第152話 開かずの金庫

一時間ほどで黒崎氏が運転するミニバンは筑波山のふもとに広がるヒマワリ畑にたどり着いた。

広々とした田園風景の中でヒマワリの花の黄色と、葉の緑色、そして空の青さが鮮やかなコントラストを生み出している。

「なかなかの凝りようだな。八重咲ヒマワリの畑まで作ってある」

山葉さんが感心してつぶやいた。

ちょっとした畑にヒマワリが植えられている光景を想像していた僕たちは、いい意味で裏切られたようだ。

僕たちは臨時駐車場にミニバンを置いて、ヒマワリ畑を散策する。

臨時駐車場の周辺にはヒマワリの切り花を売るテントや、地元の農産物を販売するテントもありそこそこの賑わいだ。

泉さんは酸素ボンベのキャリアを引っ張って歩く。

ボンベのカートは砂利道にかかると車輪が引っかかって彼女は苦労している。

僕は思わずストラップに手を伸ばして手伝っていた。

彼女は急に抵抗が減ったので驚いて振り返ったが、僕が手助けしていることに気が付くと満面の笑顔になった。

「ありがとう。私、以前から出かける時には酸素犬が欲しいと思っていたのよ」

「酸素犬って何?」

僕が尋ねると泉さんの代わりに、美咲嬢が口を開いた。

「肺機能が低下した方は、買い物などで出かけると息切れしてしまうので酸素ボンベの携行が必要になりますの。酸素犬はそんな方のために酸素ボンベを引っ張ってくれる介助犬の一種なのですわ。」

なんででいきなり犬扱いなのかなと僕は少々気を悪くするが、喜んでいる泉さんを見ると水を差したくないので余計なことは言わないことにした。

「ポチ、この道の向こうまで行ってみたい」

彼女はひまわり畑の真ん中の道を示して言う。

「ワン!」

僕は一声答えると、ボンベを引っ張って彼女の後を追った。

細い道の両側には、僕の背丈より高いヒマワリがびっしりと植えられ、大輪の花を咲かせている。

歩くのにつれて、道脇のヒマワリの花が流れ去っていき、道の先に見える青い空にはポッカリと白い雲が浮かんでいる。

ヒマワリ畑が途切れるところまで行くと、水田の向こうに筑波山が見えた。

平野の中に独立した山容は、山頂が二つに分かれた双耳峰と呼ばれるシルエットだ。

「すごく気持ちよかった。ありがとう」

泉さんは立ち止まって軽く息を切らせていた。

「大丈夫なの?。ちょっと歩きすぎたのかな」

「そうね、ペースが速すぎたかもしれない。無理をするなって言われていたんだけど」

泉さんはその場にしゃがみこんだ。僕はどうしたらいいのかわからず、彼女の顔をのぞき込む。

「大丈夫よ。少し休めば治るから」

彼女はそう言いながら白っぽい顔をしてあえぐように早い呼吸をする。僕は仕方なく彼女の横に並んでしゃがみこんだ。

「なけなしの肺の機能が、私の脳が必要とする酸素を供給できなくなったら、それが終わりの時。私という存在はこの世界から消えてしまうのよ」

彼女は独り言のようにつぶやく。僕はその言葉から彼女が自分の病気とその先に待ち受けている死を考えていることに気が付いた。

先日から彼女が時折見せるシニカルな態度は、彼女の死生観に端を発しているようだ。

「本当に何もなくなると思う?」

僕が問いかけると彼女は顔を上げた。

「天国に行けるとか、生まれ変わるとか言って気休めを言ってくれるなら、何か証拠を見せてよ」

頭の回転の速い彼女は会話の行きつく先を見越して先回りしていた。

「証拠ねえ」

来世とか幽霊が存在することの証拠を示すのは難しい。物質的な証拠より、彼女が納得できる情報を示す方がましかもしれなかった。僕は考えてから彼女に告げた。

「泉さんの親しい人で、亡くなった人からメッセージを預かってくるというのはどうかな」

特にあてがあるわけでもなかったが、売り言葉に買い言葉で僕は答える。

泉さんは、まだ早い呼吸をしていたが、少し興味を持った表情で僕に言う。

「それじゃあね、私が小学校5年生の時に死んだおばあちゃんにメッセージをもらってきてよ。本当におばちゃんのメッセージだとわかったらあなたの言うことを信じるから」

僕はとりあえずうなずいて見せた。うまくいくかはわからないが、手掛かりになる品物を借りて、トライしてみるつもりだ。

その時、僕たちの後を追ってきた美咲嬢が僕たちの横に立った。

「急いで歩きすぎたみたいですわね。ちょっと酸素の吸入を手伝いましょうか」

彼女はボンベに付属していた吸入用のバッグをはずすと彼女が使っていた酸素チューブにつないだ。

バッグ自体に特別な機能があるわけでなく、袋にボンベから供給される酸素をためておいて、彼女の呼吸に合わせて吸わせてあげるものだ。

それでも、泉さんの呼吸に合わせて美咲嬢がバッグを操作すると、白っぽくなっていた彼女の顔に赤みが戻ってきた。

「ありがとう。何だか楽になってきた」

泉さんの言葉に、美咲嬢は目を細める。

「陰陽師の山葉さんがお昼を用意してくれていますわ。みんなで食べましょう」

美咲嬢が元来た方向を示し、僕たちは再びヒマワリの間の小道を今度はゆっくりと歩いて戻った。

駐車場の近くの広場では、木陰やタープの下でピクニックシートを広げる家族連れも見られる。

そして、木陰の一つで、山葉さんと黒崎氏が家族連れに紛れてピクニックシートを広げていた。

「少し秋の気配がしてきたから、ピクニックもいいかと思ったのだ。チキンバスケットとおにぎりを用意してきたからみんなで食べよう」

彼女の言う通り、真夏と比べて空気の湿度が少し下がってきた感じで、日差しが防げたらピクニックも悪くない。

チキンのから揚げを詰めたバスケットとおにぎりにブロッコリーとトマトの野菜が添えられて供された。

山葉さんが作ったおにぎりは大きな俵型で真ん中あたりに海苔が巻いてある。中身は梅干しとおかかの2種類だ。

「持つべきものは料理の上手な友達ですわ。こんなにたくさんから揚げを作るのは大変だったでしょう」

大きめのバスケットにはぎっしりとから揚げが詰まっていたが美咲嬢と黒崎氏が旺盛な食欲を示して。食べ物はどんどん減っていく。

「揚げ物は業務用フライヤーを使ったからそんなに手はかかっていないよ。おにぎりが労作だと思ってもらいたいな」

「うん。このおにぎりは和のテイストが凝縮された美味しさですよ」

黒崎氏が感想を口にし、僕も同感だと思いながらおにぎりに手を伸ばす。ショウガの風味が効いたから揚げとおにぎりの取り合わせは絶妙だ。

泉さんも、雰囲気に飲まれたのかよく食べている。彼女はから揚げをほおばりながら言った。

「小学生の時に家族でヒマワリを見に来た時みたいでなんだかすごく懐かしい」

彼女は笑顔を浮かべているがその目は遠くを見つめている。美咲嬢の話では彼女の両親は離婚して彼女は父親に引き取られた形になっているらしい。

「泉さんのお母さんのことですけど、新しい仕事が落ち着いたら泉さんに会いに来ると言われていましたわ」

「本当?最近お父さんも顔を見さなくなったから退屈していたのよ。いつ来るのかな? 」

泉さんの表情が不意に明るくなる。

「詳細がわかり次第お教えしますわ」

美咲嬢はおにぎりを片手に微笑を浮かべた。

「楽しみにしているわ。話は変わるけど、このピクニックシートは美咲先生の趣味なの? 」

僕たちが使っているピクニックシートはリボンのついた猫のキャラクターが一面に描かれたものだった。

「いいえ、趣味的には悪くないけれど私のもので話ありませんわ」

美咲嬢が答えると、山葉さんが横から口を挟んだ。

「悪かったな。このシートは私が買ったものだ。」

ぶすっとした表情の山葉さんは、何か批判がましいことを言われるのかと身構えているようだ。

「悪くないわよ。私この子大好きなの、ありがとう」

泉さんが屈託のない雰囲気で告げると、山葉さんもつられて穏やかな笑顔を浮かべた。

食事を終えた僕たちは、ヒマワリ畑を再び散策した。

今日のメンバーの中で酸素犬の役は僕に決まってしまったようで、僕は酸素ボンベのカートを引っ張って泉さんの後をついて回る。

「ねえ、さっきのおばあちゃんからメッセージをもらう話だけど、私の部屋に番号がわからなくて開かない金庫があるの。もともとおばあちゃんが持っていたのだけど、おばあちゃんが死んだときにお母さんが形見分けでもらったものなの」

泉さんは挑戦的な目で僕を見る。

「おばあちゃんと話ができるなら、その金庫の番号を聞いて開けて見せてよ」

それはなかなかの難題だった。

「いいよ。試してみるからその金庫を貸してもらえるかな」

「うん、帰るときに病院に寄るでしょ。その時に金庫を預けるから」

彼女は、半信半疑の表情で僕の目をのぞき込む。

僕は、金庫におばあちゃんの思念が残っていてそれを読み取れることを祈りながら彼女にうなずいて見せた。

ヒマワリが咲き誇る景色を堪能した僕たちは、ヒマワリ園を後にした。

帰路に泉さんが入院する総合病院に寄ったとき、彼女は僕に告げる。

「問題の金庫を持ってくるから待っていて。美咲先生と黒ちゃん、それに陰陽師の山葉さんも今日はありがとう」

彼女は酸素ボンベのカートを引っ張りながら足早に病棟に入っていった。

しかし、しばらくして金庫を抱えてきたのは看護師さんだった。

「すいません。ポチさんはおいでですか」

人の名前はちゃんと覚えろよと思い、僕が内心ムッとしながら手を上げると、看護師さんは雰囲気を察したのか恐縮した雰囲気で金庫を差し出す。

「泉ちゃんから渡してくれと頼まれました。彼女は酸素分圧が下がっているので病室で安静にさせています。ポチさんにありがとうと伝えてくれと言っていました」

「彼女は大丈夫なのですか」

僕が尋ねると看護師さんは言葉を選ぶように丁寧に答える。

「ええ、今の状態は一時的に酸素の供給量が追い付いていないだけですから、安静にしていればよくなります」

僕は彼女が昼間、早足で歩いたせいで白くなった顔で口をパクパクさせていたのを思い出した。同時に、なにかの拍子に見せる可愛らしい笑顔が頭に浮かぶ。

「それでは、私たちはおいとましますわ」

美咲嬢が看護師さんに告げて、僕たちは病院を後にした。

「その金庫に残る彼女のおばあさんの思念を読み取って金庫のダイヤル番号を調べて開けて見せるつもりなのだな」

山葉さんが僕の手元の金庫を見ながらつぶやいたので、僕は無言でうなずいて見せる。

「頑張ってくださいね内村さん。余命が短い彼女の魂に平穏をもたらせるかは、あなたにかかっていますわ」

「プレシャーをかけないでくださいよ」

僕は手に抱えた金庫を見つめながら答えた。

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