第189話 浩一君の想い出

田島さんは身を乗り出した山葉さんに気圧されるように身を引いた。

「そいつは、僕と同時期に入隊して同じ部隊に配属されてていた北条浩一というやつです。自衛隊の訓練は結構きついですし、上下関係も厳しいので、いつもお互いに励まし合いながら頑張っていたんです」

「それでは田島さんが除隊後に彼が交通事故に遭ったという事ですか」

自衛隊員の任期がどれくらいかよく知らないが、田島さんは除隊後に調理師学校に行ったと言うので、そう長い期間ではなかったはずだ。

「ええ、ぼくは2年間で退官して調理師を目指したのですが、浩一はその後も自衛隊勤務を続けていました。僕がまだ調理師学校に通っている頃に浩一が事故で死んだと知らせが入ったのです。その後調理師学校を卒業して、こちらの仕事に応募したころに夢を見たんですよ」

「どんな夢ですか?」

今度は祥さんが、身を乗り出した。

僕たちにとって、夢は潜在意識のいたずらだと済ましてしまうことができない部分があるのだ。

「僕が住んでいるアパートでなんて事の無い日常生活を送っている夢だったんです。僕の住んでいるアパートはトイレと風呂場、それにキッチンが共有なのですが、キッチンには高い位置に小さな窓があるんです。窓の外は他の建物との間の狭い空間で、塀で仕切ってあるのですが、その窓のすりガラスの向こうに人の顔が見えたのです」

僕は話をそこまで聞いた時点で、話の行方が分かったような気がして背筋がゾクリとした。

最近慣れてきたとはいえ、僕は幽霊の話は苦手だ。

「自分は何の気なしに窓を開けました。そこにいたのは自衛隊時代の友人の浩一でした。その窓から顔を出すには建物の間の狭いスペースに入り、さらに塀の上に立たないとその位置に顔が来ないような場所なんです。ぼくは浩一にそんなところにいるよりも、出入り口の方に回るように言ったのです」

「その時彼はどんな反応を示しました?」

山葉さんが興味深げに田島さんに尋ねる。

「彼はもともと温和な性格なのですが、にっこり笑ってうなずくと窓から姿を消したのです。僕も自分が指示したとおりに入り口に回ったのだろうと思ってアパートの玄関口に向かったのですがその時に浩一が事故で死んだと知らせを受けていたことを思い出したのです」

僕たちは彼の話に感情移入していたので息をのんだ。

「それで、どうしたのですか」

僕の質問に彼は穏やかな笑顔を浮かべて答えた。

「無茶苦茶怖くなったのですけど、その時にはアパートの玄関の前まで来ていたのです」

祥さんが心なしかひきつった顔で田島さんに尋ねた。

「そ、それで玄関を開けちゃったのですか?」

「玄関の扉はすりガラスがはまっているのですよ。その向こうに浩一が立っているのがぼんやりと見えていました」

僕たちは話の先を促すこともできずに黙って聞き耳を立てる。

「僕も迷いましたね。玄関にカギをかけてしまおうか、それとも思いきって開けてしまったものか。結局、自分で玄関に回れと言った手前、締め出してしまうのもかわいそうなので、玄関の引き戸を開けることにしました」

「結果はどうなったのだ」

山葉さんが緊張気味の声で問いかけると田島さんはふっと笑った。

「残念なことにそこで目が覚めてしまったのです。でも目が覚めた時は怖かったですよ。ほんと」

僕たちは肩透かしを食わされた気分で無言で互いの顔を見ていたが、山葉さんが気の抜けたような声で言った。

「開ける前に目が覚めて幸せだったかもしれないね。でも、結局彼はあなたに取り憑いてしまったという事だな」

「そういうことなんですね」

田島さんは気味悪そうな表情で自分の隣の椅子を見つめる。

話題の中心となっていた北条浩一さんらしき霊はそこに座っているのだが、彼は僕たちの話を聞いている様子はなく、無表情にそこにいるだけだった。

「その霊が付きまとうのが恐ろしいならば、私の手で浄霊を試みてもいいのだがどうする?」

山葉さんは遠慮がちに田島さんに問いかけた。彼女は霊がいたとしてもむやみに浄霊することはしない。

関係者の意向や、意思疎通ができれば取り憑いている霊の意向すら汲んで、浄霊が必要かを判断するのだ。

田島さんは、彼にとってはなにも見えないはずの椅子の上の空間をしばらく凝視して考えていたが、落ち着いた口調で山葉さんに告げた。

「浩一はいい奴だったのです。たとえ死んで霊になったとしても僕に危害を加えるとは思えません。きっと何か用があって僕に取り憑いているのだと思うので、しばらく様子を見てみます」

僕は山葉さん、そして祥さんと顔を見合わせた。彼の度量の大きさに感心すると同時に、その判断がもたらす結果を考えていたのだ。

もし、浩一さんの用事が完結することがなかったら、カフェ青葉で彼が働いている間、店内に浩一さんの幽霊が鎮座することになるのだろうかと懸念したのだ。

翌週から、田島さんがシェフとして働きに来始めると、僕の心配は現実の事となっていた。

厨房からお店の中に料理を運ぼうとしていると、厨房から通路を挟んだ反対側にある和室に浩一さんがたたずんでいたり、オーダーをとってカウンターに戻ろうとしていると、店の隅にいた浩一さんの霊に鉢合わせしたりすることが増えてきたのだ

本来は幽霊が苦手な僕の精神状態は次第に追い詰められていった。

そんなある日、幽霊の浩一さんにピンチが訪れた。夕方のアルバイトのシフトに沼さんが加わったのである。

大学や、大学院の講義も始まったので、山葉さんと田島さん、そして祥さんのフルタイムで働くメンバーに、その時の忙しさに応じてアルバイトの僕や沼さん、そして木綿さんが手伝いに入るシフトがスタートしたのだ。

沼さんは神道の流れをくむ山葉さんとは異なり、キリスト教系の悪魔祓師だった。

そして彼女は霊が存在することに気が付くと、銀の十字架を取り出してあっさりとその霊を祓ってしまう凄腕の持ち主だ。

いっそのこと、沼さんが浩一さんの霊をあっさり消してくれればいいような気もしたが、これまでの経緯を考えるとそうもいかない。

僕はやむを得ず沼さんに連絡を取って、カフェ青葉にいる幽霊を闇雲に浄霊しないように注意することにした。

僕は大学院の午後の講義が始まる前に連絡を取ろうとしたが、LIMEのトークを送っても僕のメッセージはいつまでたっても既読にならなかった。

要するに彼女は僕のメッセージを見ていないのだ。

焦った僕は、彼女がいそうな場所を片っ端から探したがいつになく見つけることができない。

それでも、沼さんのクラスメートの木綿さんの姿が見えたので、僕は木綿さんを呼び止めた。

「木綿さん、僕は沼さんを探しているんだけど彼女の居場所を知らない?」

僕の問いに、木綿さんはふわりとした笑顔で答えた。

「ああ、沼ちゃんなら今日はちょっと花粉症の症状が出ているから、クリニックに行って薬をもらうと言っていましたよ。スギ花粉は収まったけど今度はヒノキが飛び始めたんですって。花粉症の人は大変ですね」

「そうか、それなら今日はアルバイトは休むのかな」

僕は多少安堵しながらつぶやくが、木綿さんは首を横に振る。

「賄いのご飯食べたいから、もらった花粉症の薬を飲んでアルバイトはするって言ってましたよ」

ぼくはスマホを見ながら途方に暮れた。

「さっきからLIMEで連絡を取ろうとしているのだけど、既読にすらならないんだ。どうしてだろう」

「ああ、彼女花粉症でボーっとしていてスマホの充電をちゃんとしていなかったとか言っていたから、バッテリーが死んでいるんですよ」

僕はどうしたものかと途方にくれる。そのままにしておけば、沼さんが浩一さんを浄霊してしまう可能性が高い。

木綿さんは自分のスマホを取り出すと、カフェ青葉のアルバイトシフト表を呼び出した。

「沼ちゃんのシフトは午後6時からなので、先輩が自分の講義が終わってから先回りすればいいんですよ。」

木綿さんはこともなげに言い、僕はそうするしかないことを悟ってため息をついた。












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