第221話 ループした時空間
私と孝志君は休日にはよくドライブをする。
彼の所有するフォルクスワーゲンビートルなるクラッシックカーで横浜や湘南にお出かけするのだ。
孝志君のワーゲンは背後からバタバタとうるさいエンジン音を立てているが、それでも21世紀のハイブリッドカーに遅れを取らずに走っている。
彼が自分の車の修理に毎年費やしている金額を聞いた時私は耳を疑ったが、この車を維持すること自体が趣味なのだと考えれば彼にとっては無駄な出費ではないのだろう。
ドライブに出かけることには、妙に目敏い教え子や同僚たちがいる校区外に逃れるというとても切実な意味がある。
それに加えて、場所を変えることで普段の仕事にまつわる事柄から頭を切り替えたいという願望もあった。
そんな事情があるのでドライブデートの間は仕事の話はしないことが私たちの間の暗黙の了解だったのだが、それを破ったのは私だった。
彼が受け持つクラスの生徒についてどうしても見逃せないと思うことがあったのだ。
問題の女子生徒がクラスの生徒のLIMEのグループトークに入れてもらえないと悩み、担任の孝志君に相談したのに、彼はホームルームでその件をオープンにしたうえで仲間に入れてあげるように言っただけで終わりにしたと言うのだ。
車内の気まずい空気に私はその話題を切り出したことを後悔したが、こぼれたミルクは元には戻らない。
私は勇気を出してもう一度だけ彼にご意見してみることにした。
「彼女が仲間外れにされたことの根元にはいじめ的な背景があるかもしれないから、もう一度調べた方がいいと思うわ」
私は孝志君の様子を窺ったが、彼は私の言葉が耳に入らないかのように振る舞っている。
私はせっかくの休日に面白くない話を始めたために彼の機嫌を損ねたのだろうかと心配になるが、今回は引くわけにいかなかった。
彼の担任クラスを現状で放置すると、女子生徒が自殺を企てる等の「こと」が起きた時に外部からの攻撃にさらされる危険が高いし、女子生徒の心情を考えると放っておくのはかわいそうだ。
私は彼を説得する方法を考えようとしたが、その瞬間の思考ルーチンを何度も経験していることに気が付いた。
私の一連の考えは不意に認識された違和感により中断された。私は突然、自分の行動自体に強烈な既視感を感じたのだ。
自分が数限りなく同じことを繰り返しているという考えが頭に浮かび、それに伴いその時々の微妙な違いが認識されてくる。
私は彼とドライブに出かけて、いつになく仕事の話を持ち出してケンカしてしまい、けんか別れのまま別れる場面を数えきれないくらい繰り返しているのだ。
それは、季節の変わり目に放送される「世にも怖い物語」というオムニバスの短編テレビドラマにありそうなシチュエーションで、とても現実とは思えなかった。
自分がループした時間の中に囚われているとしたら、どうすればそこから抜け出すことができるのだろうか。
私はとりあえずそこから取り掛かることにして、周囲を見回してみた。すると、孝志君の表情をよく見ようとした時に、私の目の端に人影が写る。
二人きりでドライブ中の車の後部座席に人影が見えたらそれはホラーだ。
私は恐る恐る振り返り、彼のフォルクスワーゲンの後部座席に若い男女が鎮座していることに気が付いた。
普段なら絶叫を上げて彼に助けを求めるシチュエーションだが、私はこの二人こそが自分が置かれた状況を打開する鍵かもしれないという気がした。
私は勇気を出して、ドライバーズシートの後ろの席にいる男性に声をかけてみた。
「どうやってこの車に乗ったのですか?」
私の問いかけは聞こえないらしく彼は黙ったままだ。
私は、思い切って手を伸ばして彼に触ってみることにした。ゆっくりと手を伸ばして彼に触れそうになった時、目の前に白い光が走る。
白い光が収まってみると、私は先ほどとは違う場所にたたずんでいた。
そこは孝志君とドライブに出かけた時によく立ち寄るサリンジャーカフェの駐車場だった。
ご丁寧に目の前には彼のフォルクスワーゲンビートルが置いてあり、折しも雨が降り始めたところで、駐車場のアスファルトには点々と雨粒のシミが増えていく。
曇り空の下には霧にかすむように江ノ島が見えていた。
雨の湘南海岸も悪くないな。
私はそんなのんきなことを考えて、ワーゲンのボンネットに腰かけて孝志君が戻るのを待つことにした。
カフェの中を探せば彼がいるはずだが、歩いて行くのが何だか億劫になったのだ。
ついこの間、鶴岡八幡宮を散歩した時に露天商の焼きそばを買ったのだが、どこで食べようかと迷った挙句、彼が大事にしているワーゲンのボンネットに腰かけて食べたのだった。
文句を言いたそうにしながら結局黙ったままだった彼の顔を思い出して、自分の口角が上がるのがわかる。
降りしきる雨を気にもしないでそのまま待ち続けると、孝志君がお店の出入り口から歩いてくるのが見えた。
彼の「ワーゲン」は左側にハンドルが付いているので運転席に着くには私の鼻先を通ることになる。
私は彼が目の前に来たら、当然私に声をかけると思って待ち受けていたが、彼は私の前を素通りして車のドアを開ける。
「どういうことよ」
軽い恐慌にとらわれて腰を上げた時、私の目の前の景色が変化した。
そこはどこか小高い山の上だった。目の前で一心に祝詞を唱えながら舞い踊っている巫女さんがいて、その横にいた巫女さんが私の方に近寄ってくる。どうやら私は無限ループから解放されたようだ。
「ウッチーさん戻ってきてください。ここが何処だかわからないから私は心細いんです」
ウッチーさん?私の名前は・・・。
彼女の言葉に心の中で反論しようとして私の思考はストップした。当然のように思い出せるはずの自分の名前は浮かんでこず、内村徹という男性の大学院生の記憶と履歴が押し寄せてきたからだ。
「祥さん、ここはどこなんだ」
「戻った!」
いざなぎ流の祭文を口ずさみながら神楽を舞っていた山葉さんが駆け寄ってくるのが見えるが、巫女姿の彼女の顔は初々しい高校の雰囲気だ。
「どこかで遭遇した霊に取り憑かれていたのですね」
ここはどうやら僕の夢の中のようだ。僕の夢に登場する時、山葉さんは何故かわからないが高校生くらいの容姿で現れるのだ、同時に僕は今まで自分の意識を占領していた霊の記憶を思い返していた。
それは、孝志さんの亡くなった婚約者、容子さんの記憶だったと思われた。彼女は自分の死に気が付くことなく、自分の死の直前の数時間を繰り返し体験していたらしい。
僕は山葉さんの顔を見ながら尋ねた。
「小野さんに依頼を受けたことを覚えていないのですか」
「いったい何の話をしているのですか」
彼女はキョトンとした顔で僕を見返す。
やはり彼女は僕の夢の中では現在の記憶を失っているらしい。その時、僕はギョッとして隣にいる祥さんを振り向いた。
「何故君が僕の夢の中にいるんだ」
「私が聞きたいですよ。自分の部屋で気持ちよく寝ていたはずなのに気が付いたら、ものすごい山の中にいて、さっきまでオオカミに追いかけられていたんですよ」
僕は周囲を見渡した。うっそうとした木々が続く斜面の上に開けた土地に、東屋が一軒ある。周囲には谷をはさんでさらに高い山々が続く風景だ。
僕はその風景に見覚えがあった、それは山葉さんの故郷、いざなぎの里の風景に似ている。
「ここは山葉さんの故郷の風景に似ている。何故ここにいるかは僕にもわからないよ」
祥さんは、改めて周囲を見回した。そして山葉さんをじっと見ると彼女に近寄ってその片手をがっちりとつかんだ。
「あなたは何かの理由でこの時空に封じ込められているのね。私が娑婆の世界に連れて行ってあげますよ」
僕の夢の中では山葉さん祥さんより年下の雰囲気を漂わす。
「あなたは誰なんですか。勝手なことをしないでください」
山葉さんは祥さんの言葉の意味が分からない様子で、祥さんに掴まれた手を振り払おうとするが、祥さんは手を放そうとはしない。
それどころか、祥さんは抵抗する山葉さんの腕を後ろ手にねじりあげて制圧しつつあった。
僕は、自分に取り憑ついている容子さんの霊をどうにかしてほしいのだけどと思いながら、どことも知れぬ時空でもみ合う巫女姿の少女二人をぼんやりと見ていた。
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