第197話 坂田警部の苦境

「事の起こりは、憲治君が追いかけていたオレオレ詐欺事件なのよ。」

奈々子さんはカウンター席でコーヒーを飲みながら説明する。

「今どき、オレオレ詐欺の被害を受ける人がいるのですか」

オレオレ詐欺とは高齢者を対象に、相手の家族を装って大金が必要な事情ができたと電話をして、指定口座に振りこみさせたお金を詐取する詐欺だ。

被害が頻発していると報道されるようになったのはずいぶん前の話で、銀行の自動現金払い出し機にも注意喚起のパンフレットが置かれるなどして、犯罪の手口として一般に広く知られていると言っていい。

僕の質問を聞いて、奈々子さんは目を閉じて首を横に振る。

「あれだけ報道されても、自分は別だと思っているのか言われるままにお金を渡してしまうお年寄がいるのよ。犯人グループの手口も巧妙化していて、口座振り込みでは足が付きやすいから、組織のことを知らない受け子を使って現金の受け渡しをするケースが多いんですって」

奈々子さんは山葉さんが抱っこした綾香ちゃんが目を覚ましたので、微笑を浮かべた。

綾香ちゃんは、まだ人見知りしない時期なので、山葉さんに抱っこされたまま、大きな目を開けて周囲を見ている。

「憲治君の管轄でオレオレ詐欺が未遂に終わった事例があったのだけど、その女性からその後も怪しい電話が頻繁にかかると相談があったの。その矢先に女性は火災で死亡。単なる事故扱いで終わりそうだったけど、憲治君が詐欺グループの関与を示唆して殺人事件として捜査本部が立ち上がったの」

山葉さんは綾香ちゃんをあやしながら奈々子さんに問いかけた。

「ほう、一体何を手掛かりにして殺人事件だと周囲に認知させたのかな」

「事故があったマンションの防犯ビデオを調べた結果、オレオレ詐欺グループへの関与を疑われている人物が映っていたのですって」

山葉さんは首をかしげる。

「火災が起きたに時刻に、それらしき人物が防犯カメラに写っていたのなら、それを証拠に犯人として逮捕できないのかな」

「それなのよ。所轄署でも防犯ビデオ画像もあるから早期逮捕が可能と勢い込んでいたけど、意外と難航しているらしくて」

僕も、彼女の言葉に興味を掻き立てられるところがあった。

そもそもが、オレオレ詐欺と考えられていた事件が殺人・放火となれば事件の重大性は格段に高くなる。

事前に外部からの怪しい電話が頻繁にあったとすれば、詐欺グループがオレオレ詐欺が失敗したために強盗に切り換えたという事なのだろうか。

「坂田警部は、オレオレ詐欺グループが方針を変更して、強盗に入って被害者を殺害したと考えているのですか」

最近よく耳にするのはアポ電強盗という言葉だ。

同じ高齢者を狙った犯罪なのだが、事前に電話をかけて被害者の資産所有状況を確認してから強盗に入り、現金を奪ってから被害者を殺害するという質の悪い犯罪だ。

オレオレ詐欺グループが手間やリスクを減らすためにアポ電強盗に移行しているとすれば恐ろしい話だ。

「そうなの。彼は当初のオレオレ詐欺グループが犯行に失敗したものの、被害者が資産を持っているのでどうにかして手に入れようとして強行に及んだと推定し証拠を固めようとしたのだけど、裏付け証拠が取れないばかりか容疑者のアリバイもあることがわかってきたの」

奈々子さんはコーヒーを飲み終えると、席を立って山葉さんから綾香ちゃんを受け取った。

綾香ちゃんは、奈々子さんに抱っこされると安心したようにすやすやと眠り始める。

「防犯ビデオに写っていた容疑者の逮捕を妨げる証言が出たのですね」

「そう。なんでも火災で死んだおばあちゃんが火災が起きる直前まで部屋で元気にしていたみたいだと彼女の息子さんが証言しているの。息子さんが証言した時刻は防犯ビデオに容疑者が撮影されていた時刻よりも後なの」

「その上、被害者の女性が住んでいたマンションは入り口ドアにかんぬきがかけられた状態になっていて、その他の窓も施錠されていた。つまり密室状態で火災が起きたことになるので、これも外部犯行説を否定する材料なのよ」

それが事実だとしたら、被害者の死亡の要因は火災の可能性が高くなり、殺人事件だと主張した坂田警部の立場はまずいことになる。

「密室状態で火災が発生したとして。被害者の女性は火災の発生に気が付いて逃げようとはしなかったのかな?」

山葉さんは、あごの下に手を当てながらつぶやいた。それは、考え事をするときの彼女の癖だ。

「火災と言っても、実際はガス爆発が原因で一気に火が燃え広がったみたいなの。室内の家具もほとんど燃え尽きたような状態なので、遺留品などの証拠が無いって」

奈々子さんの話を聞いて、僕はふと思い当たることがあった。

「それ、先週松原で起きたガス爆発火災の事ですか?」

僕はガス爆発とそれに伴う火災で一人暮らしの高齢の女性が死亡したというニュースを見た覚えがあったのだ。

奈々子さん眉をひそめて考えていたが、おもむろに僕に告げる。

「事件性があるとして捜査をしていることは内緒にしてください」

山葉さんはあごの下に手を当てたままで、ブツブツとつぶやく。

「でも、爆発があったとすれば窓ガラスも割れているはずだ。窓が施錠されていたというのは何を根拠にしているのだろう」

「それは、消火にあたった消防隊員や鑑識の証言でしょう。」

奈々子さんは自分自身に言い聞かせるように答える。

「密室性の有無によって自分が殺人罪に問われる人間が近くに潜んでいたとすれば、爆発の直後に施錠されていなかった窓ガラスを、施錠状態にして逃走する可能性があるのではないだろうか」

爆発で吹き飛んでしまうことがわかっていれば、鍵が開いた窓から室外に出て、爆発直後に戻ってあたかも密室であったようにガラスの割れた窓枠を施錠することは可能だ。

山葉さんはさらに続ける。

「密室にしても、容疑者のアリバイにしても検証する方法はあるはずだ。この件について坂田警部に話を聞きたいが。彼に聞くのが無理なら、室井さんか高山さん辺りに話を聞くことはできないかな。」

奈々子さんは室井さんと高山さんの名前が出たところで表情を明るくした。

「ああ、それだったら室井君に連絡してここに顔を出してくれるように頼んでおきます。確かに憲治君は状況が深刻ならなおさら山葉さんには頼もうとしないと思いますから。」

坂田警部は霊の存在に否定的で、事件解決に山葉さんや僕の持つ霊視能力を使うことなどはあり得ないという態度を貫いている。

今回の件でも彼が態度を変えて、僕たちに協力要請するとは思えなかった。

その反面、室井さんと高山さんは坂田警部の部下だが、これまでに何度か山葉さんと一緒に霊が絡んだ事件の捜査を行った経験があった。

「火災で亡くなった女性が、普段から手元に持っていた現金の額はわからないでしょうか?それが火災後に無くなっていたとすれば、強盗説の裏付けになると思うのですが」

ぼくは、疑問に思っていたことを奈々子さんに尋ねた。もしも強盗殺人ならば犯行後に現金がなくなっているはずだ。

「鑑識の話では、現金はたとえ火災に遭っても燃えカスを調べれば分かるはずなの。でも室内には多額の現金があった形跡はないと言うの」

「それでは強盗に入られた可能性もあるわけですね」

奈々子さんは僕の説を聞いて、苦笑気味の笑顔を浮かべる。

「それだけでは強盗に入られた証拠にはならないのよね。でもありがとう。とりあえず室井君に時間が取れる時にここに寄るように頼んでおくわ」

奈々子さんは綾香ちゃんをベビーカーに乗せると、マスクとサングラスを付け始めた。

山葉さんはベビーカーをのぞき込みながら、奈々子さんに言った。

「あたしたちでお力になれるかわからないが、出来ることはさせてもらうよ」

「ありがとう。持つべきものは友達だわ」

奈々子さんは改めて礼を言うと、祥さんに飲み物の代金を払って店をあとにした。

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