第190話 ウッチー浄霊される!?

僕は下北沢駅から、カフェ青葉を目指して小走りに急いだ。

今日アルバイトに入る予定の沼さんよりも先にお店に入りたかったのだ。

沼さんは幽霊の類を見かけたらその場で浄霊してしまうので、シェフの田島さんに取り憑いている浩一さんの霊を見たらその場で悪霊として祓ってしまうはずだ。

僕はやっとの思いでカフェ青葉にたどり着くと、息を切らせながら店の裏口から入った。

僕が厨房を覗くと、そこでは田島さんが作ったと思われるホットドッグ風の品物を祥さんがもぐもぐと食べている平和な光景が繰り広げられていた。

「内村さん、オーナーからランチタイムの軽食メニューに新しく何か考えるようにお題をいただいて試作品を作ってみました。ちょっと味を見てくださいよ」

田島さんは僕と山葉さんの関係を見抜いて、同年代のアルバイトというよりは経営者的な立場に近い扱いをしている。

僕は彼が差し出すホットドッグ風の品物を受け取ると何気なく厨房内に目を移した。

すると、厨房の隅のあたりに浩一さんの霊が無言でたたずんでいるのが目に入った。

浩一さんの霊は忙しく厨房に出入りする僕たちの邪魔にならないよう、気を使っているかのように無言でたたずんでいる。

僕は気を取り直して田島さんの作った試食品を一口かじった。

僕の口に広がった味は想像を上回るものだった。

生ハムのような柔らかい食感とスモーキーなフレーバー、その味は強い旨味を柑橘系の酸味が引き締めつつ、辛子マヨネーズがまろやかに包み込み、香りのよい野菜がアクセントとなっている。

「美味しい。生ハムか何かを使ったのですか」

僕が感想を口にすると田島さんは得意げな表情を浮かべる。いわゆるドヤ顔というやつだ。

「これはカツオのたたきドッグなのです。オーナーが土佐の国出身と聞いたので少しおもねったところもありますが、味には自信があります」

「カツオのたたきなのか。全然気が付かなかった」

僕は感心して田島さんを見た。調理師学校でプロを目指して修業した人だけあると尊敬の念が沸き起こる。

今どき土佐の国などと時代がかった呼び方はしないと思ったが、僕は余計なことは言わずに、試食品をさらに一口ほおばった。

「今、割と手すきの時間帯だから、オーナーにも食べてもらったらどうですか」

祥さんが提案したので、僕たちはトレイにカツオのたたきバーガーを乗せた田島シェフを囲んで店の中に移動した。

カウンター内で洗い物をしていた山葉さんは、田島さんが差し出した試食品を見て手を止めた。

「新しいランチメニュー、もう作ってくれたのですね」

山葉さんは田島さんが差し出す試食品をしげしげと眺めた、そして田島さんが説明しようとして口を開こうとした時、手で制した。

「待って、説明してもらう前に先入観なしで味わってみる。見たところは生ハムかロースト肉系のドッグですよね」

山葉さんは手を拭いてからおもむろに試食品を手に取った。そして大きく口を開けてかぶりつく。

田島さんが、緊張した表情で見つめる前で、山葉さんは試食品のカツオのたたきバーガーをもぐもぐと咀嚼した。

「おいしい。カツオのたたきを使ったのですね。ミョウガと玉ねぎとオオバの取り合わせもいいし、辛子マヨネーズが和テイストを覆い隠して正体不明の味にしているところが絶妙だ。」

田島さんは褒められて安堵するのと同時に、正体を言い当てられてちょっと残念という複雑な表情だ。

「さすがオーナー、一口で正体を見抜いてしまうんですね」

山葉さんはフフッと鼻で笑った。

「実は私の地元でカツオのたたきバーガーというのを食べたことがある。そのおかげで素材に見当がついたのだ。自分で考えてこの味を組み立てたとしたらそれはすごいな」

田島さんはさらに複雑な表情になった。褒められたもののカツオのたたきを使う発想が自分だけのものではないことがわかって少しへこんだようだ。

山葉さんはカツオのたたきドッグを食べながら、田島さんに尋ねた。

「メニューに載せる場合の材料代の積算はできているのかな?」

田島さんはポケットから折りたたんだメモを取り出して山葉さんに渡す。

山葉さんは片手にカツオのたたきバーガーをもぐもぐと食べながら、メモの金額を確認すると、カウンターの裏側に置いてある事務用品の引き出しから電卓を取り出して何やら計算をし始めた。

食べながら、そんなことをしているのは、カツオのたたきバーガーが美味しかったからに違いない。

「今回は試作品なので、生鮮品のカツオを鮮魚として丸ごと仕入れているが、業務用の半加工品を使う事にしよう。香味野菜も単価が高いが使う量が少ないから、どうにかなるとして」

彼女は真剣な表情で、素材の金額と利益率を検討している。

「春先の初ガツオのイメージで期間限定メニューとして提供してみよう。売れ行きが良かったら定番メニューに入れることを検討します」

「採用していただけるんですか」

田島さんの表情が明るくなった。

「もちろん。時々新メニューを考案してフェアをする方針だからこれからも頼みますよ」

山葉さんはカツオのたたきバーガーを食べつくすと、満足そうな笑顔を浮かべた。

「食べた瞬間にカツオだとわかるからすごいですね。私は燻製のシカ肉かと思いました」

祥さんが山葉さんを尊敬のまなざしで見ていた。

「いや、ベースがカツオのたたきの標準的な味だから、知っている人間にはわかるだけの話だ。田島シェフはカツオをたれに付け込んで使ったのかな」

「そうです。最初はしょうゆベースのソースをムースやジュレにすることを考えたのですが江戸前のづけのようにしっかりと味を付けた方がいいと思ったのです」

田島さんが生真面目に説明する。

新メニューが決まっていい雰囲気だが、僕は何かを忘れているような気がしていた。

「そういえば、ウッチーはアルバイトのシフトに入っていないのになぜこの時間帯に現れたのだ?」

山葉さんが今更のように僕に尋ねた。僕はバイトがなくて泊めてもらうだけの時は店が閉店したころにこっそりと現れるのが普通だ。

僕は自分が急いで店に来た理由を思い出した。沼さんに浩一さんの霊を闇雲に浄霊しないように事前に説明しなければいけないのだった。

僕が自分の用事を思い出して、慌てて店の裏口の方に行こうとするのと、沼さんがカフェエプロンを着けてバックヤードから店内に入ってくるのはほぼ同時だった。

「すいません。電車が遅れたので少し遅くなりました」

沼さんは普段と変わらない雰囲気でアルバイトの業務に入る。彼女が来たところで専属のスタッフは店内を任せて賄の夕食を食べたりするのだが、沼さんは店内の異変にいち早く気付いていた。

霊感の鋭い彼女は田島シェフと共に店内に移動して、バックヤードに通じるドアの近くにたたずむ浩一さんの霊を一瞬で感知したのだ。

沼さんは胸元から銀の十字架のペンダントを取り出すと一心に祈り始めた。

「待て、沼さん。その霊はまだ浄霊しないでくれ」

僕は叫びながら沼さんの方に駆けだしたが、神にささげる祈りに集中している沼さんには僕の声は届いていない。

僕は沼さんと浩一さんの霊の間に割り込むと両手を広げて立ちふさがった。

いくらなんでも、僕が前に立ちふさがれば悪霊払いの術を使わないと思ったのだ。

しかし、祈りを終えた沼さんは十字架を突き出すと、悪霊払いの術を解き放っていた。

スローモーションのように周囲の動きが緩やかに感じられる中で、沼さんの顔に驚きの表情が広がっていくのが見えた。

今更のように僕の存在に気が付いたといったところだ。

僕は広げた両手を顔の前に持ってきて防御の姿勢をとるのが精いっぱいだった。そんなものが沼さんの術に対して効力があるかは神のみぞ知るところだ。

やがて、僕は沼さんが放った術による白い閃光に包まれていた。

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