第275話 川辺の頭蓋骨
僕と山葉さんは外出準備をしてから栗田准教授と共に恭介さんの捜索を始めたが、彼の足取りはつかめない。
「栗田先生、恭介さんがいないことに気が付いたのはいつ頃なのですか」
僕が質問すると栗田准教授は、僕たちが宿泊している民宿西村屋の玄関口を振り返りながら答える。
「僕が風呂に入って出てきたら部屋にいなかったので、最初はトイレに行ったか、近所の散歩に出かけたくらいに思っていたのですが、しばらくたっても戻ってこないので宿のフロントに彼を見かけなかったか聞いたのです。宿の女将さんの話では三十分ほど前に彼が外に出るのを見たが、ふらふらと歩く様子が危なっかしかったので酔っているのではないかと心配だったと言っていました」
その後に僕たちの部屋に来たわけなので、こうして宿の外に出てきた今は既に一時間ほど経過していると思われた。
「先生、闇雲に捜索しても無駄が多くなる可能性があるので、私の父にいい方法がないか相談してみます」
山葉さんは栗田准教授に告げると自分のスマホで通話し始め、僕と栗田准教授は民宿の前の狭い道路を見ながら嘆息するほかなかった。
「私の父が人探しのための心強い援軍を連れてきてくれるそうです」
山葉さんの言葉を聞いて栗田准教授は安心した様子だったが、僕は一体誰を連れてくるのか半信半疑だ。
しばらくして、軽四輪トラックが僕たちの前に止まり、アフロヘアの男性が運転席のドアを開けて降り立った。
「お父さんありがとう」
山葉さんが声をかけると彼女の父、孟雄さんはニッと笑顔を浮かべる。
「お隣に頼んでこの子たちを借りてきたよ」
孟雄さんは軽四輪トラックの荷台に積まれた二つの木箱のようなものを開けながら話す。
扉が明けられた瞬間、箱の中から茶色い塊が飛び出した。
孟雄さんが続けてもう一つの箱も明けるとそちらからも同様な何かが飛び出してくる。
「カイにセイラ」
山葉さんが嬉しそうにつぶやいた。孟夫さんが連れてきたのは山葉さんの実家のお隣が飼っている犬だった。
カイとセイラは四国犬という地域の固有の犬種で柴犬より一回り大きい。
柴犬系の顔立ちだが、大柄で野性味を残した風貌はオオカミに似ていると言えなくもない。
しかし、軽四輪トラックの荷台から飛び降りた二頭はなんだかぐったりした様子でよだれを垂らし、山葉さんの前にへたり込んだ。
「なんだか元気がないみたいですね」
僕がつぶやくと、孟雄さんは頭をかいた。
「普段車に乗せないから乗り物酔いしたみたいだね。よだれの臭いがすごいよ」
いつもと違う様子の犬たちを見て僕は心配だったが、二頭は車から降りると急激な回復を見せた。
「この二頭に恭介さんの臭いをかがせて臭跡を追わすということなの?」
「うん。何かその人が身に着けていたものがあればその臭いを頼りに探してくれるはずだ。」
孟雄さんは、カイとセイラにリードを付けながら説明し、栗田准教授は恭介さんが部屋に残した品物を探すために民宿に引き返した。
栗田准教授は恭介さんが部屋に残していた彼の上着を見つけたので、僕たちはそれを頼りに捜索を始めた。
臭跡をたどるのはセイラが得意のようで自信のある雰囲気でリードを持つ孟雄さんを引っ張っていく。
僕がリードを持つカイは、セイラの周りをうろうろして邪魔をしそうな雰囲気だ。
僕たちはセイラに導かれて集落を出ると橋を通ってダム湖の対岸に渡り、昼間訪れた柴集落に通じる道に足を踏み入れた。
すでに日は暮れていて周囲は暗く、街灯すらない道は一人で歩くのは躊躇する雰囲気だ。
やがて、セイラは曲がりなりにも自動車が通行できる舗装道路から外れて、人一人が通るのがせいぜいな道幅の山道に足を踏み入れた。
月明りの中で山道を歩くと危険が伴う。足元が見えないうえに、夜露で湿った落ち葉は滑りやすい。
「山葉さん滑らないように気を付けてくださいね」
「うん、一応用心しているよ」
僕が声をかけた時に、山葉さんがいつになくまともに返事をするのが妙に心配だったが、犬のセイラは臭跡に集中している雰囲気で山道を登っていく。
やがて、山道はそのまま尾根を目指して登っていく道と、斜面の下に続く道に分かれた。
セイラはそのまま尾根に続く道を登ろうとしたが、僕がリードを持ったカイは斜面の
下のほうに続く道に進もうとする。
「犬たちの意見が分かれたみたいですね」
僕がつぶやくと、孟雄さんは平静な表情で告げる。
「臭いの主は分かれ道の片方を歩いてから、途中で引き返して別の道に入ったのかもしれない。臭跡をたどる犬にしてみればこんな反応を示すこともあるはずだ。二手に分かれて探してみよう。何かあったらスマホで連絡してくれ」
孟雄さんに言われて、僕と山葉さんはカイと一緒に斜面の下に通じる道に向かい、孟雄さんと栗田准教授は斜面を登っていく道を進むことになった。
カイに案内されて斜面を下り、しばらく歩くうちに僕と山葉さんは渓流のほとりに出ていた。
川幅は狭いが水量が豊富な流れと大きな岩が多い川岸に降り立つと、カイは足を止めて周囲を嗅ぎまわっている。
「もしかしてこの辺りに、恭介さんがいるということなのでしょうか」
僕が尋ねると山葉さんは無言で周囲を見回してから答える。
「恭介さんが近くに身を潜めているとは思えない。例えば、恭介さんがここまで来たけれど、川辺に来たことに気が付いて、引き返したということではないのかな」
それは合理的な説明に思えた。往復した臭跡と、素通りしていった集積では往復した臭跡が臭いが強いために、カイがそちらに引き寄せられた可能性もある。
「そうかもしれませんね。引き返してセイラが案内した栗田准教授たちに合流しましょうか」
僕の提案に山葉さんはうなずいたが、犬のカイはすんなりと元の道引き返そうとはしなかった。
周囲の地面をかぎまわっていたかと思うと、川べりの地面を掘り返し始めたのだ。
「カイ、セイラ達のところに行こう」
僕はカイの首輪につながるリードを引っ張って、山の上に続く道に連れて行こうとしたが、買いは脇目もふらずに地面を掘り続けている。
その時、僕はカイが掘り続ける地面に白い骨のようなものが見えることに気が付いた。
「山葉さん、カイが掘っているところに骨のようなものが見えますけど」
山葉さんは持っていたトートバックからペンライトを取り出すと、カイが掘りだして加えているものを照らした。
ライトに照らされて白い骨が闇に浮かび上がり、その骨の大きさがちょうど人間の二の腕の骨くらいの大きさだとわかる。
僕は行方不明になっている神崎先生を思い出して、血の気が引く思いだった。
「カイ、それを離せ、かじってはだめだ」
僕はカイのくわえていた骨を取り上げたが、カイはさらに勢いを増して地面を掘り始める。
そして、僕はカイが掘る地面に黒く眼窩が陥没した頭蓋骨があるのに気が付いた。
僕が必死の思いでカイのリードを引っ張って遠ざける間に、山葉さんは半分ほど掘り出されていた頭蓋骨を手に取ってペンライトで照らす。
「この頭蓋骨は」
山葉さんは土に埋もれていた頭蓋骨を引き上げると、ペンライトで照らして呟く。
「シカのものだな」
その頭蓋骨には枝別れした見事な枝角が付いていたのだ。
「この馬鹿犬!」
山葉さんがシカの頭蓋骨を投げつけると、さすがのカイも雰囲気を察して逃げ惑った。
「こりゃ、せっかく借りてきたご近所の犬をいじめたらいかんぜ」
不意に響いた声に振り替えると、山の上から孟雄さんと栗田准教授がセイラを伴って河原に降り立ったところだった。
「お父さん、カイが途中からシカの死体をかぎつけたみたいで、恭介さんの臭いを見失なったんだけど」
「そうか、セイラがたどった臭跡は途中で途切れていたみたいだ。早い話が途中で引き返してこちらに来たとみるべきだろう」
セイラは賢そうな顔で川の流れのあたりで臭いをかいでいる。
僕がそちらに気を取られた一瞬のうちに、カイはリードを付けたまま走り出し、リードは僕の手をすり抜け、カイと共に闇の中に消えた。
「カイ、どこに行くんだ」
僕はリードを離してしまった自分の失態を呪いながら、カイの後を追って暗闇を走った。
カイは川の流れに沿って上流へと走り、僕は必至でその後を追う。
やっと、カイが立ち止まった場所にたどり着くと、そこには月明りの下で草地に横たわる人の姿がうすらと見えていた。
その人が来ている浴衣や丹前は、僕たちが宿泊していた西村屋のものだった。
「恭介さんだ」
僕は、ふんふんと臭いをかいでいるカイと一緒に、倒れている恭介さんを覗き込んだ。
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