第203話 逃亡者の行方

僕は右腕から血を流しながら、坂田警部が勤務する警察署に姿を現す羽目になった。

出来ることなら、駐車場に置いてある自分のバイクにこっそりとまたがってそのままカフェ青葉まで帰るつもりだった。

しかし、警察官は自分の職場にいても常に注意を張り巡らせているらしく、腕から血を流して歩く若い男、つまり僕を見逃したりはしなかった。

僕は警察署から駆け出して来た制服警官数人にあっという間に取り囲まれて保護される羽目になった。

彼らは救急箱から取り出した消毒液やら包帯で甲斐甲斐しく治療もしてくれたが、何故けがをしたのか話さないと自由にしてくれそうな雰囲気ではない。

困った僕は室井さんか高山さんを呼んでくれと周囲の警察官に頼んだ。

しばらくすると、室井さんと高山さんが連れ立って現れたので、僕は状況を説明しようと口を開きかけたが、その後ろに坂田警部がいるのを見て凍り付いた。

僕にとって坂田警部はこのシチュエーションで最も顔を合わせたくない人である。

坂田警部は、室井さんと高山さんを留守中に家に入り込んでいた野良猫を首筋をつまんで放り出そうとするときのように冷たい視線で見ながら、僕に困った雰囲気で告げた。

「内村さん、あなたは聡明な方だから一般の方が刑事事件の捜査に首を突っ込んではいけないことくらいお判りでしょう。室井と高山からはじっくりと話を聞きますから先ずはあなたに事情を説明してもらいましょうか」

僕は言葉に詰まったが、離さないことには許してもらえそうにないため、神崎蓮に刺されるまでの顛末を簡潔に話したうえで、事の起こりも話さなければと奈々子さんが依頼に来たことも付け足すことにした。

「そもそもの依頼は室井さん達ではなく、僕たちの所に奈々子さんが来たのですよ。あなたが事件捜査が忙しくて家に帰ってきてくれないので、早く解決できるように手伝ってくれと」

「奈々子がそんなことを?」

坂田警部の固い表情が微妙に緩む。

「お家では綾香ちゃんのおむつを替えたりしてイクメンパパなんですね」

「そ、そんなことはこの件とは関係がありません。問題はなぜあなたが容疑者に接触したかです」

坂田警部は慌てて僕への追及を再開したが、室井さんが言い訳するように口をはさむ。

「あ、あの私たちから内村さんたちに容疑者が神崎だと伝えたことはないのですが」

坂田警部が僕と室井さんたちを交互に見ている時、僕が収容されていた部屋に勢いよく飛び込んできた女性がいた。

「ウッチー、朝ごはんの時間には戻ってくると約束したのに、何故無茶なことをしたんだ?」

それは山葉さんだった。彼女は包帯が巻かれた僕の手を見ると、わなわなと手を震わせながら僕の手を握る。

「すいません。犯人らしき男の目星がついたので、じっとしていられなくなって飛び出してしまったんです」

僕は本心で詫びているのだが、彼女は納得しそうになかった。

「それなら何故、私や室井さんたちに協力を頼まない、警察官だってバディがいない状態で凶悪犯と対峙するような真似はしないはずだぞ」

坂田警部は山葉さんの様子を無言で見ていたが、僕に向き直ると冷たく告げる。

「自分で考えて犯人の目星がついていたと言うなら尚更、単独行動は慎んでほしかったものですね」

彼の言う通りだった。僕は自分の考えを整理してから坂田警部に話し始めた。

「僕は、あなたに言わせたら夢のお告げで神崎が犯人だと信じたのに他なりません。しかし、行動に移すほどに確信したのは、自分の推理の裏付けがあったからなのです」

坂田警部たちと山葉さんが沈黙した中で僕は説明を続ける。

「神崎は偶然北川さんと知り合いになる機会があったようです。彼はコンビニの深夜帯のアルバイトをしていたのですが、自分が住んでいるのは風呂付のアパートではないので、早朝に仕事が終わっっても風呂に入れないとこぼしたのですが、北川さんは彼に同情して自室のバスルームを使わせてあげたのです」

坂田警部は無言で僕の顔を見つめている。僕は喉が渇いたのを感じながら説明を続けた。

「しかし、神崎はオレオレ詐欺の受子をするような犯罪者予備軍というべき少年でした。彼は北川さんが一瞬席を外したすきに、北川さんの押入れを物色して、彼女が無防備に数百万円の現金を手元に置いていることに気付いたのです」

「それでは、奴はその現金を強奪するために凶行に及んだのですか」

室井さんの問いに僕は話の続きを喋り始めた。

「そうです。神崎は北川さんを絞殺して、犯行現場から逃走した後で自分がいない時刻にあの部屋に火災を発生させて証拠の隠ぺいを図ったのです」

僕は室井さんの顔をまっすぐに見ると尋ねる。

「僕が持ち込んだスプーンから、神崎の指紋が検出されたのではありませんか」

室井さんは心なしか青ざめた顔で僕に答えた。

「そうです。スプーンから検出された指紋は、神崎が補導された時に採取された指紋と一致しました」

「彼の誤算は、自分が火災を発生されるために引き起こしたガス爆発が自信の指紋が付いた証拠品を部屋の外まで飛散させ、後で発見されたことです。」

坂田警部は僕の顔をまっすぐに見ると、僕に問いかけた。

「残念ながら、あのスプーンから奴の指紋が出ても裁判での確定的な証拠にはなりません。それに、火災が発生した部屋が一見密室と見える状態だったのはどう説明するのですか」

「それは彼の偽装工作です。あの部屋の入り口扉を施錠状態としていたのは、扉の下部に取り着けられたシリンダータイプのかんぬきだけでした。施錠していないドアのかんぬきのシリンダー下部にドライアイスを詰めておけば、普通に閉じた上で放置すればドライアイスが消失した後にはかんぬきは落下してドアは施錠された状態になります」

僕は神崎と交わした短い会話とスプーンに染み付いていた北川さんの記憶をもとに推理した結果を話した。

「しかし、北川さんの部屋に火災を引き起こすことはそれでは不可能でしょう。ドライアイスは昇華しても二酸化炭素になるので引火性の気体が発生するわけではない」

坂田警部が僕の推理の問題点を指摘する。

「神崎はIT技術に詳しかったようです。僕がコンビニで買い物をしたときに同じ建物で起きた火災の話が出たのですが、彼はIOTを使った殺人事件として捜査されているのではないかと僕に尋ねてきました。その時点では警察の捜査方針にそんな考え方は無かったので犯人だけが知りうる事実を漏らしていた可能性があります」

僕はそこで言葉に詰まった。実際に神崎がどのような手口で火災を起こしたかは僕は考えが及んでいなかったからだ。

坂田警部は僕の言葉尻からそのことに気付いたようだ。

「具体的な手口を立証できないから犯人に直接会って供述を引き出そうとしたのですね。もしその段階で犯人に黙秘されたら証拠不十分で釈放しなければならないのですよ」

僕は返す言葉がない。坂田警部はこれまで犯罪捜査を行ってきたうえの苦い経験を元に語っているのだ。

「神崎がIT技術に詳しかったとするなら、北川さんの息子さんが設置したIOT家電のうち、ガス給湯器を神崎がスマホなどから操作したのではないかな。北川さんの息子さんは母親の生活状況確認のために、電気ポットやガス給湯器をモニターとして使っていたようだが、機能上は外部から操作してお風呂にお湯を張ったりエアコンのスイッチを入れることも可能なはずだ」

それまで無言で話を聞いていた山葉さんが口を開いた。

「それでも、爆発事故を起こすことは難しいはずですよ」

坂田警部が反論する。彼は几帳面なので理論の飛躍は許容しない一面がある。山葉さんはさらに自分の仮説を続けた。

「しかし、神崎は事前に北川さんの部屋で機器に手を加えることが可能だった。北川さんの部屋は給湯機本体が室内に設置されていた。事前にガス湯沸かし器のガスへの点火装置に細工をしてガスに着火できないようにしたうえで外部からスマホなどを使って給湯の指令を送れば室内にガスが充満するのではないかな」

「室内にガスが充満すれば、冷蔵庫などに自動でスイッチが入った時にスパークで着火する可能性がありますね」

僕が補足すると、坂田警部はやれやれと言いたそうな表情を浮かべる。

「それは一つの仮説であって、立証しないことには逮捕には結びつきませんよ」

その時坂田警部の後ろでパンパンと手をたたく音がした。そこには固い雰囲気の中年の女性が立っていて僕たちの顔を見渡していた。

「現場のガス給湯器に細工がされていなかったか確認させましょう。そして、今や神崎は内村さんへの傷害罪の現行犯です。私たちが総力で身柄を押さえます」

「黒川警部いつの間にいらしたのですか」

坂田警部が緊張した表情で女性に振り返る。どうやら彼女は警視庁から捜査本部にきている捜査官らしい。

「所轄で動きがあったら私たちにも迅速に情報をお伝え願いたいですわね。神崎については顔写真をSSBCに送って都内の防犯カメラで追跡させます。警視庁が総力を挙げれば今日のうちに神崎を逮捕できますわ」

彼女は身を翻して部屋から出て行った。きっと自分の部下に指令を伝えに行ったのだろう。

「SSBCって何ですか」

僕は隣に立っていた高山さんにこっそりと尋ねた。

「顔認証システムを使って犯人を追跡する専門の組織ですよ」

高山さんは小声で僕に答える。

坂田警部は毒気を抜かれたような表情で僕の顔を見ると、仕方なさそうに言った。

「今回の件はいまさらどうにもなりませんので、これからは無茶なことをしないように気を付けてください」

黒川警部の登場で、坂田警部もそれ以上僕に詰問できない雰囲気になったようだ。

僕はとりあえず帰ってよいと言われて山葉さんと共にカフェ青葉に帰り、山葉さんと朝ご飯を食べたのだった。

その日の夕方、強盗殺人犯が都内で警察官に追われてビルの屋上から転落して死亡したとするニュースがテレビで小さく報じられた。

それが警察に追い詰められた神崎蓮の最後だった。




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