第92話 傀儡の哀愁

僕は次の土曜日もカフェ青葉でアルバイトをしていた。

仕事の合間に山葉さんと目が合うが仕事中の彼女は普段と変わらない。

一緒にアルバイトそしている雅俊は、僕たちのことに気づいているはずだがスルーしていた。

僕の家は赤羽にあるり、通学の時間帯に下北沢からの電車に乗り合わせたら、山葉さんの部屋にお泊りしたことは明らかなのだが、雅俊とクラリンは露骨に冷やかすようなことはしなかった。

僕は、担当エリアのお客さんからのオーダーに忙しく対応しながら、同じように働いている雅俊の横顔をちらっと眺めた。

意外と気を使ってくれるんだと感謝したい気分だ。

しかし、僕の認識は甘かった。

ランチタイムの忙しい時間帯が終わってから、スタッフは交代で昼食をとるのだが、僕と山葉さんが賄いのランチを食べていると、クラリンが現れたのだ。

「あれ、今日はアルバイトお休みだろう」

僕は本日のランチ、スープカレーセットの賄バージョンを食べる手を止めて彼女に聞いたが、彼女は持ってきた風呂敷包みを僕達に差し出した。

「ウッチーと山葉さんがゴールインしたと聞いて赤飯を炊いてきました」

彼女は屈託のない笑顔を浮かべるが、山葉さんは心なしか顔を赤らめながら困惑した表情を浮かべた。

「ウッチーは友達にそんなことまで話しているのか?」

「違いますよ。この前の朝、学校に行くときに同じ電車に乗り合わせたから感づかれたんです。」

山葉さんは口を滑らせたのは自分自身だと気が付き苦い表情でスプーンを口に運んだ。

「どうせ今夜も泊まっていくんやろ。二人で一緒に食べてや」

クラリンと雅俊のすることは時として冗談か本気かわからないが僕は取り合えず礼を言う。

「ありがとう、そうする。うちの親には彼の部屋に泊って一緒にレポートを書くと言ってあるから、もし電話があったら口裏を合わせてくれるように言っといてよ」

「うん、私はこれで帰るから後で雅俊に言うとくね」

彼女はそそくさと帰ろうとしている。

どうやら僕に露骨に聞くと違っていた時に気まずいと思って、お店に確かめに来たのだろう。

「クラリンちょっと待って。木曜日の9時過ぎごろに、爆発音を聞かなかったか」

僕は先日山葉さんが得体のしれない気配を祓った時に、大きな爆発音が数回にわたって響いたのを彼女が聞いていないか確かめたくて尋ねた。

「ドーンという大きな音なら聞きましたよ」

「本当か?」

山葉さんが意外そうな顔をする。彼女はその音は霊的なものだから一般人には聞こえないと思っていたためだ。

「ええ。新聞にも出ていましたけど、家の近所でタクシーが道路脇の電柱に激突して炎上したんです。運転手は死亡したんですが、事故を起こす前に病気で意識不明になったか、急死していた可能性があるみたいですね」

クラリンは僕たちに手を振ると厨房を出た。

「交通事故の音らしい。霊の音とは別物だな。しかしなんでお赤飯が登場するんだ」

山葉さんは立ち上がって風呂敷包みを開けながらつぶやいた。

「きっと探りを入れるのに適当な小道具がなかったんですよ」

「なるほど、あの二人はルームシェアして一緒に住んでいるくらいだから、格別大騒ぎしないのだな。これは今夜一緒に食べようか」

僕は今夜のお泊りの件も彼女がさりげなくフォローしてくれたのでうれしかった。

僕たちが食事を終えて、雅俊と細川オーナーと交代しようかと思っている時に、雅俊が厨房に入って来た。

「七瀬美咲さんが来られているんですけど、山葉さんにちょっと頼みたいことがあるって言うんです。立ち入った話みたいなのでこちらで話を聞いてもらっていいですか」

「ああ、いいですよ」

山葉さんが答えると、入れ替わりに美咲嬢と黒崎氏が厨房に入って来た。

「あら、お食事中にお邪魔して申し訳ありませんわ」

「もう食べ終わったところだ。あなたこそ食事に来たのではないのか」

「もういただきましたわ」

山葉さんは手早く食器類を片付け始めた。

僕は美咲嬢が片足に包帯を巻いているのに気が付いた。履物もドレッシーな服装にそぐわない。彼女が履いているのはつま先部分がカバーされる合成樹脂製のサンダルだった。

「足を怪我されたんですか」

「ええ、階段でつまづきましたの。でも大したことはございませんわ。ドクターの言うことは大袈裟ですから」

美咲嬢は包帯を巻いた足を少し持ち上げて見せた。

「従業員用のテーブルで申し訳ないがそこにかけてくれ」

美咲嬢と黒崎氏は僕たちと向かい合ってテーブルに座った。食器を片付けた山葉さんは人数分の飲み物を運んできていた。

「美咲さんが改まって頼みに来るのも珍しいな。いったい何事だ?」

「単刀直入に申しますと、私たちの顧客が宗教団体に付きまとわれているのです。その方の直接の身の安全は私たちが考えますが、あなたには彼女を追ってくる邪悪なものを祓っていただきたいのです」

「ほう。宗教団体に付きまとわれるとは穏やかではないな。邪悪なものとは人ではない霊的なものなのか?」

山葉さんはコーヒーカップを置いた。

「そうなのです。もし引き受けていただけるなら、本人を連れて出直してきますわ」

「いいよ。午後3時から4時頃なら手が空くからその時間帯に来てもらえるとありがたい。宗教団体と言ってもいろいろあるが、何という団体だ?」

山葉さんの言葉を聞いて美咲嬢の表情が明るくなった。

「助かりますわ。問題の団体は森羅正教という団体なのです。あちこちに支部があって信者も多い団体ですけどご存知かしら」

その宗教団体は僕も聞いたことがあった。大学のキャンパスでも信者の勧誘を行ったりしているが、集団セミナーで洗脳されたとか、薬物で記憶を消されたとか、良くない噂を耳にする団体だ。

学生の間でもやばい団体として敬遠されている。

「聞いたことはあるよ。あまりいい噂は聞かないな。この店にも来て、教祖のパワーを封じ込めた壺とかを売りつけようとしたことがある。丁重にお引き取り願ったけどね」

「私たちの顧客は都内の大学に通う女性なのですが、友人に誘われてサークル活動程度のつもりで入信したものの、内情がわかるにつれて怖くなって止めようとしたのです。ところが、教団の幹部が信者に命じてあの手この手で連れ戻そうとしてくるということで、私たちのところに相談に来たのですわ」

そこまで言って彼女は周囲を見回した。

「トイレなら一旦店内に戻ってから、左側にあるよ」

山葉さんがさりげなく教えると。美咲嬢は微笑を浮かべながら厨房を出ていった。

「顧客の女性は安全のために私たちが保護しています。ご指定の時間に後ほどお連れします」

美咲嬢がいなくなったので黒崎氏が口を開いた。

彼は美咲嬢の部下だが、実務的な仕事は彼がこなしていることが多い。

「保護が必要なほど危険にさらされているのですか」

僕は黒崎氏に尋ねた。以前彼らと係わったストーカー事件ならまだわかるが、宗教団体から離脱するだけで、身柄の保護まで必要なのかと思ったからだ。

「信者が説得に来るようなレベルではありません。人気がないところで拉致される可能性もあるので警察にも警護を頼んでいるのですが、警察の方は被害がないとそう簡単には動いてくれそうにありませんね」

黒崎氏はため息をついて肩をすくめた。

「お宅が扱っている案件は妙に剣呑な話が多いな」

山葉さんが指摘すると、黒崎氏は苦い顔をした。

「うちの主な業務は、都から委託を受けたスクールカウンセリングです。おっしゃるような剣呑な話は口コミで聞いた人が飛び込みで相談に来た場合ですね。でも今回の話は委託元の大学の学生相談所からの依頼なんですよ」

彼の表情は、手間のかかる案件は本当は受けたくないことを物語っていた。そんな話をしているところに美咲嬢が戻って来た。僕は彼女が先ほどは持っていなかった小ぶりなバッグを抱えているのに気が付いた。

「そのバッグ、さっきは持っていませんでしたよね」

「ああ、これはお店の中に忘れていましたの」

そのバッグは妙に膨れて、何かの布地がはみ出していたが、僕はそれ以上詮索しないことにした。

「話は大体わかったから私にできることなら手伝うよ。安全のために、ご本人を預かって欲しいという話は今回は引き受けるつもりはないけど」

「そんな、無粋なことは申しませんわ」

美咲嬢はレースの付いたハンカチを口に当ててホホホと笑う。

美咲嬢たちは一旦自分たちのセンターに引き上げていき、約束の時間に再び戻って来た。今度は顧客の女性も伴っている。

細川オーナーと雅俊は遅めの昼食をとっているので、山葉さんが美咲嬢たちの応対をする間、僕はカウンターに残って店番をすることになった。

手が空く時間と言ってもお客さんが来ないわけではないからだ。

山葉さんが美咲嬢達を店の隅のテーブルに案内して話を聞き始めたときに、別のお客さんが入って来たので僕は水とお絞りをもってオーダーを取りに行った。

そのお客さんは中年の男性で、スーツを着てきちっとした身なりをしていたが、何となく様子がおかしかった。

視線が定まっていなくて話しかけてもアイコンタクトが取れない。

「お客さん、ご注文は後ほどでよろしいですか」

僕が重ねて話しかけると、やっと男性が僕に顔を向けるが、気のせいかその目が青く光ったような気がした。

「ホットコーヒーをお願いします」

その言葉はまるでテキストリーダーが読み上げたように抑揚がなかった。

「確認します。ホットコーヒーお一つでよろしいですね」

男性がうなずいたので僕はコーヒーを淹れるためにカウンターの中に戻った。

カフェ青葉のコーヒーはペーパードリップで淹れている。

僕はコーヒーの粉にお湯を注ぎながら見るとはなしに、注文したお客さんを眺めたが、普段は見たことがない顔だ。

お湯をそいだ粉を蒸らしている間に再び男性に目を戻すと、男性はいつの間にか席から立ち上がって店の奥に向かって歩き始めていた。

そして僕は男性が持っているものを見てぎょっとした。彼の手には刃渡りの長い牛刀が握られていたのだ。

「山葉さん気を付けて。刃物を持った人がそちらに近づいている」

山葉さんが僕の声にそちらを向くのと同時に、美咲嬢と黒崎氏が弾かれたように立ち上がるのが見えた。しかし、相手は刃物を持っている。

連れてきた女性を守るように立ちふさがる美咲嬢と黒崎氏に男はゆっくりと近づいていった。

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