インターンシップの出会い

第103話 瞳を見つめて

「二宮千紗さん」

大学のキャリアセンターの職員に名前を呼ばれて千紗は慌てて立ち上がった。

カウンターに歩み寄ると職員は書類が入ったクリアファイルを手渡す。

「あなたが希望された臨床心理士関連の職場です。教育機関等を対象に仕事をされているNPO法人ですよ。ここでインターンシップを受けることを希望されますか」

千紗は受け入れ先の情報欄に目を通した。事業所の場所は下北沢、クラリンたちが住んでいる場所に近い。職員数が少ないのが気になったが、有資格者を募集予定と書いてある。

「この事業所でお願いします。」

インターンシップは、就職希望の企業で長期にわたるものもある。千紗が希望したコースは5日間だけの見学的な内容だが、カウンセリングをやっている職場を体験できるということで、なんだかドキドキする。

「あの、インターンシップの時の服装はどうしたらいいんですか」

千紗が質問するとキャリアセンターの職員はクリアファイルを目で示した。

「その中に注意事項が入っています。基本的に夏季はクールビズでいいんですが、最初のご挨拶の時はスーツを着ていく人が多いみたいですよ」

千紗はクリアファイルに目を落とした。注意事項等の書類は下のほうに入っているようで、一番上にはインターンシップ先の事業所の概要書類が見えている。事業所名は、女性問題研究所となっていた。

翌日、千紗はインターンシップに出かけた。相手先との約束の時間は午前10時だが、途中の電車の所要時間がよくわからなくて早めに出たため、千紗はかなり早めに下北沢駅に着いてしまった。

事前に受けたオリエンテーションでは集合時刻等には厳格に臨みなさいと言われていた。遅刻は論外だが、予定よりも1時間も前にインターンシップ先の事務所を訪ねるのは社会通念的にも問題がありそうだ。

かといって、クラリンは同級生とルームシェアしている。アポなしで早朝に訊ねるのはまずい。

駅前にあるキャッシュオンデリバリーのカフェで時間をつぶそうかと思った千紗は、カフェつながりでカフェ青葉を思い出した。

千紗は春先にドッペルゲンガー騒ぎに関連してそのカフェで陰陽師の祈祷を受けた。その時にお祓いの影響で心停止状態となって救急搬送されている。

普通の神経の持ち主なら忌避する場所だが。彼女の反応は少し違っていた。

「ちょうどええわ。あそこでお茶して行こう。私が行ったら陰陽師さん顔パスでタダにしてくれへんかな」

千紗はまったりとした関西弁でつぶやくとカフェ青葉を目指して歩き始めた。

少し道に迷ったものの程なく目的の店は見つかった。

カフェ青葉の店内は沢山のお客でにぎわっていた。

カウンターに座った千紗の所に内村君、通称ウッチーがお水とおしぼりを運んでくる。千紗が小さく手を振ると彼はようやく千紗に気が付いた。

「ツーコちゃん。朝からこの界隈にいるなんてどうしたの」

「実はな、この近くの事業所でインターンシップをすることになったんや。わたし張り切りすぎて約束の時間よりもだいぶ早く出てきてしもうたから、どこかで時間をつぶさなあかんかったの」

千紗はウフフッと笑って見せた。自分が関西弁でしゃべっていることは意識している。関西出身者以外には標準語で話すように心がけていたが、この内村君には気を許しているのか関西弁で話してしまうのだ。

「時間つぶし結構ですよ。飲み物は何になさいますか」

彼は同級生の千紗をお客扱いして丁寧な言葉遣いをする。真面目なのだ。

真面目なくせに、彼は最近陰陽師のお姉さんとできているとクラリンから聞いていた。大学入学以来バイト先のお姉さんを一途に思い続けていたというのだから、イケメンの無駄使いに他ならない。

「カフェラテをくださいな」

「モーニングサービスが付きますがいかがいたしますか」

彼がバカ丁寧に聞くので千紗はおかしくなってくすくす笑う。

「モーニングサービスも付けてください」

彼はうなずくと、背後にいる人に何か耳打ちした。

先程からポニーテールの後姿が見えていたのは思った通り陰陽師さんだった。

「背中合わせで一緒に仕事して、なんだ夫婦でお店をやっているみたいでうらやましいな」

千紗は心に浮かんだことをそのまま言葉にして二人に投げかけてみた。

ウッチー君は動きが止まってしまうし、陰陽師さんは余計な動作が多くなってワチャワチャとしている。

この二人、いじりがいがあってええわ。千紗は今度は口に出さずにひそかに考えた。

ウッチーが運んできたモーニングサービスのプレートには、カフェラテの他に厚切りトーストとベーコンエッグにサラダが付いていた。

来てよかったと、千紗がトーストをほおばっていると、カウンターで別の用事をしながらウッチー君が訊ねる。

「インターンシップってどこの会社に行くの?」

「この近くに学校関係のカウンセリング業務を受託しているNPO法人があって、七瀬カウンセリングセンターっていうんです。そこに5日間お世話になるんですよ」

千紗の言葉を聞いたウッチーは立ち止まった。そして、何か慌てたような表情で陰陽師さんに耳打ちしている。

何?。何か問題があるところなのかしらと、千紗の心に不安が広がる。

しかし、陰陽師さんはウッチーに向かって一笑して手をひらひらと振って見せる。そして、千紗に向き直って言った。

「そこの七瀬先生がこのお店の常連客でよくお昼ご飯を食べに来るんです。よろしく言っておいてください」

陰陽師さんの名前は山葉さんだ。彼女は何の含みもなさそうな顔で告げる。

千紗は何だそんなことだったのかと安心した。

千紗はカフェラテを飲みながら、忙しそうに立ち働く二人を見つめた。

友人のクラリンの話ではこの二人は霊を見る能力があるらしい。そして山葉さんは古代神道の継承者で様々な術を駆使して邪霊を祓うことができるという。

ほんまかいな?。

千紗はその件については懐疑的だ。

以前体調を崩したのは、体が不調になった時にたまたまここにいただけのことだと彼女は思っている。

二人は忙しそうにしていたので千紗は伝票を持って席を立った。レジを打ってくれたのはお店のオーナーらしい老婦人だ。

アルバイトのウッチー君やクラリンの知り合いと知っているらしく、穏やかな笑顔を浮かべて言う。

「またいらしてくださいね」

千紗も笑顔を返して店を出た。

千紗は猛暑が緩んで、少し秋めいた気配が漂い始う街を歩いた。

そして、インターンシップの間、少し早めに来てあそこで朝ご飯を食べていくのもいいかもしれないと考えていた。

インターンシップの受け入れ先の七瀬カウンセリングセンターは大学のキャリアセンターからもらった地図によると下北沢の住宅街の中にある。

しかし、地図が示す場所に来ても、そこには周囲の住宅から浮いた雰囲気の大邸宅があるばかりでNPO法人が入居しているようなテナントビルは見当たらない。

千紗が建物の中を窺がっていると、邸宅の塀にある通用口が開いて誰かが出てくるのが見えた。

玄関先をうろうろしていたから見とがめられたのかな。

最近は防犯のために監視カメラをつけている家も多いと聞いていた千紗は慌てた。

「インターンシップでお見えになった二宮さんですね」

邸宅から出てきた男性はゆっくりとした口調で千紗に訊ねた。黒っぽいスーツをピシッと着こなした20代前半に見える長身の青年だ。

「はいそうですが」

千紗が応えると青年は表情を緩めた。少しカールのかかった髪が額に垂れて、きりっとした目元のアクセントになっている。隙のない雰囲気の顔も笑顔を浮かべると大きな犬歯が覗いてかわいらしい。

「初めまして、インターンシップ中指導係を務める黒崎学です。こちらにお入りください」

「初めまして、二宮千紗です。よろしくお願いいたします」

千紗はぺこりとお辞儀をすると青年の後ろに続いて邸宅に入った。

塀の中は庭園となっていて中央にしつらえられた台木でオレンジ色の花が咲いている。周囲にはバラが植えられていた。季節には見事な花を咲かせるに違いない。

その奥にある瀟洒な建物へと青年は案内する。玄関は通らずに庭園側からドアを開けると、そこがデスクを数個置いたオフィスになっていた。

「所長を呼びますからお掛けになってお待ちください」

黒崎氏はそう言いおいて、オフィスの奥まで歩くと、そこにあるドアをノックしている。

「インターンシップの学生さんがお見えです」

「すぐ行きますわ。少しお待ちいただけませんこと?」

部屋の奥から答えが聞こえた。

女性の所長さんらしい。

ドアが開いて出てきた所長は千紗の想像を裏切って若い女性だった。

「当センター所長の七瀬美咲でございます。臨床心理士志望と伺っていますから私たちと仕事をして何か得るものがあったら光栄ですわ」

お嬢的な口調が気になったが、きつい雰囲気のおばさまがざーます口調で話すのよりはましだ。

「二宮千紗です。よろしくお願いいたします」

千紗は立ち上がるとぺこりとお辞儀をした。

「詳しいことは黒崎が説明しますが、うちの仕事は都内の大学や高校の学生相談室の相談日に対応することですの。スケジュールは決まっていますが、相談案件は各校から随時入って来ます。あなたにはそれを整理する仕事を黒崎と一緒にやってもらいます。そのうえで何回か面談日に同行してもらう予定ですわ」

すごい、見学的な内容でなくて実務にもタッチさせてもらえそうで千紗はちょっとうれしい。

七瀬所長が所長室に戻った後は、黒崎氏が実務について教えてくれた。

クライアントとの調整用日程表や相談者のカルテファイルの保存場所、ファクスやゼロックスの使い方に、外部から受けた電話の転送の仕方等、ちょっとした雑用をするためでも覚えなければならないことは多い。

「わかっていると思いますが、インターンシップ中に知り得た個人情報等には守秘義務がります。外部に漏らす事がないように注意してください」

黒崎氏は締めくくりに個人情報について注意した。飲食店でアルバイト中に来店した著名人を盗撮してブログに載せてしまう学生もいるので念のため注意したのだろう。

千紗は黒崎氏の横顔をぽーっとしながら見つめていた。

格好いい!。インターンシップ中、彼に指導してもらえるなんてラッキーやわ。千紗はこっそり考えながらメモを取っていた。

「それでは、所長は10時からT女子大学の学生相談の対応がありますので二宮さんも同行してください。僕は車の準備をしてきますからここで待機していてください。」

黒崎氏は千紗用にラップトップパソコンまで用意してくれたらしいデスクを示してから外に出て行った。

残された千紗は所在なくパソコンのデスクトップを眺める。

その時、デスクの上の電話が鳴った。

「はい、七瀬カウンセリングセンターです」

千紗はオリエンテーションの時に受けた電話応対研修どおりに受話器を取った。しかし、彼女の耳に響いたのは、ピーッピロピロピロという機械音だった。

FAXだ。FAX送信先を間違えて通常の固定電話番号にしてしまうとこういうことになる。千紗は受話器を置こうと思ったが途中で手を止めた。

急ぎの要件ならFAXの中身は見なければならない。このままFAXの番号に転送したら受けることはできないだろうか。

千紗が教わった通りに転送手順を踏むと、FAXの機会が受信動作に入ったのがわかった。

よし!。千紗が気をよくして見ていると、FAXからは七瀬様宛ての至急と書かれた文書が出てきた。

とりあえず手渡しておいたほうがいいだろうと思った千紗はFAXを片手に所長室をノックした。

しかし、2度3度とノックしても返事はない。千紗がドアノブを回してみると、ドアは施錠されておらず軽くあいた。

そこで千紗は目をしばたいた。

執務用の椅子にに大きな猫が座って、ペロペロと前足をなめて顔を洗っているように見えたからだ。

人は理解し得ないものを見ると思考が停止する。千紗は思わず元の通りにドアを閉めてしまった。

しかし、そのままにしておく訳にもいかない。

意を決して再びドアを開くと椅子には七瀬所長が座っていた。彼女は右手を握って後ろにそらした形で顔に近づけている。

「あ、あの、何をなさっているんですか」

七瀬所長は顔を上げた。

「今パフュームを嗅いでいましたのよ。手首に落とすと体温でよく揮発しますから」

千紗は慌ててFAXを差し出した。

「すいません。今普通の電話にFAXの通信が入ったので、FAXに転送したんですが。」

「あら、ありがとう。気が利くのね。いつまでたってもFAX先を間違えたままの顧客がいて困りますわ」

千紗は七瀬所長にお辞儀をしてから所長室を出た。

オフィスではすでに黒崎氏が戻っていた。

千紗はFAXの顛末を黒崎氏に説明すると彼はうなずいた。

「ありがとう、とっさに転送できるとは気が利きますね」

千紗は少しうれしくなって、余計なことまで言う。

「いえ、私少し気が動転していたみたいで、所長室に入った瞬間、七瀬所長が猫の姿に見えてしまったんです」

「ほう、猫に見えたんですか」

黒崎氏がゆっくりと振り返る。

その顔を見て千紗は愕然とした。

窓際の明るさのために彼の目の瞳孔が猫のように細く縦に縮んでいるのが見て取れたからだ。

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