大切な友人

第188話 田島さんの経歴

このところカフェ青葉の2階は引っ越し荷物で足の踏み場がない状態が続いていたが、ご本人の小沼さんの到着と同時に荷物の運び入れが始まった。

「小沼さん、この段ボール箱は何処に置いたらいいの?」

僕が大きな段ボール箱を抱えて廊下から声をかけると、ドアから顔を出した小沼さんが答える。

「それは、衣類なのでこっちのクローゼットの前においてください。それから私のことは祥と呼んでくださっていいですよ」

「ふむ、祥さんのほうがわかりやすくていいな。アルバイトに沼さんも来るから紛らわしいと思っていたのだ」

山葉さんが自分も段ボール箱を抱えて僕の後ろからつぶやいた。

荷物を運んだり、中身を開いたりしながら取り留めのないことを話しているのも悪くない。

僕は長野の家具屋さんから送られてきたベッドを組み立て終わって、次の大物であるクローゼットの入った段ボールを運び込むために廊下に出た。

大きくて重い段ボールを抱えて、祥さんの部屋に運び込もうとすると、彼女の大きな声が響いた。

「ウッチーさん、今は入ってきちゃダメです」

「そうだな、ウッチーには目の毒だからしばらく廊下で待っていてくれ」

祥さんと山葉さんは口々に僕を制止する。どうやら下着か何かが入った箱を開けたらしい。

仕方なく廊下に出て、所在なくたたずんでいると、窓の外に4月の青空が広がっているのが見える。

僕はもうすぐ大学院の授業も始まるので、時間のある時にお花見に出かけようと山葉さんと話していたところだ。

その時、店の外に設置したインターホンの呼び出し音が響いた。

「来客みたいですよ」

僕が声をかけると、祥さんの部屋の中から山葉さんが答える。

「シェフをしてくださる田島さんが来ることになっていた、入り口を開けて店のテーブル席で待ってもらってくれ」

僕は階下に降りると、バックヤードから店内に入って、出入口のロックを外した。

外にいるのは、カフェの専属シェフを務めてくれる予定の田島さんで、僕は初対面だ。

「おはようございます。この度、貴社のシェフを仰せつかった田島であります」

田島さんは緊張した表情で固い雰囲気の挨拶をする。

彼の身長は僕と同じくらいだが、筋肉質の体形で短い頭髪と相まって精悍な雰囲気が漂う。

挨拶するためか、ブラックのスーツに身を包んだ彼はびしっとした固い雰囲気を身にまとっていた。

僕はとりあえず彼を店内に案内することにした。

「おはようございます。僕はアルバイトの内村です。どうぞ中に入ってください」

田島さんを店内に案内すると、僕は座るように促してから飲み物でも出すことにした。

「オーナーは2階にいて、すぐに来ます。何か飲み物はいかがですか」

「ホットコーヒーをお願いします」

田島さんは背筋を伸ばして椅子に座ったまま答えた。

考えてみれば、彼が最初に口にするカフェ青葉の飲み物かもしれないので、店の印象を左右すると言う意味で責任重大だ。

僕は2階にいる二人にも飲み物のオーダーを聞いてから、少し緊張気味にコーヒーのドリップを始めた。

女性二人はカフェラテをご所望で、僕と田島さんがホットコーヒーというオーダーとなったので、準備を進めるうちに、山葉さんと祥さんも店内に姿を現した。

田島さんが仕事に入るのは来週からだ。

今日はあいさつに来ただけなので、コーヒーを飲みながらスタッフの顔合わせのような雰囲気となった。

「この度は私のような若輩者を専属シェフに雇用していただきありがとうございます」

田島さんは山葉さんに最敬礼しそうな雰囲気だが、山葉さんは生真面目に答えた。

「いいえ、うちのような店に専属で来ていただけるなど勿体ないくらいです。どうか末永く一緒に働いてください」

二人がお辞儀の応酬をしている間に、僕は妙なものに気が付いてしまった。

僕たちがベンチシートに並んで座っているのに対し、田島さんはテーブルをはさんで椅子に座っている。

彼は一人で来たのだから当然隣の椅子は空席のはずなのだが、僕の目には誰かが椅子に座っているように見える。

隣にいる祥さんの様子を見ても僕と同じように無人のはずの椅子に目を凝らしているので、僕は思い切って声をかけた。

「祥さん、田島さんの隣の椅子に何か見える?」

「ウッチーさんもですか、私には田島さんと同年代の男性がいるように見えるんですけど」

僕たちの会話を聞いた山葉さんは顔を上げるとつぶやいた。

「ほう、私だけかと思ったが二人にも見えているとしたら、それは何かしら存在するという事だな」

僕たちが三者三様に何かを見ているという事は、彼にも切れ切れに聞こえながら伝わったようだ。

「ちょっと、一体何がいると言っているんですか。この椅子には誰も座っていないでしょう」

彼は僕たちの顔と隣の椅子を交互に見ながら恐慌にとらわれたように問いかける。

「そうだな、何もいないと言えばそのとおりなので、あなたはあまり気にしない方がいいと思うよ」

山葉さんが優しい雰囲気でなだめるが、田島さんは納得しなかった。

「うそだ、そっちの女の子が僕と同年代の男性が見えると言ったのが聞こえましたよ。そいつがどんな姿形をしているか教えてください」

僕が教えようかと迷っていると、隣にいる祥さんがおもむろにしゃべり始めた。

「オリーブ色の作業服みたいな上下を着ています。シャツの下にはもすぐりーんのTシャツ、靴はハイカットのヒモ靴ですね。髪の毛は短紙であごの下だけに髭を残しています」

祥さんが存在しないはずの人影の容姿を説明すると、田島さんは急に黙ってしまった。

「田島さんはここに来る前にはどこで働いていたのですか?」

僕は皆が黙っているのに耐えられなくて田島さんに尋ねた。

「自分は調理師学校を卒業したばかりです。その前は自衛隊に所属していました」

「自衛隊員だったんですね。すごいじゃないですか」

祥さんが感心したようにつぶやき、その横で山葉さんが自慢げに言う。

「私は履歴書見て、彼の経歴が気に入ったから面接に残したのだ」

「いえ、自衛隊と言っても一般の隊員ですから」

僕は自衛隊自体をよく知らないので一般隊員が良いのか悪いかもわからないが、一つわかったことがあった。

「隣の椅子に座っている人は自衛隊時代の仲間ではないかな」

僕が小声でささやくと、祥さんは大きな声をあげた。

「そうか、ミリタリー系のコスチュームだったのですね」

その声は、田島さんの耳にも届いたようだ。

「僕の横に自衛隊員の格好をしたやつがいると言うのですね」

田島さんは心なしか沈んだ声で祥さんに尋ねる。祥さんは自分の声が大きすぎたことに気づき、口を押さえた。

「すいませんね。信じられないかもしれないが、私たちは死者の霊を見ることができるのです。面接の時にお話しした、私の祈祷の仕事の件と合わせて最初に知っておいてもらった方がいいかもしれない」

山葉さんは、ちょうどいい機会だと思ったらしく、僕たちの霊視能力を彼に告げた。

「霊が見えるのですか?」

田島さんは訝しげに山葉さんの顔を見つめる。

「私も何かがいる程度には見ることができるが、この二人はもっと鮮明に見ている。そのため、時折浄霊等の依頼が来ることもある。薄気味が悪いと思うなら、この仕事を断ってくれてもいい」

田島さんは僕たちの顔を見回していたが、やがて笑顔を浮かべた。

「別に気にしませんよ。僕は気分よく普段の仕事ができる職場がいい。ここはとても雰囲気がいいと思うのでよろしくお願いします」

僕は、隣にいる祥さんが、ホッと息を吐き出すの感じた。

彼女はしくじったと思って身を固くしていたのだ。

田島さんは、自分に隣の誰も座っていない席に目をやった。

僕たちには自衛官らしき霊が見えている場所だ。

「そこにいるのは、僕の自衛官時代の友人だと思います。二ヶ月前に交通事故で亡くなったと人づてに聞いたところです」

「心当たりがあるのですね」

山葉さんが心なしか身を乗り出して尋ねた。






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