第263話 復讐の炎

ロッカーから突然死体が転げ出たことで楽屋内は騒然となり、ロビーで爆発物を探していた町田さんが呼び戻された。

死体を一目見た町田さんは、居合わせた劇団員や僕たちを死体発見現場から遠ざけた。

「鑑識が来るので、ここには近寄らないように。劇団関係者はこちらのスペースに集まってください」

僕は指示にしたがって移動しながら町田さんに尋ねた。

「その人はいつ殺されたかわかりますか」

町田さんは死体を振り返りながら、小声で答えた。

「死斑が現れているから少なくとも6時間、おそらく10時間程度は経過しているでしょう。体温を測ればもっと正確な時間を推定できます」

死斑とは血液の循環が止まったために死体の下側の表皮に血液が溜まって斑点状に見える状態をいう。

死斑の状態は最初は小さい斑点状だが時間の経過とともに融合するなどして変化していくので、警察関係者はそれを見ただけである程度は死後の経過時間を推定できるらしい。

「それではあの人は昨夜殺されて、劇団関係者がいない間にあのロッカーに運び込まれた可能性が高いのですね」

「そういうことになりますね。爆破予告との関連の有無を含めて身元を早く確認しなければ」

僕の質問に、町田さんは当然のように短く答えた。

騒ぎを聞きつけたらしく、鴨志田さんと藤堂さんは相次いで楽屋に戻ってきて、死体を目の当たりにして顔色を変える。

「これは一体」

「内村さんが何かの気配を感じて発見しました。その人に面識はありませんか?」

言葉を失っている鴨志田さん達と比べて、町田さんは冷静に情報を集めようとしている。

鴨志田さんは無言で首を振ったが、藤堂さんは死体の顔を見てぽつりとつぶやいた。

「人相が変わっているので自信がありませんが、以前この劇団に所属していた木下くんだと思います。」

死体は絶命した時の苦悶の表情を浮かべており、生前の様子を思い浮かべることは難しく思えるが、知り合いならばどうにか判別できるものらしい。

「失礼ですが、藤堂さんは今回の爆破予告の要因となったシナリオを書かれたのですよね。木下さんにシナリオについて脅迫されて思い余って首を絞めたのではありませんよね」

町田さんは、日ごろの人当たりの良さをかなぐり捨てたように単刀直入に藤堂さんに質問をぶつける。

藤堂さんは町田さんの言葉の意味を理解すると、慌てて説明した。

「とんでもない、木下君とは面識があると言っても彼が劇団に所属していたのは10年以上前のことです。それ以後は全く音信がありませんでした」

町田さんが楽屋に来た部下に手短に指示すると、部下の刑事は足早に部屋から出て行った。鑑識を含めた応援を要請するためのようだ。後に残された町田さんは腕組みをして藤堂さんに尋ねる。

「木下さんが劇団を辞めた経緯はご存じないですか」

藤堂さんはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと話し始めた。

「木下君とは大学の演劇サークル時代からの知り合いです。彼は演劇だけではなく政治的な活動をするグループにも出入りしていました。それ自体は珍しいことではないのですが、彼の場合、何事ものめりこむ感じだったので反政府的な活動をして犯罪行為に手を染めるのではないかと周囲が心配していました」

町田さんが目を上げた。

「それは爆発物を使ったテロ活動などのことですか」

藤堂さんはゆっくりとうなずくと話を続けた。

「それでも、彼は演劇を続ける道を選んだようで、何時しか政治的な活動とは縁を切り私たちと一緒に演劇活動に打ち込むようになりました。アマチュアの劇団ではありますが彼と私が競ってシナリオを書いて上演をし、どちらのシナリオもそれなりに評判が良かったのです」

それまで黙っていた山葉さんが藤堂さんに尋ねる。

「あなたは木下さんと競ってシナリオを執筆していた訳ですよね。木下さんが爆破予告犯人だとは決まったわけではありませんが、今回脅迫を受けたシナリオがその当時に木下さんが書いたシナリオに似ているということはありませんか」

藤堂さんは即座に答える。

「競い合っていた相手の作品を自分の著作物として使うということは、著作者にとっては負けを認める以上に屈辱的なことです。私は死んでもそんなことはしません」

藤堂さんはプライドが高そうな雰囲気だが、そこには裏付けとなる自負があるらしく山葉さんの質問に動じることなく話を続けた。

「やがて、社会人になってからも私たちは演劇活動を続け、一緒にこの劇団に加わることになりました。大道具の小林君とはそのころからの知り合いです。木下君は同時期に入団したこともあり最大の競争相手だったのですがその反面互いに認め合っていたと思います。しかし、そんなときに楽屋で現金や貴重品の紛失が相次ぐようになりました」

町田さんも僕達も無言で話の続きを舞っていたが、新たに到着した制服警官や鑑識担当者が静寂を破った。

「警部、犯人の逃亡を防ぐために劇場を封鎖することもできますがどういたしますか」

制服警官が指示を求めたので、町田さんは鴨志田さんの顔を見ながらゆっくりと警官に告げた。

「劇場に爆発物が仕掛けられている可能性が高いので、観客の避難を優先しよう。防犯カメラの映像をもとに個別の観客の足取りをたどることも可能だからな」

警察官が敬礼をして外に去ると、町田さんは鴨志田さんに問いかけた。

「二回目の公演は中止にして、爆発物を徹底的に捜索するということでよろしいですね」

鴨志田さんは無言でうなずき、町田さんは再び藤堂さんに目を戻した。藤堂さんは再び話を始める。

「大きな劇団と言っても、主役級の劇団員でなければ演劇だけで食べていくのは難しいものです。仲間内で犯人捜しをすることはなかなかできない雰囲気だったのですが、ある日盗まれた財布が現金を抜かれた状態で木下君のカバンの中から発見されたのです。彼は最初は否定していましたが周囲の冷たい態度に耐えられなくなったのかやがて劇団を辞めて去っていきました」

「それでは、木下さんが犯人だったのですか」

僕が尋ねると藤堂さんは大きなため息をついて、首を振った。

「木下君が劇団を去った後、しばらくの間は、貴重品の紛失事件はなくなっていたのですがやがて、また財布などが無くなる事件が起きるようになりました。その時私たちは木下君に濡れ衣を着せてしまったことに気が付いたのです。おそらく本当の犯人が自分への嫌疑をそらすために木下君のカバンに中身を抜いた盗んだ財布を入れていたのに、私たちは真犯人の思惑通りに木下君を犯人と思い込んでしまった」

藤堂さんはやるせないような表情で床を見つめている。

「その時点で木下さんと連絡を取って彼の名誉を回復することはできなかったのですか」

僕が尋ねると藤堂さんは遠い目をしてつぶやいた。

「私は彼と連絡を取ろうと試みたのですが、その時にはすでに彼との接点はなくなっていました。こんな形で再会するとは」

藤堂さんが言葉を途切れさせた横で、警察の鑑識の人々は黄色いテープで現場を囲い、死体の周辺をブルーシートで覆っていた。

「小さな窃盗事件でも我々に相談していただければよかったですね。捜査に入るだけで抑止効果もあったはずですよ」

町田さんは冷ややかに告げるとブルーシートの覆いから出てきた警察官の報告を聞いている。警察にしてみれば劇場全体を立ち入り禁止にして証拠物件を押さえたいに違いない。

「所持品から木下雄二さんと判明しました。あなたが話されていた木下さんと相違ありませんね」

藤堂さんは力なくうなずき、劇場の支配人と二回目の公演中止の相談をしていた鴨志田さんは、周囲を囲んでいる劇団員に尋ねた。

「先ほど発見された死体は、かつてこの劇団に所属していた木下さんだとわかりました。誰か昨日から今日にかけて木下さんを見かけた覚えはありませんか」

劇団員の多くは猫の衣装を身に着けている。猫耳をつけたまま首を傾げていた女性が自信なさげに言った。

「その人だったか自信ありませんが、昨日の晩に駅近くの高架下の居酒屋で大道具の小林さんが見かけない人と飲んでいるのを見ました。」

鴨志田さんは藤堂さんと顔を見合わせた。

「もう閉幕が近い時間だからから小林君の仕事は終わったはずだ。誰か小林君を探してくれ」

鴨志田さんの声に反応して、出番が終わった劇団員があちこちに散っていくのが見えた。



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