第102話 翼有るもの

長野県へのバイクツーリングから帰った翌日、僕は雅俊とクラリンにお土産を持っていくことにした。

暑さで傷まないような品物をと、餡子の玉に黒蜜をかけた和菓子を選んだのだが、食べられるか一抹の不安が残る。

自宅を出るときに、スマホで連絡すると雅俊が言う。

「バイクで来るなら着いたとき連絡してくれ。地下駐車場の入り口ゲートを開けるからうちの駐車スペースに止めたらいい」

バイクを路上に止めておいたら、トラックに積んで盗んでいく輩もいて、乗ろうと思った時には跡形もなくなっていることもあるらしいく、雅俊は気を使ってくれる。

自宅を出た僕は環状七号線を走った。下北沢界隈に来たところで最寄りの交差点を左折する。

裏通りを少し走ると、程なく雅俊とクラリンが住む賃貸マンションが見えた。

バイクを止めスマホで連絡すると、すぐに行くと雅俊は言う。

言葉通りに、玄関ロビーから現れた雅俊は裏手にある駐車場への入り口に誘導した。

雅俊がリモコンで入り口ゲートを開け、僕はスロープに自分のGSX-400Sを乗り入れた。

雅俊たちは乗用車用のスペースを1台分借りているので中型バイクもう一台置くことは可能だ。

「ずいぶん高級なマンションだな」

以前から思っていたので思わず口にすると、雅俊は肩をすくめる。

「クラリンの好みでちょっと高い目の部屋を借りたんだよ」

ルームシェアだから部屋代を支払えるのか、それともアルバイト代で補てんしているのかは定かでないが、僕はあまり詮索しないことにした。

僕がバイクを止めてヘルメットを脱いでいると、目の前を食材配送業者のトラックが通り過ぎていき、駐車場の奥にあるエレベーターの前あたりのスペースに止まった。

「外部の業者が入ってこられるのか?。」

玄関ロビーの警備状況とちぐはぐな感じがするので、雅俊に訊いてみると彼言う。

「あれは入居者と契約している業者で、管理会社からゲートのリモコンを借りているんだ。」

業者は配達時間を決めているらしく、エレベーターから数人の入居者が出てきて保冷パックに入った食材を受け取り始めた。

「これって便利だね。」

「まあね。ネットで欲しいものをオーダーして持ってきてもらえるから、体調が悪くて買い物に行きにくい人にはいいよな。」

僕は食材配送業者のトラックやその周囲に集まっている人々を横目で見ながら雅俊とエレベーターに向かっていたが、ふいに既視感を感じた。この場所には初めて来たはずなのに、どことなく見覚えがあるのだ。

エレベーターに乗ると、ケージ奥の壁にハエが一匹止まっているのが目についた。そのハエの緑色がかった金属光沢の体色を見て、僕の記憶が甦る。

僕が夢の中で田中さんと会った場所は、玄関ロビーではなく地下のガレージだったのではないか。

僕は田中さんの部屋に行った時、エレベーターの行き先表示を見たわけではなく、エレベーターのケージの外を通り過ぎるフロアの数を見て階を判断したのだ。

地階が起点なら、彼女の部屋は4階ではなく3階だったことになる。

エレベーターは3階で止まった。雅俊たちの部屋も3階にある。

僕は、雅俊たちの部屋の前を通り過ぎると、共用通路の奥から2番目の部屋の前まで行った。

「ウッチー何やってるんだよ。俺の部屋はこっちだよ」

雅俊の声が聞こえてくるが、僕は聞き流してその部屋のドアベルに手を伸ばした。

違っていたらどうしよう。

瞬間、躊躇したが違っていたら間違えたふりをしてごまかすことにした。

ピンポン

ドアベルの音は大きく響いたが、反応はなかった。

2度、3度と押しても、人がいる気配は感じられない。

ドアの脇に電気メーターがあったので覗いてみたが、メーターがゆっくりと回っているだけだ。

冷蔵庫などの常時使う電気製品があればメーターは回り続けるから人がいる証拠にはならない。

僕はあきらめて雅俊の部屋に戻った。

「一体どうしたんだよ」

雅俊の問いに僕は答える。

「この間夢で見た田中さんの部屋があの部屋だったのではないかと思ったんだけど、留守だから確かめられない」

「やみくもにそんな真似をするのはやめてくれよ。今のだって防犯カメラに写っているんだぜ」

雅俊は迷惑そうな顔をした。

「え、そうなの?」

「留守中に、玄関ベルが鳴らされたら自動で録画されるんだよ」

雅俊はちょっと不機嫌な顔をした。

僕は雅俊の部屋に上がり込んでお土産を渡すと、小諸市で林さんの住まいを見つけて、そこで虐待を受けていた子供の件を児童相談所に通報したことを話した。

「やはり夢のとおりだったんだな」

雅俊は腕組みをして考え込む。そしておもむろに口を開いた。

「何故、さっきの部屋を田中さんの部屋だと思ったんだ?」

「夢の中で彼女と会ったのが地下のガレージだったとしたら、3階に彼女の部屋があることになる。部屋の並びで行くとさっきの部屋がそこに相当するんだ」

「そうか、ここに引っ越してきたときに両隣にはあいさつしたけど、その辺にだれが住んでいるとか全然わからない。悪いな」

「いや、雅俊が謝ることではないよ」

事の始まりは、僕がうたた寝していた時に見た夢なのだ。

しかし、夢のとおりに探したら彼女の孫の住む住居や、虐待されているひ孫が見つかったので、何とか田中さんの所在を突き止めたいところだ。

その時、僕のスマホの着信音が鳴った。スクリーンには知らない電話番号が表示されている。番号から推察すると、都内の固定電話からだ。

「どうしよう」

「通話してみろよ」

僕は雅俊の言葉で通話ボタンを押した。

「内村徹さんですか」

スマホからは女性の声が流れてきた。

「はいそうですが」

「私は、トモヨコーポレーションの福山と申します。実は私どもの所に長野県の小諸警察署から問い合わせが来ておりまして、小諸市で保護されたお子さんの親族の方と連絡を取りたいので、本人に取り次いでほしいとのことなのです」

「はあ」

「その親族の方が田中芳江さんという方なのですが、私どもの管理する物件にお住まいです」

「はい」

「しかし、私どもが再三、電話連絡を試みても田中さんとは連絡が取れない。小諸署の方は、児童相談所からあなたが田中さんから依頼を受けて様子を見に来て、お子さんの虐待が発覚したといわれていますので、田中様の所在を教えていただけないかと思いまして」

話の行き先がわかってきたが、彼女の行方は僕のほうが訊きたいくらいだ。

「実は僕もかなり以前に、子供さんの状況確認を頼まれていたので、長野に旅行に行く機会があったので立ち寄ってみたのです。その件を田中さんに報告したいのですが連絡が取れなくて困っています」

通話相手の男性は沈黙した。どうやら通話口の向こうで誰かと話し合っているようだ。

「内村様、私どもは田中様の部屋を開けて安否確認をしようかと思っています。ご都合の付くときで構いませんので立ち会っていただけませんか。」

僕は田中さんと実際に会ったことはない。引き受けようか躊躇していると、雅俊が身振りで「受けろ」と盛んに示していた。

「わかりました。次の水曜日の午前中が都合がいいですけど」

水曜日は僕のバイト先であるカフェ青葉の定休日である。

それゆえ、山葉さんも立ち会うことが可能なはずだ。

「ありがとうございます。それで場所なのですが下北沢四丁目のメロウ下北沢はご存知ですか」

「ええ、知っています」

雅俊たちが住んでいるマンションがメロウ下北沢である。

「それでは、水曜日の午前10時にメロウ下北沢の玄関ホールでお待ちいただけませんか」

「わかりました」

通話を終えると、雅俊は言った。

「これで田中さんの謎もはっきりしそうだな」

良い結末ならいいのだがと僕は心の中で付け足しつつうなずいた。

水曜日の午前10時に僕は山葉さんと連れ立って、メロウ下北沢を訪ねた。

近くにある「どんぐり広場」で待ち合わせしてから来たのだ。

メロウ下北沢の玄関ホールにはすでに雅俊とクラリン、そしてトモヨコーポレーションの社員らしき女性が待ち構えていた。

「初めまして。トモヨコーポレーションの福山と申します」

彼女は僕たちに順番に名刺を差し出した。

「あなたが内村さんですね。最初に確認したいのですが内村様と田中様はどう言った間柄なのでしょうか」

当然出てきそうな質問だ。

「ここに友人が入居しているので、遊びに来た帰りに通路で立ち話した程度です」

福山さんは意外そうな顔をする。

「それだけの関係なのにわざわざ長野まで行かれたのですか」

「いえ、長野まで遊びに行く機会があったので、思い出して立ち寄っただけです」

彼女は困ったように考え込んだ。僕のことを田中さんの親類か何かと勘違いしていたようだ。

だが、彼女は意を決したように言った。

「わかりました。田中様とどうしても連絡が取れませんので大変申し訳ありませんがお部屋確認に同行をお願いします」

彼女は先に立ってエレベーターに乗り込んでいった。

福山さんが田中さんの部屋を目指して歩いていくが、山葉さんは何となく気乗りがしないような顔で最後尾を歩いている。

「今日の件はどう思います」

「いや、田中さんにたどり着いたのはいいが、何だか悪い予感がするだけだ」

彼女は通路から見える街並みを眺めながら言う。

その様子は子供を救出した時とは何だか別人のように覇気がなかった。

他ならぬ自分も、何だか気乗りがしなかった。田中さんとは現実には一面識もなく夢の中だけのつながりだからだ。現実との接点がどうなるか僕には想像がつかなかった。

福山さんが立ち止まったのは、やはり僕が先日あたりをつけた部屋だった。

背後に僕たちがいるのを確認してから、彼女は部屋のカギをマスターキーで開けた。

そして、彼女がドアを開けて部屋の中に踏み込もうとした時、異様な臭気が部屋の中から流れ出してきた。そして何か黒い塊が部屋の中から飛び出してくる。

「いやああああ」

部屋の中から飛び出してきたのはハエの大群だった。

福山さんは玄関口でへたり込み、その間も部屋の奥からはハエの群がドアの外に向けて飛び続ける。

部屋の通路部分にはいたるところにハエの死体や蛹のからが散乱していた。

部屋の中で大群になる程の世代交代が繰り返されたのだ。

あらかたのハエが室外に飛び出した後も相当な数が壁や天井に止まっている。そのハエは最近このマンションでよく見かけた緑色の光沢がある体色のキンバエだ。

福山さんは立ち上がると通路の奥に向けて進んだ。僕たちも銘々がハンカチで口を押えながらそれに続いた。

ダイニングに入ると、福山さんは立ち止まり、僕たちもダイニングテーブルの上のものを目にした。

そこではテーブルの上にほとんど白骨化した遺体が突っ伏していていた。

白骨化した頭蓋骨には銀髪が張り付いていた。僕が夢で見た田中さんの頭髪と似ている。

遺体が身にまとっている衣服は死体が腐敗する過程で出た体液で茶色に染まり色や柄の判別はできない。

おそらく食事中に体調を崩したのだろう、テーブルの上には食器が並べられ、その上には死体から滲出した液体が溜まっている。

さらに茶色い液体はテーブルの下に流れ落ちて水たまりを作っていた。そして、死体の一部でウジが這いまわり、部屋の床にはキンバエの死体と蛹が散乱していた。

福山さんは弾かれたように部屋の外に駆け出して行った。

クラリンと雅俊もそれに続く。通路に出たところで誰かが嘔吐する音が聞こえて来る。

僕と山葉さんは悄然として田中さんの遺体を見下ろしていた。僕は山葉さんに声をかけようとしたが、その代わりに自分のものではない声が頭の中を走った。

「内村さん。私は見ての通り一人で暮らしていて朽ち果てました。それでも私には娘がいて、孫ひ孫と細々と命は受け継がれています。私は娘の佳奈が小さいころに離婚したので、娘の消息は分からなくなっていました。病に倒れた後もしばらく私は意識がありましたがその時、娘の霊が私の前に現れたのです」

僕は山葉さんのほうを見たが、彼女は田中さんの遺体を見つめていた。彼女には田中さんの声は聞こえていない。

「娘は数年前に自殺していたのです。彼女は幼少のころ継母にいじめ抜かれたので自分の娘に私と同じ読みのヨシエという名をつけて虐げたてやったとうれしそうに告げました。娘は心を病んでいたのですね。その言葉とともに孫の美恵とひ孫の窮状も伝わってきました。美恵はろくでもない男に引っかかって金づるにされていたのです。私がこんな死に方をするのは子供を捨てた業のためかもしれませんが、それでも、ひ孫の芽衣は何とか助けてやりたい、それが私が息を引き取る前に考えた事でした。その思いが残ってさまよっているときにあなたに会ったのです。私の願いをかなえてくれてありがとう」

僕の脳裏に、自殺した女性の顔が浮かんだ。

自分を捨てたからと実の母の死の間際に罵詈雑言を浴びせたというのだろうか?。

バランスが崩れたのか、田中さんの頭蓋骨がかたんと傾き、お皿にたまった液体に波紋が広がった。

「ウッチーもう外に出よう。私たちにできることはあまりなさそうだ」

僕は彼女の肩に手を添えて、田中さんの部屋を後にした。

悪臭とハエは部屋の外にまで付きまとってきた。

数日後、検視が終わった田中さんの遺体は荼毘に付されることになった。

山葉さんは火葬場に併設された葬儀場で葬送の儀式をすると申し出ていた。

葬儀場には僕と雅俊、クラリンそしてトモヨコーポレーションの福山さんと市の担当職員しかいない。

山葉さんは安置された棺の前でいざなぎ流の祭文を唱え、御幣を手に舞う。

僕は前夜に山葉さんと交わした会話を思い出していた。

田中さんの言葉を山葉さんに伝えた僕はため息をついてうなだれた。

先立った娘が実の親の死に際に現れ、動けなくなった彼女にあざけりの言葉をかけたのがやりきれなかったのだ。

田中さんの発見後に児童相談所の藤川さんが連絡してくれたが、僕たちが通報して保護された子供の名は芽衣だった。田中さんの霊が告げたとおりだ。

彼女の体には無数のあざが発見され、両親はともに傷害と児童虐待で告訴された。

残された芽衣ちゃんは児童養護施設に引き取られるという。

「こんな結末でよかったんでしょうか?」

僕のつぶやきに彼女は平静な表情で答えた。

「芽衣ちゃんは児童養護施設で育っていけるし、両親も更生の機会が得られた。虐待された子供は自分の子供を虐待してしまうというが、その連鎖を断ち切れたとしたらそれでよかったのではないかな」

棺の横には、佳奈さんの霊を封じ込めた人型もひそかに置いてあった。山葉さんの儀式が終盤にかかるころ、棺と人型から青白い光がゆらりと浮き上がった。

二つの青い光は戯れるように飛びながら山葉さんの手のひらに引き寄せられていく。

そして祈祷の最後に彼女が強く気を込めると、二つの光は何処とも知れぬ未来の時空へと旅立っていった。

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