第228話 長い一日

関ヶ原には驟雨と霧が立ち込めていた。晴雅は周囲の兵の戦装束を見るともなく眺めていた。

日田藩の兵は日ごろは田畑を耕して暮らしているものがほとんどだ。

戦となれば家に伝わる武具を取り出して、主君のもとに馳せ参じるのだ。

それ故、鎧や槍、刀等の武具も色褪せたものが多く、どこかみすぼらしい印象が付きまとう。

晴雅が大阪で見た豊臣方の有力大名の兵は専業の武士として食っている輩で、統一された武具をまとった精強な兵士はいかにも強そうだった。

そして、日田藩に出兵を要請した近隣藩などは、いつの間にか戦線を離脱して連絡が取れず、日田藩の兵は島津家の預かりのような形で戦にのぞむことになったのだ。

天下分け目の戦と言っても、小藩の兵などは大きな流れに巻き込また木の葉のようなものだった。

やがて、日が高くなるにつれて雨も止み、周辺の地形が明らかになった。

「聞いたか晴雅、我らを率いる島津殿は東軍としてこの戦に参戦するつもりであったらしいぞ」

傍らにいた生真が晴雅につぶやいた。主君と言えどもそこにいるのは幼少のみぎりから一緒に暮らして来た友に他ならない。

「拙者も聞き及んだ。伏見城の鳥居元忠が鉄砲まで打ちかけて城に入れなかったそうじゃのう。結局城から締め出されて石田三成以下の四万の大軍に取り囲まれた島津軍は西軍に加わるほか生きる道がなかったのであろう」

伏見城はその直後に西軍に攻め落とされている。

加勢に来た軍勢さえ信用出来ない城主の末路は哀れなものだった。

日が昇り、視界が開けたことで戦端が切られ、東軍は勢いよく攻めかかるが、石田三成、小西行長、宇喜田秀家らの軍は地の利を生かして有利に戦を運んだ。

そして、島津の軍勢は動かない。攻め寄せる東軍の軍勢に鉄砲を撃ち放って撃退することを繰り返し丘の中腹の陣地に張り付いている。

昼近くなって、生真のもとに伝令が駆け寄った。斜面の少し上の本陣から知らせを持ってきたのだ。

「晴雅、殿からの下知だ。打って出るぞ」

戦況有利と見た玄之助公は戦いに参加して戦功をあげるつもりなのだ。

日田藩の兵は一段となって山を下った。

宇喜田秀家の軍勢の脇を固める形で戦場に乗り込み、鉄砲足軽が斉射を仕掛けるたびに敵の軍勢は損害を出し、引いていく。

勝ち戦の雰囲気の中、このままさして損害も出すこともなく勝ち組に入れたなら悪くないなと晴雅が考えていた時、戦況は動いた。

「小早川の軍勢が寝返ったようです」

前線から戻って来た物見が息を切らせながら晴雅たちに告げる。

優勢に見えた西軍は小早川勢の裏切りのために一気に劣勢に追い込まれ、あっという間に敗走を始めた。

しかし、大軍を擁する毛利勢や他の大名の手勢は陣を張ったままで動く気配がない。

「晴雅、引くぞ。殿を守って伊吹山方面に逃げよう」

「分かった。拙者がしんがりを務める」

西軍のほとんどは潮のように退き始め、石田三成や宇喜田秀家の本体だけが踏みとどまって戦おうとしていた。

晴雅は鉄砲足軽と武者数人を率いて退く本体を追撃する敵から守るつもりで、戦場の中ほどに踏みとどまった。

鉄砲足軽を前面に並べてその後ろに槍を持った足軽を配置するが、総勢20名ほどの手勢でどこまで敵を引き留められるかはわからない。

晴雅の鉄砲隊の斉射が押してくる敵税を何人か倒したのが見えたが、押してくる敵は鉄砲隊が次の弾を込めるまでに、晴雅の隊を蹂躙していた。

乱戦となり、晴雅の手勢は次々に打ち取られていく。

そして、周囲を囲んだ雑兵たちは武将首を上げようと晴雅を狙い始めた。

手持ちの槍で応戦した晴雅は先頭を切って勝負を挑んできた兵を葬ったが、自らの槍も折ってしまった。

敵が先鋒の兵を討たれて、手を出しかねているのを見て、晴雅は叫んだ。

「動けるものはわしに続け」

続けと言うのは一緒に逃げろと言う意味だ。旗指物で味方を探すと、西に向かって落ち延びつつあるのが見える

体制を立て直してもう一当てし、追っ手の足を止めたいが、おそらくそこで晴雅の手勢は晴雅本人も含めて壊滅するにちがいない。

晴雅が西に走りながら最後の戦いの場を定めようと、待ち伏せに適した場所を探していると、手傷を追って息も絶え絶えになった日野藩の侍が倒れているのを見つけた。

「どうした、しっかりしろ」

腹に槍傷を負った兵は助かりそうには見えない。名前は思い出せぬが顔は見知っているその男は荒い呼吸をしながら晴雅に告げた。

「西に退がろうとして、敵に側面を突かれました。生真公が我らと共に踏みとどまって戦い、玄之助公が逃げる暇を作ろうとしたのですが」

傷を負った兵はそれだけ告げるとこと切れていた。

「生真は無事か?」

晴雅は僅かとなった手勢とともに周辺を探したが、そこで見たのは武将の首を取って気勢を上げる敵方の雑兵たちだった。

首を取られて無惨に転がっている武将の鎧を見ると、つい先ほど分かれた生真のものだ。

「おのれ、雑兵輩が」

晴雅は刀を抜いた。肥後の国で打たれた刀の一直線の刃紋が光る。

不意を突いたので、二人ほど切り捨てることができたが、残る雑兵たちは槍を構えて応戦した。

「その首は我が主君のものだ。返してくれるなら見逃してやる。その首置いて立ち去れ」

「敗残の兵が何をほざく。おぬしの首も上げてやる」

雑兵たちの首領格の大柄な男はせせら笑うように言い、あっという間に、晴雅の手勢と雑兵の一団は入り乱れて戦い始めた。

晴雅の少ない手勢は次々と討たれていき、晴雅は先の足軽と対峙した。

周囲には数人の足軽が槍を構えている。

足軽が鋭く槍を突き出した時、晴雅は剣で槍の穂先をいなして足軽の懐に飛び込んでいた。

勢いで体を回しながら、剣を突き出して足軽の喉笛を切っ先で突く。

首領格の男を倒されて浮足立った足軽たちを晴雅の剣が次々と襲った。

最後に残ったのは、生真の首級を持った足軽だった。

逃げ始めた足軽を追って駆けながら、晴雅は叫んだ。

「それを返せ、そうしたら命は助けてやる」

足軽は足を止めたが生真の首を返す代わりに、槍を構えて晴雅に挑んできた。

「うわあああ」

雑兵が必死で突きだす槍を払いのけた晴雅は、返す刀で雑兵を袈裟掛けに切り裂いていた。

半刻ほどの後、晴雅はどうにか追っ手を振り切って日野藩の本体に追いついた。

日野藩の軍勢は半数以上を打ち取られてボロボロの有様だった。

晴雅はさらしに巻かれた生真の首を当主の玄之助公に差し出す。

「生真殿奮戦及ばず打ち取られ、この首は拙者が敵方より取返しました」

玄之助公は晴雅の言葉が腑に落ちるとはらはらと涙を流した。

「生真よわしを逃すために敵に討たれてこのような姿になるとは、すまぬ」

重臣たちは言葉もなくその様子を眺めるしかなかった。

やがて、玄之助公は顔を上げた。

「皆の者、生真が一命を賭して時間を稼いでくれたのじゃ。なんとしても落ち延びるぞ」

日野藩の一同は弾かれたように、動き始めた。

 一度敗軍となれば、追っ手の軍勢だけでなく、おとなしそうに見える農民たちですら武器や武将首にかかる報奨金を目当てに残党狩りを始めるのが戦国の習いだ。

兵たちが足を速めて歩い始めるのを見ながら玄之助公は晴雅に目を向けた。

「よく生真を連れ帰ってくれた。礼を言うぞ」

後衛戦を行っていたとはいえ、目と鼻の先で生真を討たれた晴雅は無言で頭を垂れる。

玄之助公は生真の目を見つめながら告げた。

「おぬしは死んではならぬぞ。生真が身を賭して逃がそうとした我らの軍勢を少しでも多く日田の地に帰れるように力を尽くすのじゃ」

「御意のままに」

晴雅頭を垂れたまま主君に答えた。

生真を打ち取られて荒れた心のままに、追っ手の軍勢に最後の戦いを挑もうとしていたのを主君に見透かされたのだ。

晴雅は主君を守る一団に加わって、退却を始めたが、その道のりは長くつらいものだった。

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