第204話 アンバランスな二人

北川恭子さんが被害者となった強盗殺人事件が被疑者である神崎蓮の死亡で中途半端に結末が付いてから2週間がたつ頃、カフェ青葉に坂田警部一家が訪れた。

「こんにちは。今日は一家そろってきましたよ」

奈々子さんが明るい声で僕たちに声をかけ、一緒にいる坂田警部はぎごちない雰囲気で微笑む。

子供の綾香ちゃんはベビーカーでスヤスヤと寝息を立てていた。たった2週間の間にかなり成長した気がする。

坂田警部はオーダーを取りに行った僕に、遠慮がちな雰囲気で告げた。

「内村さん、神崎蓮の件ではお世話になりました。おかげでこうして一家で出かけることができるようになりました」

「もっとちゃんと感謝の意を伝えなさいよ。あなたの部下の証言によると、ウッチーさんが犯人に直接会いに行って刺された直後、あなたは事もあろうにウッチーさんに文句を言っていたのでしょう」

奈々子さんの声に、坂田警部は少し体を小さくしたような雰囲気で答える。

「私は彼があえて危険を冒したことを咎めていたのであって、決して感謝していなかったわけではない」

「相手の身になれば、あなたが何を考えていたかなんてちゃんと言わないと伝わらないでしょ。日本の公的組織はそんなことだから国民に評価されないのよ」

奈々子さんは警察組織の批判まではじめかねない雰囲気だが、店の奥から出て来た山葉さんが坂田警部に助け舟を出した。

「奈々子さんもういいですよ。私たちと坂田警部一派は切っても切れないような間柄です。坂田警部に悪意がないことくらい私たちはわかっていますよ」

奈々子さんは山葉さんの言葉を聞いて、確認するように僕の顔を見るので、僕は微笑を浮かべるしかなかった。

「神崎蓮は何故、投降しないで死を選ぶようなことをしたのですか?」

僕は坂田警部にかねてから気になっていたことを尋ねた。

「いや、彼は自ら死を選んだのではありません。SSBCが彼を発見して、その居所に警視庁の捜査官が押し寄せたわけなのですが、彼は最後まで投降せずに逃げようとしたそうです」

「逃げ切れると思っていたのかしらね?」

奈々子さんがつぶやくと、坂田警部は面白くなさそうに首を振る。

「死ぬつもりはなかったが到底無理な場所に飛び移ろうとして転落したということだな」

坂田警部はベビーカーの中で綾香ちゃんがむずかり始めたのを見て、ひょいと抱き上げた。

「意外と手馴れていますね」

僕が感心してつぶやくと、坂田警部は普段は見せない穏やかな表情で答えた。

「うちに帰ったら、子育ての戦力としてカウントされているから当然ですよ。今日はお昼を食べに出かけてきたのです」

坂田警部は自分の頬を触る綾香ちゃんの手にくすぐったそうにしている。僕と山葉さんは坂田警部一家をテーブル席に案内した。

おそらく一緒に外食するのは久しぶりなのだろう。坂田警部と奈々子さんはベビーカーを手じかに置いてゆっくりとメニューを眺めている。

「綾香ちゃんも一緒に食べてくれるようになるのが楽しみだね」

山葉さんがカウンターからうれしそうな表情で坂田警部一家を眺めていると、アルバイトの沼さんが近くに来て囁いた。

「山葉さん、例の強盗放火事件の犯人の幽霊が出るらしいですよ」

山葉さんと僕は驚いて沼さんの顔を見る。

「何処でそんな話を聞いたの」

山葉さんが尋ねると、沼さんはさらに声を小さくしたので僕たちは彼女の傍に寄り集まった。

「犯人が勤務していたコンビニの店長が見たという話です。夜勤明けの交代時間のころにコンビニの近くで目撃されています」

僕は4人席で幸せそうにメニューを見ている坂田警部一家に目を移す。

「霊となってしまったらもう彼らには関係ない。明日の朝に私たちが出かけて様子を見てみよう」

山葉さんが小声でささやき、僕は無言でうなずいた。

翌実の早朝、僕と山葉さんは京王線の明大駅前まで出かけた。

山葉さんはコンビニの駐車場にWRX-STIを止めると、白衣に緋袴の巫女姿で車から降り立った。

彼女の片手には御幣が握られており、いつになく積極的な雰囲気だ。

「神崎の霊が現れたら、即座に浄霊するつもりですか」

僕が尋ねると、彼女は決意を秘めた症状でうなずく。

朝の5時はまだ東の空が明るくなり始めた程度で霊が出るには頃合いの時間帯だ。

「おはようございます、ずいぶん早いのですね」

僕たちは油断なく周囲の道路に目を光らせていたが、背後から声をかけられて飛び上がった。

声をかけてきたのは沼さんだった。

「沼ちゃん驚かさないでくれ。ここまでどうやって来たのだ」

山葉さんは動悸を押さえるように胸に手を当てて尋ねた。

「新宿方面行の始発列車は朝5時前から動いているんですよ。私も山葉さんが浄霊するところを見てみたいと思って来ちゃいました」

沼さんは緊張感に欠ける雰囲気で僕たちに告げると眠そうにあくびをする。

「わかった、ウッチーと一緒に見ていてくれ。もし何かあったら加勢を頼む」

「ラジャ」

山葉さんが沼さんに告げると、沼さんは両足をそろえてビシッと敬礼をしながら答えた。

その時僕は京王線の駅の方から、こちらに向かってくる二人連れに気が付いた。

周囲はうす暗いのにその二人の様子は妙にクリアに見えている。

山葉さんは僕が示す方向を眉間にしわを寄せて見ながらつぶやいた。

「どうも二人いるみたいだが、顔の識別まではできない。ウッチーの目でみたら神崎の顔を見分けられないのか?」

山葉さんと僕は異なるメカニズムで霊を見ている。彼女は霊を常に視認できるものの詳細な部分までは見えず、僕の場合は生前の様子と変わらない姿で見えるものの周波数のようなものが合わないと全く見えない場合がある。

僕が目を凝らすとそのうちの1人は間違いなく神埼蓮だったが、もう一人は若い女性で、既視感はあるが誰かはわからない。しかし、僕の頭の中で直感が閃いた。

「もう一人の女性は被害者の北川さんかもしれません」

「はあ?ウッチーさん、被害者の女性って70歳のおばあちゃんだったのでしょ?あの人どう見ても20代でそれもすごい美人にしか見えませんよ」

沼さんが、「何をわからないことを言っている」と言いたそうな目で僕を見る。

「彼女は自分のいい時代の姿を取って現れたんだよ」

僕は説明を試みるが沼さんには理解は難しそうだ。

その間にも二人の幽霊は笑いさざめきながら僕たちの前を通って、強盗放火事件の現場で会ったマンションに向かっていた。女性の霊は僕たちに気付いて小さく手を振っている。

二人の姿がマンションの建物の中に消えた時、山葉さんが叫んだ。

「何をしているんだ。追いかけなければ」

彼女もいっしょに呆然としていたはずだが、僕たちは気を取り直してマンションの入り口に急いだ。

共用部分の入り口には、暗証番号を打ち込むセキュリティーロックがあったが、僕は室井さんたちと来た時に彼の手元を見て覚えた番号を打ち込む。

共用部分のロックはあっさりと開いた。

「ウッチー、それは犯罪行為だ」

「いいじゃないですか急いでいるんだから」

山葉さんが律義に咎めるが僕は構わずエレベーターホールに入る。

すると、エレベーターは1階に止まったままだった。幽霊はエレベーターなど使わないのだ。

エレベーターで火災のあった部屋の階まで行き、そこで降りると、二人の人影が連れ立って歩く後姿が見え、その姿は強盗放火事件の現場となった部屋に吸い込まれるように見えなくなった。

「やはりあの部屋から出ていたのか」

山葉さんを先頭に僕たちは問題の部屋の前まで歩いた。現在工事中としてコーンやポールを使って仕切られている部屋は、それゆえに施錠もされていない。

ドアの開口部から中を覗くと、そこは火災の痕跡を撤去し新たな内装工事が始まっていた。

そして、幽霊の気配を感じさせるものみじんも残っていない。

「何故、被害者の北川さんの霊が犯人の神崎の霊と楽しそうに歩いているのだ?」

山葉さんが訳が分からないといいたそうな表情でつぶやき、沼さんも横でうなずいているので、僕は二人に説明を始めた。

「事件の前、被害者の北川さんは犯人の神崎に恋心を抱いていたのですよ」

それはスプーンに残った彼女の思念を追体験した僕にだけわかることだった。

「はあ?」

「何故だ、彼女は神崎よりも半世紀も年上だったはずだ」

案の定、沼さんと山葉さんは話についてくることができない。

「死んでしまい、年齢の制約もなくなった今、遠慮なく付き合えるようになったということなのでは?」

山葉さんはあきれたように口をつぐみ、沼さんは首を振って僕に食って掛かった。

「ウッチーさんはあれをこのまま放置するつもりですか。仮にも警察に追われて転落死した殺人犯の霊なのですよ」

僕がどうしたものかと考えて山葉さんの顔を見ると、彼女は静かな口調で語り始めた。

「神崎が自らの死をもってその罪を償い北川さんがそれを受け入れたとすれば、我々が介入する必要はないはずだ。二人はしばらくの間この辺りで名残を惜しんだはず。そろそろ来世に旅立つ頃合いだ。私がこの場を祓い清めればそれで足りるだろう」

山葉さんは御幣を手に静かにいざなぎ流の祭文を詠唱し、いざなぎ流の神楽を舞い始めた。

僕は東の空が徐々に明るくなる中で巫女装束の山葉さんが舞うのを見つめながら、凶悪犯罪に手を染めた果てに命を落とした神崎が、来世ではまっとうな人生を送れるように祈っていた。

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