第262話 舞台裏の光景
僕は沸き上がったような異臭に気を取られていたが、自分の中に冷たい怒りの感情が沸き起こったことに気付いた。
怨嗟の念は劇団に向けられていた。
自分を冷遇した劇団に対して抑えきれない怒りが燃え上がったのは、かつて自分が書いた時は一顧だにしなかった自分の小説のあらすじを脚本家の藤堂が新作シナリオに盗用したことを知ったからだ。
劇団に警告の手紙を送ったにもかかわらず、完全に無視した劇団の経営陣は新作の「猫の王」の公演に踏み切り、自分の怒りは沸騰した。
それゆえ、警告通りに爆破してやろうと決心し、舞台と客席を一瞬で炎に飲み込む時限装置を作り上げたのだ。
劇団キキの人気作は一日に二回公演することも多く、夕方に行われる二回目の公演がより観客の入りも多い。そのため、爆破実行は観客動員が増えてくる初演の次の週末、二回目の公演の終わりに差し掛かった時に引き起こすことにした。
爆発によって起きる惨事を想像してほくそ笑む気持ちに僕は強い違和感を覚えて我に返った。
僕の手は電流に触れたように硬直し、脅迫状が入った袋はふわりと宙に舞ったが、床に落ちる前に町田さんが受け止めた。
「どうしたのだ、ウッチー?」
山葉さんが立ちすくんだままの僕に尋ねるが、僕は即座に答えることが出来なかった。
僕は脅迫状に残っていた犯人の思念に触れたのだ。
嫌な物に触れたどころではなく、自分の心が大量殺人を企てる人間の思いに同化したことに、体が拒否反応を起こしたように硬直したまま動けない。
居合わせた人々が注目するなかで、僕はどうにか口を開いた。
「大変です。爆発物が仕掛けられているのは本当のようです。爆発物は今日の二回目の公演の最後の部分で爆発するようにセットされています」
舞台監督の鴨志田さんは顔色を変えて僕に詰め寄った。
「本当ですか?もし本当なら観客の避難誘導を始めないと」
その横で脚本家の藤堂さんは懐疑的な雰囲気で呟く。
「手紙に触れただけでそんな事が解るわけがない」
大道具の小林さんは無言だが、青い顔をして額に汗を浮かべている。
劇団関係者の三人が半信半疑な雰囲気で狼狽えるのと対照的に町田さんは目付きを鋭くして僕に尋ねる。
「爆発物の種類と設置場所はわかりませんか」
僕は今しがた自分の心に浮かんだ爆発物の概要を懸命に思い出す。
「比較的少量のプラスチック爆薬に時限発火装置をセットしてガソリンと一緒に耐圧容器に詰めています。起爆したらプラスチック爆薬の爆圧によって容器の弱い部分からガソリンが気化しながら噴出し、初期の爆発の炎から引火することで広大な範囲が炎に包まれます」
「エアロゾル爆弾のような構造なのですね。設置場所はわからないのですか」
僕は爆弾の設置位置に関する情報がなかったかと、犯人の思念から伝わった情報を思い出そうとするが、場所については僕に伝わった思念には含まれていない。
「場所についてはわかりません」
町田さんは僕の様子を見ると、鴨志田さんに告げた。
「署に応援を頼もうと思います。よろしいですね」
「お願いします。劇団の社長も危険がある場合は人命を最優先しろと言っていましたから、公演を中断して避難誘導を始めましょう」
鴨志田さんは劇団のスタッフに指示を出すつもりらしく楽屋に続くドアを開こうとするが、町田さんは鴨志田さんの腕をつかんで引き留めた。
「待ってください。観客が出口に殺到すると爆発物の捜索が難しくなります。内村さんの言うことが正しければ二回目の公演の終盤に爆発の時刻が設定されているはずなので、最初の公演中に爆発物を捜索し、観客は通常通り公演終了後に劇場を出てもらいましょう。その時点で爆発物が見つからなければ二回目の公演の中止を発表して観客を入れないようにすればいい」
「彼の言葉をそこまで信じることはできない。私は観客の安全を図りたいのです」
鴨志田さんは抗議するように町田さんを見返すが町田さんも譲らなかった。
「爆弾がいつ爆発するかわからないとすれば、その場所を確定することが先決です」
二人はしばらくにらみ合っていたが、最後に鴨志田さんが折れた。
「そこまでおっしゃるなら、一回目の公演が終わるまでの間は爆弾の捜索をしてください。ただし閉幕までに見つからなければ観客の避難誘導をはじめます」
町田さんはうなずくと、スマホで自分の警察署に連絡を取ると応援を頼み始める。
鴨志田さんも藤堂さんと小林さんを振り返ると言った。
「我々も楽屋内を捜索しよう。」
藤堂さんはうなずくが、小林さんは汗を浮かべた顔で鴨志田さんに言った。
「私は終盤に向けた大道具の手配があります」
「わかった。小林君は舞台の仕事に戻ってくれ」
小林さんは心なしかよろよろとした足取りで楽屋に向かい、鴨志田さん達もそれに続く。
山葉さんは鴨志田さんに呼び掛けた。
「あの、私たちも捜索に協力しましょうか?」
鴨志田さんは僕たちを振り返ると、遠慮がちに言う。
「さすがに、爆発物の捜索まではお願いできませんよ。どうぞここでお待ちください」
彼の言い分はもっともだが、僕は食い下がった。
「僕は爆発物の形状がある程度見当がつきます。一緒に探させてください」
鴨志田さんは足を止めて僕の顔を見る。
「わかりました。それでも、爆発物らしきものを見つけたら触らないで私たちに連絡してください。少し動かしただけで爆発してしまうかもしれませんからね」
鴨志田さんの言葉にうなずいて僕は山葉さんと一緒に楽屋の捜索に加わった。
舞台裏のスペースから俳優の控室までの楽屋には、大道具が置いてあったり、出番前の役者さんが待機していたりで雑然としている。
僕と山葉さんは舞台裏のあたりから捜索を開始した。
「間違って舞台に顔を出さないでくださいね」
藤堂さんが温厚な雰囲気で僕たちに告げて舞台の上の照明などを支える梁への梯子を登っていく。
舞台の真上にも演出効果のために足場が設置されているようだが、僕たちには昇り方すらわからない。
「山葉さんは劇場の外に出ていませんか。もしも爆発が起きたりしたらあぶないですから」
彼女はゆっくりと首を振ると、僕の目を見つめた。
「それならば、ウッチーも一緒に安全圏に退避してくれ。ウッチーだけが危険にさらされるのは私がいやだ」
僕は彼女が真剣に言っていることを理解して答えた。
「わかりました。一緒に探しましょう」
僕達は舞台の周辺を中心に爆発物を探し始めたが、勝手がわからない場所でやみくもに探してもあまり効果は上がらないものだ。
めぼしいものが見つけられなくて僕達は楽屋に戻ったが、楽屋の隅に置かれたロッカーの前を通った時に、僕は覚えのある臭いを嗅いだ気がした。
それは、ウイスキーと煙草の香りが混ざりあい饐えたような臭いだった。
僕はその匂いを嗅いだのが、爆破予告犯の思念に触れた時だったことに気が付き、僕達と同じく楽屋に戻ってきた鴨志田さんに声をかけた。
「このロッカーを開けてもらえませんか」
楽屋のロッカーの中に爆発物を設置したとしても、観客席まで被害を及ぼすことは難しい。
鴨志田さんは怪訝な表情で僕を見たが、それでもロッカーに近寄るとその取っ手に手をかけた。
彼がロッカーの扉を開けると、重く湿った音とともに何かが床に投げ出される。
それは人間の体だった。中年の男性は目を見開いたまま身じろぎもせずに横たわっており、楽屋に居た人々から悲鳴が聞こえる。
その男性は、一見して生きているとは見えなかったからだ。その首には細いひもがきつく食い込み、口から膨れ上がった舌が飛び出していた。
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