第199話 マンション火災の現場にて

食事を終えた高山さんは、電話をしてくると言って席を外した。

「すいません。事件現場の状況を確認させます」

室井さんが、コーヒーカップを手に持ったまま僕たちに告げる。

「状況というと?」

僕は彼らが何を確認するつもりか解からなくて尋ねた。

「鑑識が証拠品の収集を終わっていなかったら、僕たちでも現場には入れないのですよ。鑑識が証拠収集を終えて、規制が解除されていたら様子を見ることぐらいはできます」

山葉さんが彼に尋ねた。

「規制って、刑事ドラマなんかで黄色いテープで人が入れなくするやつですか。」

「ええ、あれが規制線の一番外側のやつですね。今回の現場では規制が解除されるまでは現場となった部屋の通路側と、ベランダの両方に制服警官が立ち番しています」

「すごい、そんなことまでしているのですね。どれくらいの期間人が見張りに立ったりするのですか」

僕は脱線気味なのを自覚しながら、思ったことを聞く。

「それは鑑識の証拠収集が終わるまで、今回は部屋の中が燃えてしまっているので、指紋の採取とか家電製品の残骸を証拠品として押収するのに手間取ったみたいです。そうでなかったら一日もかからないはずですよ」

室井さんが答えている間に、高山さんも戻って来た。

「規制解除されています。ただ、今夜はうちの署員が一名残っているみたいですね」

室井さんは僕と山葉さんの顔を交互に見た。

「今から行けば現場を見ていただけると思います。マンションの所有者は一刻も早く復旧工事に着手したいので明日には被害者の遺族の了承を取って業者が片付けを始めてしまう可能性が高いですね」

山葉さんは室井さんの話を聞いて、現場を見に行くことを決めたようだ。

「ウッチー、現場を案内してもらおう。手掛かりを得られるとしたら今しかないようだ」

僕はうなずいて見せながら、現場で被害者の霊に遭遇するかもしれないと思って少なからずげんなりしていた。

室井さんと高山さんは僕たちを案内して店を出ると、下北沢駅から京王線に乗り明大前まで行った。

そして駅から細い路地を歩き、京王線の線路沿いに北方向に逆戻りするルートを歩きはじめる。

線路沿いにはマンションが沢山立ち並んでいるが、室井さんたちがぼくと山葉さんを伴って立ち入ったのは比較的小さな賃貸用マンションだった。

室井さんと高山さんは共用スペースからエレベーターに乗り目的の4階で降りると、通路に沿って奥に向かった。

通路の中ほどには制服の警官が立っており、室井さんと高山さんを敬礼で迎える。

「お疲れ様」

「そちらこそ。規制解除きまったので、今夜でお役御免だよ」

制服警官は室井さんと親しげに言葉を交わす。

僕は警察の制度に疎いが、制服警官と刑事で上下関係があるわけではないようだ。

「こちらは、坂田警部のお知り合いで鑑識業務を手伝っていただく方だ」

制服警官は鷹揚な手ぶりで僕たちに通るように示す。

警官がドアを開けて僕たちは問題の部屋の中に入った。

事件現場の部屋は想像を絶する状況だった。部屋の家具調度はおろか内装まで真っ黒に燃え尽きていたのだ。

「よくも周囲に延焼しなかったものだな」

山葉さんがあきれたようにつぶやいた。

「真下の部屋は消火の時の水で悲惨なことになっていたみたいですよ。隣室に延焼しなかったのは施工した業者が対火基準を守ってくれていたおかげでしょうね」

室井さんが話す横で、高山さんが入り口のドアを示した。

このドアにかんぬき状のロックがかかっていたので、消防が侵入するのに手間取ったそうです。

ドアの内側は黒くすすけているが、下端に直径1センチメートルほどの鉄棒を使ったシリンダー状のかんぬきが取り付けてあるのが見える。

火災の煙の大半はベランダ側の窓から抜けたらしく、ベランダの天井部分には真っ黒に煤が付着していた。

「被害者が倒れていたのはこの辺で、ソファーが置かれていたあたりです」

僕たちは高山さんが示した当たりの炭化したフローリング材を見つめる。

僕の想像とは異なり、そこに北川恭子さんの霊がたたずんでいるという事はなかった。

「何か感じるものはありますか」

高山さんが半信半疑の様子で僕たちに尋ねる。

「私は特に霊的なものは感じないな。ウッチーはどうだ」

山葉さんは部屋の中を見回してから僕に目を移す。

「僕も何の気配も感じません」

それは、おかしな状況だった。もしもこの部屋に暮らしていた人が強盗殺人で殺害されたとすれば、恨みを抱いた地縛霊となってここにいる方が自然な気がするからだ。

しかし、いないものは仕方がない。僕は気を取り直して、懐中電灯で部屋の内部を照らして目を凝らした。

「被害者の息子さんがIOTを使って被害者の生存を確認したと言っていましたが、その時の家電製品とかは無いのですか」

僕が尋ねると、室井さんは残念そうな表情を浮かべる。

「それは既に鑑識が証拠品として押収しています。ここにはほとんど何も残っていないのです」

彼の言葉通り、部屋の中は何もかもが燃え尽きてガランとした雰囲気が漂う。

「とりあえずここを出ましょうか」

高山さんは焦げ臭いにおいが漂う部屋に辟易したように言った。

僕たちは部屋から出て、立ち番の制服警官に挨拶をしてから犯行現場の部屋を後にした。

マンションのエントランスに出たところで、僕は思うところがあって室井さんに尋ねる。

「被害者の北川さんの写真はありませんか」

「写真ですか?正規の記録写真は署に置いてあって許可を受けないとみられませんが、僕がスマホで撮った写真ならありますよ」

室井さんは何気ない表情で、スマホの画面に画像を表示させると僕の前に差し出す。

僕は最初何が映っているかわからなかったが、理解が及ぶと同時に気分が悪くなってきた。

それは、画面をのぞき込んでいた山葉さんも同様で、彼女は口を押えてその場にしゃがみこんでしまった。

「室井さん、僕が見せてほしいのは北川さんの生前の写真です」

室井さんは自分の勘違いに気付くと、慌ててスマホを引っ込める。

「すいません。てっきり現場写真のことだと思いまして」

彼が表示したのは火災が沈火した後で発見された時の北川さんの写真だったのだ。

「そうですね。生前の写真でしたら後ほどILME送るようにしましょうか」

「そうしてください」

室井さんは申し訳なさそうに申し出てくれた。

マンションのエントランスまで行ったところで室井さんたちは周辺の聞き込み捜査に戻ると言うので僕たちはそこで別行動することになった。

「お構いできなくて申し訳ありません」

「いいえ、こちらこそ」

僕が室井さんと高山さんに挨拶を返すころに、山葉さんはどうにか現場写真を見たダメージから立ち直りつつあった。

京王線の駅方面の立ち去る室井さんと高山さんを見送って、山葉さんは小さな声で言った。

「部屋の中でガス爆発が起きたとしたら、部屋の外に吹き飛ばされた遺留品があったのではないだろうか」

「そうですね。さっきの部屋のベランダ側の下あたりを見てみましょうか」

もちろん、警察関係者が目立った品物は拾い集めているはずだが、一応僕たちも見ておいて損はないはずだ。

マンションの構造は、住居部分の通路が京王線の線路側に設けられていて、ベランダ側は道路側に面している。建物の一階はコンビニになっており、道路との間にコンビニ利用者用の駐車場がある作りだ。

僕たちはコンビニの駐車場をさりげなく歩いてみるが、警察の鑑識が目立ったものは拾いつくしているらしく。駐車場に落ちているものは見当たらない。

「目立ったものはありませんね」

「私たちも引きあげようか」

山葉さんはまだ少し顔色が悪いが、気分を立て直した様子だ。コンビニには入らずに、駅の方に行こうと思った矢先に僕は足元からチャリンと金属音が響いたのに気が付いた。

僕は何気なく足元に視線を投げた。

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