第200話 野ウサギ柄のスプーン

落ちていたのはティースプーンだった。

スプーンのすくう部分には陶器が張り付けてあり、ウサギの絵が描かれている。

ウサギの顔は写実的だが洋服を着て2本足で立っている絵柄は子供の頃に読んだ童話を思い出させる。

僕が思わず手を差し伸べて拾おうとした時、山葉さんの声が響いた。

「待つんだウッチー。指紋を着けないようにそっと扱ってくれ。犯人につながる証拠になるかもしれない」

そうだった。被害者が住んでいた部屋は火災に遭っているので、このスプーンがガス爆発で部屋から飛ばされた品物だとすると、事件当時の貴重な証拠が残されているかもしれない。

僕はポケットからハンカチを取り出して、スプーンの細くなった部分をそっとつまんで持ち上げた。

さあ、これをどうしようかと思っていると、山葉さんは自分のバッグから白っぽい三角形の物体を取り出したが、それは彼女が広げると小さめのレジ袋に変身した。

「よくそんなものを持っていますね」

僕が感心していると彼女ははにかんだような表情でつぶやいた。

「私の習慣だから気にしないでくれ」

どういう習慣なのか判然としなかったが、僕は山葉さんからレジ袋を受け取ってスプーンをそっと入れた。

「室井さんたちを呼び戻しましょうか」

「マンションのエントランスで別れてからかなり時間が経過している。日を改めて署に届けてあげよう」

僕は特に反対する理由もないのでそうすることにした。

坂田警部や室井さんたちが勤務する所轄署は下北沢から小田急線で二駅ほどのところにあるので何かのついでに行くような場所ではないが、今の状況では届けてあげなければいけないだろう。

「私は喉が渇いたので、ペットボトルのお茶を買ってくるから少し待っていてくれ」

山葉さんは目の前にあるコンビニに足を向けながら言う。

「僕も何か飲み物が欲しいから一緒に行きますよ」

本当は飲み物ではなくてお腹が空いているのだが、カフェGreen leavesに戻れば祥さんが賄いを用意して待っているかもしれないので、僕はとりあえず何か飲むことにしたのだ。

山葉さんと並んで飲み物のペットボトルを持ってレジで並び、時運の順番が来た時にレジを打っていた男性は僕が持っていたレジ袋に入れたスプーンに目を止めた。

「そのスプーンはどうされたのですか」

「このお店の前で拾ったのです。もしかしたら、先週の火事の時の証拠品になるかもしれないので、警察に届けようと思っているのです」

レジを打っていた男性は目を細めてレジ袋の中のスプーンを見ていたが、僕が差し出した緑茶のペットボトルにバーコードリーダーを当てながら言った。

「お兄さんたち、警察関係者ですか」

「いえ、ちょっと依頼を受けて手伝っているだけですよ」

僕は、話そうかどうしようか迷ったが、話の流れとして自然だったので本当に近いことを告げる。

「そうですか。それじゃあ、この上で起きた火事が実はIOTを使った殺人事件かもしれないって聞いていますか」

僕は今度こそは警戒して、口を閉ざそうと考えた。うかつに話すと捜査情報が漏洩しかねないと思ったからだ。

「警察も家電製品やそれに接続されていたパソコンを押収しているみたいだけど、焼けてしまっているから細かいことはわからないみたいですね」

男性はプッと笑って苦笑気味に僕に告げる。

「問題になっているのはIOTでしょう?別に家電製品をパソコンにつなぐ必要ないはずですよ」

そんなこともわからないかと言いたげな男性の口調に、僕は自分の失言に気が付いた。

「あ、いや警察がそう判断しているわけではなくて、僕がそう感じただけの話だよ」

「そうですよね。100円いただきます」

そのコンビニでは独自ブランドのペットボトルはちょっと大きめのボトルを100円で販売しているので僕は愛用している。

僕はスプーンの入ったレジ袋を片手に、もう片方の手にはペットボトルの緑茶が入ったレジ袋を持ってコンビニを出たが、なんとなくざわついた気分が収まらなかった。

僕が山葉さんと一緒にカフェ青葉まで戻った時には夜の9時を回っていた。

裏口に回っても良かったのだが、セキュリティーは作動していないのが見て取れたので僕たちはお店の出入り口から入ろうとしたが、ドアを開ける前に祥さんが店の奥から飛んできた。

「そのまま入らないでください」

「どうしたのだ一体」

山葉さんが不満そうな表情で問い返すと、祥さんは息を切らせながら答える。

「二人とも、たくさんの邪霊をくっつけてきていますよ。今除霊するからお店の前で待っていてください」

僕と山葉さんは互いの姿を見つめ合った。確かによく見ると山葉さんの体の表面に無数の青白い光が張り付いてじわじわと動いているし、自分の体も同様だ。

「一体、いつの間にこんな奴らに取りつかれたのだろう」

山葉さんが悔しそうにつぶやくが、その間に走り戻って来た祥さんが御幣を振りかざしながら神道の祓い言葉を唱え始める。

祓い言葉の詠唱を終えた祥さんが気を込めて御幣で僕たちの頭上を祓うと、僕の耳に微かに悲鳴のような声や呪詛の言葉が響いた。

「さあ、邪霊の群れは退治したから一緒にご飯を食べましょう」

祥さんは元気よく宣言する。

「祥さんにはどんな奴がくっついているように見えたのかな?」

霊に対する感受性は人によって異なるから当然見え方も異なる場合がある。

「うーん。カラス天狗とハゲデブのおっさんのハーフみたいな連中がいっぱいくっついていましたよ」

「それはおそらく餓鬼だな。問題の部屋を出た時にはそんな連中はいないことを確認していたのに」

山葉さんが面白くなさそうな表情でつぶやく。僕は餓鬼の件はひとまず置いといて、祥さんに尋ねた。

「夕ご飯を食べないで待っていてくれたのかな」

「もちろんそうですよ。一緒に住んでいるなら食事とかもできるだけ一緒に取りたいじゃないですか」

祥さんは屈託のない笑顔を浮かべて僕たちを厨房の方に案内した。

賄いの食事は田島シェフが作り置いてくれたもので、カフェで使う食材を和食にアレンジしてあった。

「さすがプロのシェフはテイストを変えるのがうまいね」

鹿児島産黒豚の冷しゃぶ風とアサリの澄まし汁、そしてホウレンソウのお浸しという取り合わせはカフェで料理を覚えた僕には作れない。

昼食用のピカタの材料と、パスタ用のアサリの残り等を和食風に変身させるのはシェフの腕だ。

「依頼を受けたお仕事は、霊が絡む危険なものなのですか」

祥さんが心配そうに尋ねると、山葉さんは柔和な笑顔を浮かべて否定する。

「凶悪な霊がいるわけではなかったよ。怖いのはむしろ生身の人間ではないかな」

祥さんは、曖昧な彼女の言葉に首をかしげる。

「いずれにしても、被害者の無念を晴らすのを手伝うのは良いことだ。もう少し頑張ってみるよ」

山葉さんは何か手掛かりを得たかのように明るい表情で話した。

その夜は、僕は山葉さんの部屋に止めてもらうことになった。これまでと違って、2階の居住スペースに祥さんもいるのでなんとなく気恥ずかしいものがある。

僕は事件現場の下にあるコンビニの駐車場で拾ったスプーンをベッドのヘッドボードの上に何の気なしに置いた。

その夜、僕はたとえスプーン一つでも犯人につながる手掛かりになればよいのにと、はかない期待を持ちながら山葉さんと並んで眠りについた。

昼間いろいろなことがあったので僕も彼女も疲れていたのか、ごあいさつ程度のキスを交わした後はすぐに眠ってしまったのだ。

しかし、拾ってきたスプーンには何者かの思念が染み付いていたらしく、眠りに落ちた僕はその思念の世界に引きずり込まれていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る