第222話 封印されし自我

「私はお祖母ちゃんの命を助けるために自らを山の神に捧げたのです。ここから離れたら山の神との約束をたがえることになります」

山葉さんは祥さんに腕を掴まれながら必死に叫んだ。

祥さんは、思わず手の力を緩めたようだ。

「自らを捧げたと?それならば私たちが目にしている今のあなたは何者なの」

「知りませんよ」

山葉さんは祥さんから逃れると、持っていた日本刀をすらりと抜き放った。

それは彼女が式神を作る時に使う刀身が1メートル近い大刀だった。慣れない者は鞘から抜くことすら難しい代物だ。

「無礼なことをするならこの場で斬ります」

祥さんは、身の危険を感じた様子でじりじりと後ろに下がりながら言う。

「私も自分の姉の意識を取り戻したくて、黒龍様に同じような願いをしたことがあるわ。でも、黒龍様は自然の理を乱すことはできないのだと私を諭してくれた。あなたは勝手に自分を捧げて山の神様を困らせているだけよ」

「なんだと」

山葉さんの髪がふわりと逆立った。彼女は日本刀を上段に振りかざして祥さんに切りつけそうな勢いだ。

止めなければと思った僕は、祥さんをかばって二人の間に割り込んだ。

「お祖母さんは10年近く前に亡くなったんだよ。頼むからその刀をしまってくれ」

「10年前!?それじゃあ私はどうなっているの」

山葉さんは僕の言葉を理解しかねるようにじっと僕の顔を見返す。

「下北沢でカフェの経営をしている。その傍らでいざなぎ流の祈祷も引き受けているよ」

「彼女が実感できるとは思わなかったが僕はとりあえず事実を告げた」

山葉さんは日本刀をゆっくりと降ろして最後に足元に放り出した。彼女の目から大粒の涙が流れ落ちる。

「やっぱりお祖母ちゃんを助けることはできなかったのですね。実はそうじゃないかと思っていました。でも私自身、ここから出る方法がわからなくなってしまったんです」

彼女はとめどもなく涙を流して嗚咽をこらえている。僕と祥さんは顔を見合わせて途方に暮れた。

祥さんは彼女の肩にそっと手を添えて耳元でささやく。

「山の神様は果たせない約束のためにあなたを封じ込めたりしないよ。自分を信じたらきっと元に戻れるから」

山葉さんは涙を拭きながらゆっくりとうなずき、いざなぎ流の祭文をゆっくりと唱え始める。

僕たちが居たいざなぎ流の里を模した世界がゆっくりと影を薄くしていき、やがて白い光に覆われていった。

僕はゆっくりと目を開ける。

白い光は、カーテン越しに差し込む朝の光だ。

夢から覚めた僕は、上体を起こすとベッドの傍らに寝ている山葉さんを見下ろした。

彼女は眠ったまま涙を流していたが、目を開けると僕の顔を眺めた。

「山の神様の世界にいる夢を見ていたんです。ウッチーさんや祥さんが私の所に来て助けてくれたんですよ」

ですよ?微妙な違和感が僕を包んだ。普段の山葉さんはお武家様のような言葉使いをすることが多いからだ。

「僕も同じ夢を見ていたんですよ」

「同じ夢を!?」

山葉さんは何かの気配を感じたように立ち上がると、廊下に通じるドアに向かった。

彼女は僕から取り上げた白いコットンシャツをパジャマ代わりにしていて、シャツの裾からすらりとした足が覗く。

彼女はドアを開けると大きな声を上げた。

「わああ」

「わああ!じゃありませんよ。私をウッチーさんの夢に無理やり出演させておいて日本刀で真っ二つにしようとするなんてひどいですよ」

ドアの外にはパジャマ姿の祥さんが立っていた。包帯を巻いたクマのぬいぐるみをモチーフにした可愛い柄だ。

山葉さんは祥さんに何度もうなずいて見せる。

腕組みをした祥さんはちょっと不機嫌な雰囲気で山葉さんに告げる。

「いくら夢の中でも私を日本刀で斬るのはやめてくださいね」

「す、すいません」

何故か山葉さんが祥さんに気圧されている雰囲気だ。

僕は夢の中の山葉さんが現実の山葉さんに乗り移っているような気がするものの、それを口にする勇気がない。

ドアを閉めて戻って来た彼女はちょっと恥ずかしそうにシャツの裾を伸ばしながら僕に言った。

「容子さんの霊はウッチーさんにくっついているみたいだから、その状況をうまく使って孝志さんと話をさせてあげましょう」

彼女は簡単そうに言ってのけるが、僕は湘南から帰った時の彼女が難しそうに考え込んでいたのを覚えていたので思わず聞いていた。

「今まで忘れていた技でも思い出したのですか」

彼女は部屋の中でくるりとターンして見せ、シャツの裾がふわりと舞い上がった。

「そうかもね。いざなぎ流の術をもってすればそれくらい簡単です」

片足を上げてポーズをとる山葉さんは、どう見てもこれまでの彼女とは違うキャラクターだった。

幸いなことに人格は変わったものの、彼女の記憶はこれまで通りに引き継がれたようだ。

その日、田島さんや祥さんは雰囲気の違う彼女に戸惑った様子だったが、仕事の指示は的確なのでやがて慣れたようだ。

数日後、孝志さんからカフェ青葉を訪れたいと連絡が入った。

追いかけるようにして、弁護士の阿部先生からも孝志さんに同行したいと連絡が入る。

孝志さんは阿部先生にも連絡して本気で祈祷を受ける様子だ。

二人と日程を調整した山葉さんは自信たっぷりの表情で僕に告げる。

「絶対に、容子さんと孝志さんが会話できるようにして二人が互いの想いを告げられるようにするです」

その言葉は僕を通じて、容子さんに教えているようにも感じられた。

高校生の時に自らを封印した彼女は同時にいざなぎ流の術も封じ込めていたと言うのだろうか。

僕はアルバイトに来てカウンターで食器を洗っている木綿さんの傍に行くと、山葉さんには聞こえないように小声で話しかけた。

「最近の山葉さんを見てどう思う」

「どうと言われても何だか別人みたいとしか言いようがないですね」

木綿さんも戸惑った様子を隠せない。

「私はこれまでの山葉さんは、代理的な人格の側面が強く、今の彼女が本来の姿だと思います」

祥さんも話に加わり僕たちは店内を軽い足取りで動き回る山葉さんを目で追いながら、互いの考えを披露しあう。

「僕は、いずれ統合されて元の姿に戻ると思うけど」

それは僕の希望的観測でもあった。そうなってくれなければ僕が好きだった山葉さんが消えてしまうような気がするからだ。

「私は今のままでも付き合いやすくていいような気がします」

木綿さんは彼女との付き合いが浅いためか、意外とクールな反応だ。

その時出入り口のドアベルが鳴り、阿部先生が店に入ってくるのが見えた。

山葉さんは彼を案内するように先に立って歩いている。

祥さんと木綿さんはそれぞれに自分の持ち場に戻っていく。

いつものようにカウンター席に座った阿部先生は傍らに立つ山葉さんと僕を見ながら機嫌よく話し始めた。

「小野さんの息子さんが、亡くなった恋人への思いに区切りをつけると言ってくれたみたいやね。ぼくからも礼を言いますよ」

「彼は婚約者の容子さんが亡くなる直前に、ケンカをしてしまったので互いに悪口を言い合ったのが二人の最後の時間だったのが心に引っかかっていたみたいなのです。どうにかして互いの思いが通じるようにしてあげたいのですが」

僕が言葉を濁すと、横から山葉さんが口をはさんだ。

「いざなぎ流の術を使って、二人が語り合えるようにして見せます。私はそろそろ準備をしてきますね」

山葉さんは一方的に宣言すると、お店のバックヤードに姿を消した。巫女姿に着替えるために2階に上がった様子だ。

「なんだかやけに明るい雰囲気なんやけど、何かあったのかな」

阿部先生も微妙な違和感があったようで、僕に尋ねる。

「実は、今まで封印されていた彼女の本来の人格が表に出て来たみたいなのです。時間の経過とともに元に戻ってくれればいいのですが」

「そうやな、僕は祥ちゃんが二人いるみたいでなんだか落ち着かれへんな」

オーダーを受けた飲み物を運んでいた祥さんが僕たちの会話に自分の名前が出たことに気が付いて手を振って愛嬌を振りまいた。リニューアルされた山葉さんの雰囲気は祥さんのノリに近いかもしれない。

僕がこれからのことを考えて気に病んでいると、店の入り口から孝志さんが現れたのが見えた。

僕は山葉さんが彼の思いに答えられるのだろうかと、胃が痛くなるような思いだった。

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