第101話 高原をツーリング
僕は朝食の前に小諸市の児童相談所を検索したが公式サイトはなかなか見つからない。
児童相談所をキーワードにして検索しているので、代わりに様々なサイトがヒットする。
ヒットした記事の多くが児童相談所の活動を養護する意見だが、児童相談所が子供を拉致したと非難する親の意見も見受られた。
検索の方法を変えて、長野県のホームページからサービスカテゴリー別に探していくと。
このエリアを管轄する事務所のサイトを簡単に探すことが出来たが、それは小諸市には存在しない。
「要するには市町村ではなく県が管轄する事業所だったんですね」
「私たちがそんなことまでわかるわけないよ」
身支度を整えていた山葉さんが答えた。
「電話番号を教えてくれ。私が電話してみる」
「まだ業務時間が始まっていないみたいですよ」
僕たちは休暇中だが、ウイークデイなので巷では通常業務日だ。
とはいえ、業務時間が始まらないと対応してもらえない。
僕たちは先にペンションをチェックアウトして、バイクに荷物を積むことにした。
ツーリング中に荷物が崩れたりしたら危険なので、荷物の固定は入念に行う。
そんなことをしているうちに、役所の業務が始まる時間になっていた。
「僕が電話してみましょうか」
ブラウザの画面をそのままにしていたので、僕のスマホからの方が電話しやすい。
僕はちょっと緊張しながら電話した。
当然のことだが、児童相談所は児童虐待の受付ばかりしているわけではない。
電話口に出て普通に応対する事務員らしき女性にどう話を始めるかが難しかった。
結局、昨夜の子供の泣き声の件を伝え、虐待の疑いがあるから確認して欲しいと話してみた。すると応対していた女性がため息をつくのが聞こえた。
「本当に虐待が行われているんですね」
「はい」
「最近ね、近所でちょっと子供の泣き声がしただけで、虐待の疑いがあるから来て欲しいという通報も多いんです」
暗におまえもその一人ではないかと言っているようで彼女は続けて言った。
「担当者はすでに外回りに出ています。彼もいろいろな業務を抱えているのですぐに対応できるか確約で見ませんので、折り返し連絡するまでお待ちいただけませんか」
担当者は相当忙しそうだ。事情は理解できるが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「でも同じ集合住宅の隣の部屋に住んでいる方も、頻繁に泣き声を聞くと言っていたんですよ」
自分だけの意見ではないと強調した僕の言葉に、電話の応対をしていた女性も態度を軟化させた。
「わかりました。巡回に出ている職員に連絡を取らせますので、お名前と連絡先の番号を教えていただけますか」
僕は自分の名前とスマホの番号を告げて、通話を終了するとほっと一息ついた。
「こんなものかな」
結局、今日のうちに連絡してもらえるかどうかも怪しい雰囲気だ。
「その辺をバイクで走っていたほうがましかもしれないね」
山葉さんも同様に感じたらしい。二人でバイクのエンジンをかけようとしていた時に、僕のスマホの着信音が鳴った。
知らない番号が表示されていたのであまり出たくなかったが、児童相談所関係かもしれないと思って通話ボタンを押す。
「内村さんですか。私は担当者の藤川と申します。今から通報があったアパートに伺わせてもらっていいですか」
「はい、僕たちはその部屋に住んでいる方の親類に頼まれて東京から様子を見に来ています。どこかで待ち合わせした方がいいと思うのですが。」
僕は勢い込んで答えた。これほど早くリアクションがあると思っていなかったので、嬉しかったのだ。
「ご連絡いただいたアパートの近くに国道と県道が交差する交差点があるのですが、交差点から東に行ったところにあるコンビニでお待ちいただけますか」
藤川さんの指定した場所は昨日行った時になんとなく記憶に残っている。
「わかりました、そこで待っています。僕たちは中型バイク2台なので分かると思います」
僕は藤川さんとの通話を終えるとスマホをしまった。
「早速行ってみよう」
山葉さんは既にXJRのエンジンをかけてまたがっている。しかし僕は何だか気乗りがしなかった。
「昨夜の夢に出てきた霊が待ち構えているのではありませんよね」
待ち構えている霊の手の先が槍のように伸びてきて串刺しにされてはかなわない。
それは夢の中の話だが、実際にその場所を訪ねた時も何か怪しい気配に追いかけられたので、近寄りたくないのが本音だ。
「あいつなら、ウッチーが首から下げているカードホルダーの中に封じ込めている。もう出てくることはないはずだ。」
僕はカードホルダーを手に持ってみた。中に入っているのはセロハンテープで貼合わせた紙の人型が入っている。
移動中に破けたりしないように、山葉さんがカードホルダーに入れたのだ。
「本当にこの中に封じ込めているのですか」
「山の神の祭文のリカンを唱えて封じ込めたのは君だろう」
彼女は微笑して答えるが、僕にしてみれば自分が唱えた言葉で霊が封印されれいるからこそ不安なのであり、彼女は事態を面白がっている。
「あの霊が田中さんの娘だとしたら、何故僕たちに襲い掛かって来たんでしょうか?。僕たちは子供や孫を助けようとしているのに」
山葉さんは少し考え込んでから答えた。
「霊というのは理性的なものばかりではない。母親である田中さんに憎しみを抱いたまま死んだので、田中さんのにおいがする私たちを単純に敵視したのかもしれない。私など串刺しにされたではないか」
彼女は「いたかったです。」とお腹を押さえて見せた。
「あのままやられていたらどうなったんですか?」
「高原のペンションでカップルが不審死。管轄署は心中の疑いがあるとみて捜査」
山葉さんは新聞の三面記事の見出し調で答えた。
それは妙にリアリティがあり、昨夜の心霊体験がさらに恐ろしいものに思えてきた。
バイクで待ち合わせ場所のコンビニに着くと僕たちはヘルメットを外して周囲を眺めた。
僕たちがいるのはなだらかな斜面の途中だ。
国道わきのコンビニの駐車場の下は段差になっていて眼下には緑の濃い田園風景が広がっている。
しばらく待っていると白い色の軽四輪のバンが駐車場に入ってきた。
そして僕たちの横に止まると、キコキコと手動で窓を開けている。
「ご連絡いただいた内村さんですか?」
僕がそうだと答えると藤川さんは挨拶もそこそこに切り出した。
「早速、問題の集合住宅に行ってみましょう」
藤川さんは軽四輪のバンで僕たちを先導した。周辺の地理には明るいようだ。
集合住宅に着いたところで、僕は昨夜撮影したムービーを藤川さんに見せた。
スマホで再生される子供の泣き声を聞いた彼は眉をひそめた。
「確かによからぬ泣き方ですね。しかしこれだけでは何とも言えないから現状を見てみましょう」
僕たちは再び集合住宅の2階まで昇る。
藤川さんはドアチャイムを押したがそれは鳴らなかった。
「林さん、林さん」
藤川さんがドアをたたいていると、隣室のドアがスチャッと開いた。
「うるさいのよ。いい加減にしてくれないかしら」
昨日と同じ女性だった。僕たちを認めると険悪な表情が緩む。
「また来たの?、懲りないわね。美恵ちゃんのひもならさっき出かけるのを見たわよ」
「仕事に行ったのですか?」
「違うわよ。パチンコの開店待ちで並んでいるのよ」
自分が知らない日常というものもあるようだ。
「私は児童相談所のものですけど、林美恵さんはお仕事に出られているのですか」
「わかんない。気配がないからもう出ているんじゃないかしら」
藤川さんはどうしたものかと思案しているようだ。
メモ帳を開けて眺めていた彼は隣室の女性に訊いた。
「こちらの方から子供が虐待されていいると通報があったのですが。子供の泣き声とか聞かれたことはありますか」
「毎日聞こえてくるわ」
丁度その時、部屋の中から子供の泣き声が聞こえてきたが、その声は昨日と違って何だか弱々しく響く。
藤川さんは中に踏み込むことを決断したようだ。
「この季節に大人が不在で放置されているようなので、様子を見てみることにします。ここの大家さんか管理人さんの連絡先を教えてくれませんか。」
「大家さんならそこを歩いているよ。尾沼さん、ちょっと」
通路から見えている一軒家から出てきて歩いていた女性が顔を上げた。隣室の女性が手招きすると塀にある通用口から中に入り2階に昇ってきた」
「児童相談所の人が林さんの所の子供の様子を見たいんですって」
隣室の女性は、僕たちを胡散臭そうに見て難色を示した。
「うちが鍵を開けて、児童相談所の方が子供を連れて帰ると、後で訴訟沙汰になった時にうちまで訴えられるかもしれませんよね。それにこのアパートはおばあちゃんが管理しているので、勝手なこともできませんから。」
「今回は安否を確認するだけです。緊急なので是非お願いします」
藤川さんは食い下がる。尾沼さんは考え込んでいたが、やがてゆっくりと言った。
「確認するだけにしてくださいね」
藤川さんがうなずいた。
尾沼さんはアパートのマスターキー合
を持っていた。
藤川さんはマスターキーを借りてロックを解除すると一気にドアを開け放った。
入り口のドアを開けるそこはキッチン兼ダイニングのスペースになっている。
部屋の中央には食事用のテーブルと椅子4脚があったがテーブルの上には汚れた食器が山積みになっていた。
床には衣類や雑誌が散らばり、雑然とした雰囲気だ。
部屋の中には饐えた臭気が立ちこめていた。昨夜僕たちが夢で見た状況と重なる部分が多い。
「いやだな。こんな使い方をする人には早く出ていって欲しい」
大家の尾沼さんは眉をひそめている。
「奥の部屋も見せてもらいますね」
藤川さんが尋ねると、尾沼さんはうなずいた。
藤川さんがキッチン兼ダイニングとの境の引き戸を開けてベランダに面した和室に入り、続けて入った僕たちは息をのんだ。
蒸し暑い洋室の中で、子供がケージの中に閉じこめられていた。
高さが九〇センチメートほどの、小動物用の檻の中で二歳ほどに見える子供が体育座りをしていた。
子供はオムツをされていて、ぼんやりとした目で部屋に入ってきた僕たちを見つめていた。
ケージにはペット用の給水器が取り付けられている。死なない程度に水などを与えていたのだろうか。
真っ先に動いたのは藤川だった。ポケットから出したデジカメでパシャパシャト写真を撮ると、ケージに取り付いて子供の救出を始めた。
「大丈夫かい。今出してあげるからね」
藤川の呼びかけにも子供の反応は鈍かった。隣室の女性も大家さんも子供を手当する藤川さんを見つめながら一言もしゃべらなかった。
状況が想像を絶していたので、語る言葉がなかったのだ。
結局、藤川は子供を保護することにしたようだで、管轄の警察署にも協力を求めたので騒ぎは次第に大きくなる。
悄然と事態を眺めていた僕を山葉さんがそっとつついて耳元でささやいた。
「もう大丈夫だな、私たちはそろそろ立ち去ることにしようか」
「でも勝手に帰っていいんですか」
僕がささやき返すと、山葉さんは藤川さんに告げた。
「私たちは他の予定がありますのでこれで失礼します。何かありましたら連れの携帯まで連絡してください」
電話中だった藤川さんは何か言いかけたが、山葉さんは僕の手を引っ張って強引に部屋から出た。
彼女はアパートの前に止めてあったXJRにまたがると、セルボタンを押してエンジンをかけながら僕に言う。
「同じ道を帰るのも芸がないから、帰りは八ヶ岳でも眺めながら佐久甲州街道を走って、中央高速に乗ろう」
彼女はヘルメットをかぶるとさっさと走り出し、僕は慌てて後を追った。
山葉さんは八ヶ岳を眺めながら走ると言ったが、彼女のXJRのテールランプを追いかけるのに必死だった僕は、周囲の景色を眺める余裕などない。
彼女がソフトクリームを食べるために清泉寮に立ち寄って休憩した時に、僕ははじめて八ヶ岳連峰の威容を目にすることができた。
「この後どうしたらいいんでしょうね」
「帰ったらその人型に封じた霊を供養しなければならない。その時には田中さんにも立ち会ってもらいたいものだな」
どうやって田中さんを呼ぶつもりなんだろうと僕は訝しんだが、彼女は意に介さない様子で高原の牧場を背景に美味しそうにソフトクリームを舐めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます