第153話 死神は親しき者の姿を借りる

ひまわり畑に出かけた日の夕方、美咲嬢と黒崎氏は僕と山葉さんをカフェ青葉まで送ってくれた。

お店の裏口から入った僕たちをクラリンが目ざとく見つけて寄ってくる。

「おかえりなさい。ひまわり畑どうやった」

「すごく綺麗だった。天気が良くてピクニックに最高だったよ」

僕は荷物と一緒にアンティークな雰囲気の金庫を小脇に抱えて答える。

クラリンはフロアを仕切って一日働いたためか少し疲れた表情だ。

「ウッチーはいいよね、推薦入試で修士課程進学も決まったから秋学期が始まるまで羽を伸ばし放題やん。9月になってハイシーズンから外れたら山葉さんと海外旅行にでも行くんじゃないの」

彼女の言葉は僕の願望を言い当てていた。秋学期の始まりは9月の末からなので、就職活動に忙しいクラリンや雅俊と比べて、ありのままに言って暇なのだ。

しかし、現実はいろいろと厳しい。

「修士課程の授業料を自分で稼ぎたいからせっせとアルバイトをするだけだよ」

僕がボソボソと答えると、山葉さんが同じような口調で言い訳するように言う。

「私も、細川さんが休養中なので長期のお休みを取るわけにはいかないし、ちょっと物入りな用事があるのでお金は大事にしないとね」

クラリンは僕たちの顔を交互に見るとため息をついた。

「そんなこと言って、二人して結婚資金をためているんでしょ」

「い、いや私は別に結婚資金をためているわけでは」

山葉さんは心なしか顔を赤くして口ごもったが、クラリンは深追いしないで話題を変えた。

「今日はもう片付けみたいなものやから、二人ともゆっくり休んでください」

彼女が手を振って、厨房に引っ込んでしまったので、僕たちはそのまま2階にある山葉さんの部屋に入った。

お出かけの後片付けでピクニックシートを洗わなければいけないが、それは明日の朝にすることにした。

昼食に使った食器の類はほとんどが使い捨てなのでそのままゴミとしてまとめ、バスケットやカバンの類を収納したら後片付けは終わりで、山葉さんはバスルームに行ってシャワーを使い始めた。

僕はキッチンのテーブルに泉さんから預かった金庫を置いて検分することにした。

金庫はアンティークな雰囲気の金属製で、片手で持てる程度の大きさだ。

輸送がしやすいように、上部に取っ手が付いていて、そこにひもを付けた鍵が結び付けてある。

正面にはダイヤル式のロックがありその下にカギ穴がある。ダイヤルで数字を合わせた後で鍵を使って開ける形式のようだ。

鍵穴の形からして取っ手に結び付けた鍵が使えそうなので、この金庫を開けるのに必要なのはダイヤルの数字の組み合わせだけだ。

映画などでは金庫破りが聴診器を当てて数字の組み合わせを解き明かしていくシーンが登場するが、あいにく僕はそんなスキルは持ち合わせていない。

僕はダイヤルの数字の組み合わせを考えながら、あてもなくダイヤルを回してみた。

その時、自分のものではない誰かの記憶がふわりと僕の頭の中に流れ込んだ。それは、今よりももっとあどけない姿の泉さんの映像だった。

霊感が強い僕は、いつのころからか物に宿る強い思念を読み取ることができるようになっている。

今回は金庫に染み付いている泉さんの祖母の思念を意図的に読もうとして、それが成功しつつあるのだ。

期待通りに、僕の頭は泉さんの祖母の思念で満たされていく。

泉さんの祖母の思念を取り込んだ今は、目に入れてもいたくないほど可愛い孫娘を想い、その健やかな成長を願う思考が頭の中に広がる。

しかし、思い浮かぶのはそれだけではなかった。若くして死んだ妹のことや、自分の体調不良の原因に彼女は思いをはせていた。

自分や妹が苦しんだ、喘息のような症状がもしかしたら親から子に伝わるのではないかという懸念。

母からは自分の家系には肺病を患うものが多いと聞かされていて妹も夭折したことから、半ば宿命のように思っていたが、幸いにも自分の娘の佐和子や泉にはその兆候は見られない。

結局、自分の思い過ごしであればそれに越したことはないと娘の佐和子にすらその話は伝えていなかった。

書斎の金庫を手に取ると泉の名前の語呂合わせの1、2、3にダイヤルを合わせ、鍵を差し込んで金庫を開ける。

その中には、指輪などのわずかな貴金属と一緒に孫娘の写真が入っていた。

娘夫婦がくれた、小学校の運動会や、ピアノの発表会等、折々の泉の写真は自分にとって宝物だ。

写真をめくりながら、孫が健やかに育ってくれるものなら自分の命など差し出しても惜しくないと取り留めもなく考える。

自分の息苦しさは日常生活に差しさわりが出るほどになっていた。この金庫をもう一度開けることがあるだろうかと考えながら再び金庫を閉じることにした。

僕の頭に流れ込む思考はそこで途切れた。

金庫に残されていた思念は想定通り泉さんの祖母のもので、自分の体調が悪い中で孫娘を思う気持ちに打たれて僕は不覚にも涙がこぼれそうだ。

「どうだ? 金庫を開ける手掛かりは得られそうか?」

いつの間にか、シャワーを使い終えた山葉さんがバスタオルを巻き付けた姿で後ろから覗き込んでいた。

「そうだ。金庫の番号が記憶に残っている」

僕は慌てて金庫のダイヤルを回した。

思念に登場した泉さんの祖母はダイヤルを左に数回、回してから数字を合わせていたようだ。

僕も左にぐるぐると回した後で数字を合わせる。ダイヤルの数字の組み合わせは1、2、3、だと憶えている。

しかし、僕の手はそこでぴたりと止まってしまった。

彼女の数字の合わせ方は単純に数字を3回合わせるよりももっと複雑なことをしていたように思えたからだ。

僕がそこで分からなくなったのは、金庫の持ち主にとっては慣れた動作なので自動化されていて細かい動作までは意識に残っていないためにちがいない。

僕は助けを求めるように山葉さんを振り返った。

「どうしたんだ」

彼女はシャワーを使って血色がよくなった顔にきょとんとした表情を浮かべて僕を見ている。

「金庫の番号はわかっているけど、どうやったら開けられるかわからないのです」

彼女は僕の言葉の意味を考えていたが、やがてクスクスと笑い出した。

「わかった、ウッチーはダイヤル式の金庫を開けたことがないのだな。」

彼女は僕の顔の横に乗り出してきて、金庫に手を伸ばした。

「最初に左右どちらに回すか覚えていないか? 」

僕は消えていきそうな他者の記憶を必死で思い出そうとする。

「左に回してリセットするような動きをしていました。」

「その通り、最初にぐるぐる回して初期状態にすることが必要だ」

山葉さんはダイヤルをグルグルと左に回した。

「次は数字の組み合わせをおしえてくれ」

「1、2、3の3つの数字です。」

僕が答えると山葉さんは早速ダイヤルを合わせ始める。

「そういう場合は最初に1に合わせて右に回してあと2回、合計3回1に合わせる、次は左に回して2に2回、最後に右に回して3に1回」

彼女は言った通りにダイヤルを回して見せると僕に言う。

「これで鍵を回したら開くはずだ」

僕は言われたとおりにカギを差し込んで回してみた。金庫からはカチリと音がして蓋が開いていた。

「いともあっさり開けてしまったのだな。さすがはサイコメトラー探偵」

山葉さんが持ち上げるが、僕は金庫の中に残る泉さんの写真を目にして悲しくなる。

「金庫には彼女のおばあさんの思念が残っていました。その思念の中に泉さんの成長を願う気持ちや金庫を開ける場面の記憶があったのです。でも、これを開けたからと言って彼女の病気が治るわけではないのが悲しいですね」

「それはそうだが約束は果たしたわけだから、明日にでも連絡してあげたらどうかな」

彼女もしんみりした雰囲気で答える。

「明日の午後にでも面会に行ってみます」

不治の病で病状が進んでいる泉さんとは、接し方が難しい部分があるが約束は果たさなければならない。

翌日、僕は金庫をリュックサックに入れてバイクで泉さんが入院する病院に出かけた。

9月最初の営業日に当たるので、病院の待合室は午後になっても込み合っている。

面会時間中なので僕は直接小児病棟まで行き、病棟内のナースステーションで泉さんの病室を尋ねる。

僕は彼女の病室をすんなり教えてもらえると思っていたが、彼女の名前を聞いた看護師さんは表情を硬くした。

「橋村泉さんの身内の方ですか? 彼女は昨夜から容体が急変してICUに移っています。ICUはこちらになります」

彼女は病棟案内図でICU、つまり集中治療室の場所を示してくれる。僕は礼を言うと、ICUがある病棟に急いだ。

教えてもらったICUに着くと、そこには挿管されて人工呼吸器を装着され、様々なモニターのや点滴などのチューブをつながれた泉さんが横たわっていた。

彼女は意識がないようで、部屋の中には彼女につながれたモニターの音だけが響いている。

僕が成すすべもなくベッドのそばにたたずんでいると、昨日いずみさんの代わりに金庫を持ってきてくれた看護師さんが男性を連れて現れた。

男性は泉さんが横たわるベッドのそばに行くと、泉さんを呼び始める。

僕は男性の様子を眺めている看護師さんに聞いてみた。

「あの、泉さんの病状はどうなんですか」

看護師さんは、話しかけられてやっと僕の顔を思い出したようだ。

「ああ、小児病棟に来ていただいていた方ね、その節はありがとうございました。彼女は一時的に血圧が下がって危険な状態だったけどどうにか持ち直しました」

「また話したりできるんですね。実は昨日預かった金庫を開けることができたので見せてあげようと思って持ってきたんです」

僕は背中のリュックサックを降ろすと、その中から金庫を出して見せた。

「まあ、彼女が開け方がわかないと言っていた金庫ね。どうしましょう。私が預かっておいていいのかしら」

「お願いします」

僕はリュックサックから取り出した金庫を手渡しながら、泉さんを呼び続ける男性が気になっていた。

「あの人は泉さんのお父さんですか?」

「ええ、そうなんです」

僕は看護師さんと一緒に、彼の様子を眺めた。泉さんのお父さんは今にも彼女が死んでしまいそうな雰囲気で必死に名前を呼び続けている。

「泉さんの病状をちゃんと教えた方がいいのでは? 」

「私もそう思っていたんです。おかしいな、ここに来る途中でちゃんと病状の説明をしたつもりなのに。」

看護師さんは、泉さんのお父さんのところまで行くとポンポンと肩をたたいてから、あらためて説明を始めた。

数分後、僕は病棟の端にあるソファーに泉さんのお父さんと並んで座っていた。

「泉を気分転換に連れ出してくれたそうですね。ありがとうございます」

「いいえ」

なんとなく気まずい空気が流れる。

「泉の病気は遺伝性の疾患なのです。あの子の病気が分かった時に、私はなぜ病気のことを隠していたのかと妻を責めてしまったのです」

僕はハッとして、彼の顔を見つめた。

「後に分かったのですが妻はそんな病気の存在すら知らなかったようです。当然ながら妻は私や私の両親の言いがかりに反発して感情的面で深い溝ができ、それがもとで私たちは離婚しました」

泉さんのお父さんは頭を抱えた。

「泉は母親を責めた私を恨んだようで、私に心を開かなくなりました。私はいつしか泉が入院しているこの病院から足が遠ざかっていたのですが、容体が急変したと聞いて駆けつけてあの子の病状がもう長くないと知りました、今私は自分の仕打ちがあまりにひどかったのではないかと自責の念に駆られているのです」

僕はため息をついた。

「そもそもは病気のせいですよ。もっと彼女のそばにいてあげてください」

泉さんのお父さんが顔を上げて何か言おうとした時、通路を足早にやってきた看護師が彼の前に立った。

「橋村泉さんの近親者の方ですね、外科の高橋先生からお伝えしたいことがあります。すぐに外科病棟までおいでください」

泉さんのお父さんは、僕に会釈すると看護師に引っ張られるようにして行ってしまった。

取り残された僕は、ソファーから腰を上げて引き上げることにした。

その夜も、僕は山葉さんの部屋にお泊りした。雅俊の下宿で試験の勉強をしているという作り話を僕の両親が信じているかは神のみぞ知るだ。

寝る前に病院での出来事を話すと山葉さんは眠そうにつぶやいた。

「もう少し泉さん本人を気にかけてもらいたいものだな。あれでは彼女がかわいそうだ」

僕は集中治療室でチューブだらけになっていた彼女を思い出して、ゆっくりとうなずいた。

その夜、僕は夢を見た。

昼間、ICUに収容された泉さんを見たせいか彼女の夢だった。

夢の中でぼくは泉さんと一緒にあのひまわり畑の中にいた。そして、その横にはもうひとつの存在が不気味にたたずんでいた。

それは、死期が迫った病人等のそばで時折見かけるあの黒い影だった。

黒い影は泉さんの横までくると顔につけていたマスクを取る。その下から現れたのは40代くらいに見える女性の顔だ。

「おかあさん。会いに来てくれたのね」

泉さんが弾んだ声を出すと、その影の手を握った。そして泉さんは影と手をつないだままで歩きはじめる。

『そいつと一緒に行ってはダメだ』

僕は彼女を引き留めようとするが、思ったように声が出ない。そして地面に根が生えたように足も動かせなかった。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る