出来たのだ。

最終的に僕たちは神崎先生が調査に来た際に定宿にしていた民宿に泊めてもらうことになった。

民宿は柴集落の下流にあるダム湖にほど近く、学校などもある大きな集落にあり、西村屋という看板までかかっている。

「ネット検索してもこの辺には旅館とか全く無かったのに、営業している民宿があるのですね」

僕が感心して言うと、栗田准教授も感慨深そうにつぶやいた。

「昔のダム工事の時に民宿として営業を始めた家が、その後も細々とではあるが営業を続けていたのでしょうね。」

民宿の奥さんは神崎先生が宿の常連だったと言い、神崎先生が行方不明になった日時の直前まで宿泊していたことを宿帳で確認してくれた。

僕たちは、翌日からの捜索の手掛かりを得て期待を持つことが出来た。

翌日への希望があると気分はよくなるもので僕たちは上機嫌で食事をとることになった。夕食は近くで養殖しているというニジマス料理がメインだ。

「期待値を上回るいい旅館ですね。父は調査のついでにこんな隠れ家的な宿に泊まって楽しんでいたのですね」

恭介さんが言葉とは裏腹にうれしそうにしているのを見て、栗田准教諭が答えた。

「フィールドワークに出かけるときの楽しみの一つですよ。今日は神崎先生の足跡が辿れてよかったですね」

恭介さんは、ゆっくりとうなずいた。

食事の後入浴を済ませ、僕と山葉さんはあてがわれた部屋でくつろいでいた。集落の高台にある宿からはダム湖の湖水も眺めることができ、恭介さんの言葉通り隠れ家的な宿で静寂を楽しんでいる気分だ。

その時、僕は誰かに呼ばれたような気がして周囲を見回した。

僕の前で窓辺の縁側に置いたラタンの椅子に腰かけていた山葉さんも怪訝な表情で周囲を見回している。

「今誰かに呼ばれたような気がしましたよね」

「私もそんな気がしていたところだ」

僕たちは互いに思っていたことを口にするが、呼ばれている感覚は何か大切なことがあるので急いでいかなくてはと心に直に響くようで、じっとしていられないくらいだ。

その感覚は訪れた時と同じように唐突に消失した。

「今のは何だったのでしょうね」

「私にもわからない、さながら声なき『呼び声』といったところだな。ウッチーと私が同時に感じたからには何らかのメッセージかもしれないが、詳細は全く分からなかった」

僕は山葉さんに尋ねるが、彼女も首をひねるばかりだ。

結局、それ以上何をすることもできなくて、僕たちは『呼び声』の原因究明をあきらめたが、しばらくすると、部屋のドアをノックする音とともに栗田准教授の声が響いた。

「内村君、山葉さん、恭介さんがいなくなってしまった」

山葉さんは僕に振り返ると言った。

「もしかしたら、彼もあの『呼び声』を聞いて声の主を探しに行ったのかもしれない」

僕は自分が感じた切迫した欲求を思い出していた。

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