第227話 関ヶ原前夜

僕と真由美さんがぎごちなく挨拶を交わしているところに、山葉さんが顔を出した。彼女はいつの間にか巫女姿に着替えており由香里さんを手招きする。

「そろそろ始めましょう。お友達の方もよろしいですね」

由香里さんはうなずきながら山葉さんに告げる。

「待っている間に、私の母から連絡がありました。あの同田貫にまつわる話を祖母に詳しく聞いたと言うのです」

「ほう、どんな話だったのですか」

山葉さんは腕組みをして尋ねる。そのしぐさと喋り方が以前の彼女に似ていたので僕は少し胸が痛む。

「江戸時代の初めから明治に至るまでにあの同田貫を修復しようとした先祖がいたのですが、その人はなぜか色恋に狂い、それでも満足することなく酒におぼれて身を滅ぼしたと言うのです。そのため決して触ってはならぬと言う言い伝えのみが私の両親まで伝えられていたのです」

「ふむ、それならば尚更、「すそ」と呼ばれる穢れを取り除く取り分けの儀が必要になりますね。今日は五色の王子を使ってみましょう」

山葉さんは刀にまつわる呪いのような話を聞いても気にもしない素振りで由香里さんをバックヤードに案内するが、真由美さんをはじめ大勢の女性が後に続くのを見て目を丸くした。

「お友達ってこんなにいたんですか」

「そうみたいですよ」

僕は苦笑するしかなかった。

山葉さんはいざなぎの間に「みてぐら」をしつらえて祈祷の準備を整えていたが、式王子として五色の王子を使うために、新たに和紙を切って作ることになった。

由香里さんの呼びかけに反応して集まった刀剣女子たちは、いざなぎの間に集まるとうちとけてきたようで、互いにひそひそと話すようになった。

由香里さんと真由美さんを含めて8名の見学者の目の前で山葉さんが自分の日本刀を抜き放つと、ギャラリーからざわめきが上がる。

「すごい大刀ですね。なんという銘なのですか」

真由美さんが僕に尋ねるが、僕はその刀の銘など知る由もない。

「実戦に使われた刀なので名前は伝わってないみたいです」

僕が役に立たない説明をしている間に、山葉さんは一枚板の作業台の上で日本刀を振り回して和紙を切り始めた。

ギャラリーが多いためにスペースが狭く、危険を感じた僕は由香里さんたちに少し後ろに下がってもらう。

僕は時折、式神や式王子を作る時に、和紙に定規を当ててカッターで切るわけにはいかないのかなと素朴な疑問を覚えるが、山葉さんの前で口にする勇気はない。

やがて、式王子を作り終えた山葉さんは五式の王子の祈祷を始めた。彼女に言わせると本来は一日がかりで行われる取り分けの儀のエッセンスの部分を取り出した祈祷だ。

取り分けの儀では、「すそ」と呼ばれる穢れの類、今回ならば刀にまつわる呪いのような想念を「みてぐら」に集め、不動からめの縄で縛って封印した後に人の手が触れることのない土中深く埋めてしまう。

日本刀を置いて五式の王子の幣を持った彼女は、詠唱を続けながら緩やかに舞った。

ひとしきり祈祷が続いた時、僕は「みてぐら」の前に置かれた日本刀の同田貫がカタカタと振動し始めたのに気が付いた。

僕の隣にいた由香里さんは立ち上がると魅入られたように近づいて同田貫を手に取ろうとする。

「今その刀に触わってはダメだ」

僕は危険を感じて彼女を引き留めたが、同田貫は振動するだけに留まらず、甲高い金属音を立てながら白い光を放ち始めた。

やがて、金属音がひときわ高くなる中で、僕は白い光に飲み込まれていった。

ホワイトアウトした視界に加えて上下の感覚も定かでない。そして手足を動かそうと思っても自分の手足自体が知覚できなかった。

やがて、おなじみになった見当識を喪失する感覚の後に、僕は自分が仲間と共に主君の大阪屋敷を目指していることを思い出していた。

主君の日田藩主小笠原玄之助公が招集した兵は千に満たないが、それでも遠く離れた大阪に辿り着くためには夥しい量の糧食が必要だった。

今や糧食も尽きかけ、疲れ切った兵を率いるのは玄之助公の嫡男の小笠原生真、自分が幼少のみぎりから共に学び、今は忠誠を誓う主君だ。

日も暮れた頃に一行はどうにか、日田藩大阪屋敷に辿り着いた。

藩邸と言っても、小藩のそれは中程度の商人の屋敷にも及ばない。足軽たちは軒の下にも入れないありさまだ

自分は縁側の隅に居場所を見つけて、そこで仮眠を取ろうと思っていると屋敷の女官が声をかけて来た。屋敷の中の家来衆に配っていたのか、握り飯をのせた盆を抱えている。

「晴雅殿ここにいらしたのか、さがしましたぞ」

その声には聞き覚えがあった。

「およね殿、若君の奥方がそのように家来衆を世話をすることもあるまいに」

およねは日田藩の家老の娘で、晴雅とは幼なじみだ。無論、生真君とも幼なじみであり、生真君の元服の後に正室に迎えられたのだ。

「屋敷中がおなかを空かせた武者であふれていると言うのに、手をこまねいてみているわけにはいきませぬ。殿も家来衆に気を遣って私を近づけようとせぬゆえ丁度良いのです」

およねは盆にのせた握り飯を晴雅の前に押し付ける。晴雅は遠慮なく一つ手に取った。

「日田藩から夜に日をついで行軍してきたのに、明朝には出立すると言うのは本当なのか」

およねが気がかりそうに尋ね、握り飯が口に詰まっていた晴雅は無言でうなずいた。

「せめてここで休養を取らせてやりたいのに、気の毒じゃのう」

口の中の物をどうにか飲み込んだ晴雅は、自分の気がかりなことを口にする。

「三成殿は西軍に付いた大名の家族を大阪城に呼びつけると聞いたが本当か」

およねはゆっくりとうなずいて言う。

「明日には私も大阪城に入らねばなりませぬ」

晴雅は憤懣やるかたない表情でつぶやいた。

「何故そのようなことをするのかのう。折角味方に付いた大名方の家族を人質にとるような真似をすれば人心が離れるのは誰の目にも明らかであるのに」

晴雅はちらとおよねの顔を見てさらに握り飯に手を伸ばす。

晴雅はかつておよねに懸想していたが、主君となる生真君の正室となったからには仕方がないとあきらめていた。

しかし、それは建前の上の事。本当の気持ちは今も収拾がついていないが、それをおよね本人に悟られるわけにはいかない。

「寧々様はできたお方と聞く、私たちを呼びつけても粗相にはするまい。晴雅殿こそ若君をちゃんとお守りしてたもれ」

当たり前の話だが、およねは出陣する夫の身を案じて腹心の部下とも言える晴雅に頼んだのだった。

しかし、およねの言葉を聞くと晴雅の胸中は複雑だった。

「もちろんじゃ、拙者の命に代えても生真殿をお守りいたす」

どうにか型通りの返事をかえすと、およねは満足した表情で会釈し、盆を抱えて足軽たちの方に向かった。

およねの後ろ姿を見送りながら晴雅は忸怩たる思いだった。

数日のうちに、数十万の兵を擁する東西両軍が激突する未曾有の合戦が始まるというのに、主君の奥方に気を引かれている自分は何と不様な体たらくだろうと思い、晴雅は自らを叱咤して戦いに臨むしかなかった。

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