第90話 満たされた想い
松崎さんのレクチャーを受けた後、僕たちは八戸市を後にした。
さすがに東京に戻るのはきついので、僕たちは一泊する予定で、宿泊先は八戸市の近くにある四戸町の温泉だった。
八戸市内に泊まらずに近場の温泉を選んだのは栗田助教授の趣味のようだ。
到着した温泉宿はかつて牧場だった場所にあり、周囲を森に囲まれた閑静な場所だ。
午後の遅い時間に到着した僕たちは、夕食の時間まで各自が自由行動することになった。
各自が温泉に入ったり散歩したりしているので、僕も宿の近くを散歩した後、温泉に入るべく宿の浴衣に着替えた。
僕はタオルや着替えを抱えて廊下に出たが、隣の部屋から浴衣に丹前姿で出てきた山葉さんと鉢合わせした。
「ウッチーも温泉に入るところだったのか」
山葉さんは穏やかな表情でつぶやいた。
「外を散歩して来ました。静かでいい場所ですね」
「私は部屋で考えごとをしていた」
僕は彼女と並んで廊下を歩いた。二階の廊下からは吹き抜けになった一回のロビーが見渡せる。
僕と山葉さんが何気なく一階のロビーをみていると、西山さんと景平さんが並んで廊下に出てきたのが目に入った。
僕と山葉さんは一階から死角になるあたりに素早く身を隠した。
「あれって、家族用に貸し出ししている露天風呂付きの浴室ですよ」
「二人で一緒に入っていたんだな」
山葉さんはいい年した大人なのに顔を赤らめている。
「いいなあ、一緒にお風呂に入ろう攻撃」
「そんなハードルの高いことをいきなり言わないでくれ」
山葉さんの言葉に僕は少し引っかかった。まるで僕たちが付き合っているような話ぶりだったからだ。
「今日佐々木さんに口寄せしてもらったのは、何を聞きたかったのですか」
「ああ、あれはウッチーに関することだったのだ」
僕は思わず彼女を振り返った。彼女はまだ少し顔を赤らめたまま話し始めた。
「いざなぎ流では格別禁忌はないのだが、もしもウッチーと付き合い始めたらいざなぎ流の神々が降りて来なくなるのではないかと心配だったのだ。だが、祖母の話を聞いたら杞憂だったようだ」
「え、それでは」
僕は途中で言葉を飲み込んで、彼女の続きの言葉を待った。
「ウッチーは私を買いかぶりすぎだ。私は田舎者で女子力ゼロの野暮ったい女なのだがそれでもいいのか」
ぼくは何回もうなずきながら、彼女ににじり寄った。しかし、彼女の肩に手を回そうとした時、山葉さんの手が僕の額を押して遮った。
「いいんだけど、ウッチーの隣にいる霊の件が片付いてからにしないか。なんだか落ち着かない」
僕は彼女の目線を追った。そして僕の右横に、輪郭のはっきりしない人型が佇んでいることに気が付き、僕は幽霊を相手に恨めしそうな目で見るしかなかった。
夕食の時間には皆が大食堂に顔をそろえ、料理は桜鍋と馬刺しがメインのコースだった。
苦手な人は和食膳に変更できるのだが、和食膳セットに変えたのは西山さんだけだった。
食事のコースが半ばを過ぎたころ、栗田助教授は山葉さんのカットグラスに地酒の吟醸酒を注ぎながら言った。
「今日、松崎さんにレクチャーを受けた内容を実践できると思いますか?」
山葉さんは吟醸酒をおいしそうに飲み干すと、僕の背後に視線を投げながら答えた。
「それは内村君次第でしょう。でも、彼には口寄せを行うだけの感受性は備わっていると思いますし、子孫に何事かを伝えたい霊はそこに張り付いている。条件は整っていると思います」
僕は桜鍋を食べていた箸を止めた。
これで口寄せに失敗したら僕のせいのような雰囲気である。
「内村君、試しにやってみないか」
栗田助教授は僕に水を向けた。考えてみれば、西山家、景平家が集結した前でいきなりチャレンジするよりも、リラックスした状態で練習しておくほうが理にかなっている。
「わかりました。やってみます」
僕は後ろを振り返って、そこに存在するおぼろな人型を見た。はたして彼は何を伝えたいのだろう。
「ほら、そこで耳を澄ましたり、考えをくみ取ろうとしたらダメなんだ」
山葉さんの鋭い指摘が飛んだ。そうだ、自分で言葉を紡がなければならないのだ。そう思った僕が次に考える言葉は『何と言ったらいいだろう?』になるはずだった。
しかし、次の瞬間その言葉を浮かべようとした僕の頭の中を別な言葉が走った。ほとばしった言葉は勢いで僕の口から声となって飛び出していた。
「雄基と公輝に伝えたいことがある」
差し向かいで食事をしていた西山さんと景平さんが一斉に顔を僕に向けた。
「諍いを起こしたのは私の不注意な物言いのせいだった。それを二人に伝えたいのだ」
西山さんが景平さんのグラスに注いでいたビールがグラスから溢れてこぼれていた。西山さんが気づいて慌ててテーブルを拭いたが、景平さんはグラスを持ったまま固まっていた。
皆が僕の顔を注目しているが、次の言葉が出ない。僕は隣に来た霊を凝視して次の言葉を待っていたが、再び山葉さんが指摘した。
「ほら、また聞き耳を立てている」
そうだった。僕が言葉を発さないと、何一つ伝わってこない。
「えーと」
ぼくは、口を開こうとして途方にくれた。何をしゃべればいいというのだ。
「ちがうちがう。自分で考えて話してはダメだ。松崎さんが言っていただろ」
山葉さんの言葉を聞いて僕もその話も聞いたことを思い出すが、一体どうすれば切れ変えられるというのだろう。
僕が続けて文句がましい思考を思い浮かべようとした時、再び異質な言葉が走った。
「私は大きな百姓家の当主だった。出来のいい長男は町で医師を開業していたので自分が隠居するとき、次男に家督を譲ったのだが、その時長男に余計なことを言ってしまったのだ」
「私の家は父も祖父も医者ですけど、そんな話内村さんにはしていないのに」
景平さんが気味悪そうに僕の顔を見つめる。ぼくはさらに言葉を伝えようとしたが、それ以上は「口寄せ」をすることはできなかった。意識して自分で話そうとしすぎてしまったらしい。
立ち上がったまま脂汗をかいている僕を見て、栗田助教授は今日はここまでと判断したようだ。
「内村君、もういいですよ。君が知りえない情報をそれだけ伝えられたら十分です」
僕はホッとして、椅子に座った。山葉さんが注いでくれたビールでのどを潤すと、すごくおいしく感じられる。
「栗田助教授と内村さんが話してくれたらきっとうちの親族を説得できるわ。二十一世紀になった今仲たがいしているような理由はないはずよ」
「そうだね。双方のおじいさんと親族を呼び集めるとしたらどこがいいだろう」
西山さんと影平さんが二人で内々の相談をしているとき、僕は再び料理を食べ始めていた。コースの最後になるデザートの皿を回してくれた山葉さんに礼を言おうとした時、僕の口からぼそぼそっと言葉が漏れた。
「呼び集めるなら炭焼き釜の前にしてくれ」
西山さんと景平さんはギョッとして話を止めると僕の方を見つめ、僕は思わず自分の口を押えた。
やがて、栗田助教授と山葉さんがさも可笑しそうに笑い、僕たちもそれにつられて笑い始めた。
恐山をめぐり、いたこに口寄せの奥義を伝授してもらった旅の夜は和やかに過ぎていった。
翌週の週末に僕たちは西山さんと景平さんに招かれて房総半島に向かっていた南房総市の白浜町が二人のルーツの地だった。
「僕は白浜という地名が頭に浮かんだのでてっきり和歌山県だと思っていましたよ」
「海岸線には地形によって異なる比重の堆積物がたまっていく。たまたま、貝殻の砕けた白い砂がたまる場所等が白浜と呼ばれたようだな。日本中のあちこちに白浜という地名はあるらしいよ」
僕と山葉さんは栗田助教授が運転するミニバンの二列目シートに収まっていた。助手席には、話を聞いて参加を希望した雅俊も乗っている。
東京湾アクアラインで木更津まで渡った僕たちは、館山自動車道で房総半島の先端部を目指す。
「東京からすぐ近くなのに自然が残っているんですね」
雅俊が周囲の景色を見て感心したような声を出した。
「東山君はあまり町から出たことがないのかな」
栗田助教授はステアリングを握りながら話を合わせたつもりだったが、雅俊は実は鳥取県の出身だった。
「いいえ。僕は鳥取県の出身だから実家の辺りでは自然環境はもっとディープに残っていますよ。東京から近場のわりに自然が残っていると思ただけです」
「ああ、そうなんだ。ところで、内村君は、西山家と景平家を説得するに足るほどの話を引き出せそうかな」
栗田准教授は雅俊との話を深追いせずに、僕に話を振った。栗田准教授は何も見えないのを承知でバックミラー越しに僕の周囲を見回している。
「うまくいくか正直自信がありません。でもスイッチの押し方は何となくわかってきた気がするので頑張って口寄せします」
僕の横でぼやけた人型が揺らいだ。まるで僕の話を聞いて反応したようだった。
「完璧でなくても、両家を納得させるだけの材料があれば説得するのは可能なはずです。頑張りましょう」
『頑張ってくれ』と僕に丸投げしないところが栗田助教授のいいところだ。
責任の一端は自分にもあることを言葉の端ににじませて、出来ることは一緒にしようという立ち位置なのだ。
将来仕事をするときの上司が、こんなタイプならいいなと僕は場違いなことを考えていた。
南房総市に到着すると、待ち合わせ場所にした市役所の支所で西山さんが出迎えてくれた。
「炭焼き釜のことを調べても場所がよくわからなかったのですが祖父が場所を憶えていました。集落のある平地の背後は木々に覆われた丘陵地帯になっているのですがその奥にある炭焼き小屋に子供のころ遊びに行っていた記憶があるそうです。山際に神社があるのですがそこから先一キロメートル程は未舗装の山道を歩くことになります」
西山さんは申し訳なさそうな顔をして告げたが、栗田助教授車内を見回して言った。
「ここにいるメンバーならその程度の山道は平気ですよ。それよりも、かなりの高齢のはずのおじいさんがそこまで行けるかが心配ですが」
「ああそれなら大丈夫ですよ。健康のために毎日その辺りまで散歩をしているようですから」
西山さんは事も無げに言うが、彼の祖父は相当な高齢のはずだった。
僕たちが車を止めて山道を登っていくと、目的の場所には既に西山家と景平家の人々が待ち受けていた。両家というぐらいだからそれぞれ数十人の人々が詰めかけているのかと思ったが居合わせたのは景平さんの母親と西山さんの父親、そして霊の言葉で呼びつけられた双方の祖父達だった。
「大騒ぎしていた割に、霊能者の人が曽曽祖父の言葉を告げると言ったら気味悪がって当事者以外は誰も来なかったのですよ」
景平さんは苦笑いしながら告げた。
二人の祖父は所在無さそうに立って僕たちを迎えた。炭焼き小屋があった場所は集落から一キロメートル近く斜面を登って、かなりの標高があるが、谷筋にあたり湧水が出ていて、少し平坦な土地もある場所だ。
無論、現在では炭焼き小屋はなくなっているが、石を積み上げて作られた炭焼き釜の跡が残り、往時を伝えていた。
僕は祖父の一人、雄基さんを辰吉さんの記憶の中で見たことがあるが、百歳近い高齢となった今は、子供のころの面影を見て取ることはできない。
僕は二人に近づいて、炭焼き小屋にまつわる話を聞こうかと思ったが、その瞬間自分の思考とは違う言葉が走り、口をついて出ていた。
「よく来てくれたな雄、公。お前たちの孫の交際を認めてくれたら約束どおりご褒美を上げよう」
二人の老人は怪訝そうに僕の顔を見つめてから互いに話し始めた。
「聞いたか公さん。まるで炭焼き小屋にいた爺さんが話しているようだ」
「聞いたとも雄さん。あの頃、爺さんがわし達を呼びつけては、仲よくしたらご褒美を上げると言っていたのを思い出すな」
どうやら、二人に共通する記憶に係わる言葉を告げることができたようだ。もう少しダメ押しに何か言わなければと思った僕は、彼らにはなしかけようしたが、その機会に乗じて辰吉さんの霊は再び僕を使って言葉を発した。
「雄の父親に財産を譲って隠居した時にわしは公の父親に気が咎めるところがあった。わしの本心では頭が良くて怜悧な公の父親よりも、おっとりとした雄の父親の近くで老後を過ごしたいと思っていたからだ。それゆえ、わしは公の父親に余計なことを言ってしまった。出来の悪い子供には美田を残さねばならないと言って、公の父親の機嫌を取ったのだ。だがそれが取り返しのつかない結果を招いた」
二人の老人の顔に驚愕の表情が広がっていくのがわかった。
「わしの言葉は雄の父親や親族一同も知ることになってしまった。いつしか公の父親は弟を侮蔑し、雄の父親はそれに激しく反発するようになった。争いはやがてお前たち子孫にまで引き継がれ収拾がつかなくなっていった。どうかお前たちが無益な争いに終止符を打ってくれ。もし引き受けてくれるなら褒美の場所はこの方に教えておく」
ちょっと待ってくれ。褒美の場所なんか聞いていないぞとぼくが周囲を見回していると、公輝さんが雄基さんに話しかけるのが聞こえた。
「私が父に聞いた話と符合するが、それが爺さんの気兼ねのためだとすると私たちいがみ合う必要などなかったことになる。もしこの人が褒美のありか知っていたら。お互いの家族を説得して、諍いなど止めてしまうのはどうだろうか」
「私もそう思っていたところだ祖父の炭焼き小屋では仲よく遊んでいたことを覚えている。祖父の余計な言葉が諍いを引き起こしたというならあんたの言うとおりにしよう」
二人の話がまとまるにつれて僕は焦り始めた。ぼくが辰吉さんのご褒美のありかを示すことができなかったら話は流れてしまいかねない。
「ウッチーさっきから何を指差しているんだ」
山葉さんの声を聞いて、僕は自分の右腕が先ほどから指で何かの方向を示していたことに気が付いてぎょっとした。
自分が気が付かないうちに僕の腕は炭焼き釜の跡の中心部あたりを指していたのだ。
「雄一、その人が指さしていた場所を掘ってみろ」
雄基さんの言葉で西山さんは炭焼き釜の底を掘り始めた。その部分は耐火レンガを使って頑丈に作られていたようだが、西山さんが苦労してその下を掘り進むと、レンガに囲まれた空洞ができていた。
「中にこんなものが入っていましたよ」
西山さんが持ち出してきたのは、白っぽい瀬戸物のような器だった。皆が見守る前でその蓋を開けるとその中から何枚かの小判が出てきた。
「本当にご褒美のお宝が入っていたんだな」
公輝さんがつぶやいた。
「本当だとは思えなかったが証拠の品物が出てきたから、約束通り二人の交際は認めなければならんな。どうだろう、その二人が披露宴を上げるときはわたしたちがこのお宝を使って披露宴の費用を見てやるというのは」
「それはいいな。どうせお互い生い先が短い身だ。それはそうと爺さんがほんの子供だった私たちに本当に褒美まで用意していたとは驚いたな」
二人の老人は長年の友人のように仲良く話し始めた。その時山葉さんが進み出た。
「辰吉さんは長年の気がかりを解消できたようです。これ以上現世を彷徨うことがないように私が祭祀を行ってもいいですか」
雄基さんは公輝さんを顔を見合わせた。
公輝さんが鷹揚にうなずくのを見て雄基さんは山葉さんに告げた。
「是非お願いします。生前から思い悩んでいたとしたら百年を超える年月だ。祖父がゆっくりと眠れるように祈ってやってください」
山葉さんの申し出に雄基さんが快く応じたので、山葉さんはいざなぎ流の祭祀を始めた。鬱蒼と茂る広葉樹林の下で山葉さんが祭文を唱えていざなぎ流の神楽を舞う。
緑の中で彼女の白と赤の巫女姿が映えた。
彼女が祭祀を終えた時、僕はこの数日間自分に付きまとっていたおぼろげな姿の霊の気配が消えたことに気が付いた。
彼女が「神上がり」させて、未来の時空へと送り出したのだ。
僕たちが帰り支度を始めていると、景平さんが僕の前に白っぽい器を差し出した。雄一さんが小判を掘り出した小判が入っていた入れ物だ。
「私にもご先祖様の言葉が伝わったような気がするの。これをウッチーに渡せというのだけどウッチーというのは内村さんのことよね。祖父達も了承してくれたから持って帰って」
僕は取り合えず礼を言って受け取った。器は赤土にまみれていたがせっかくなので記念に持って帰るつもりだ。
景平さんのお母さんは公輝さんの娘で、景平家に嫁いでいたので、雄一さんと沙也加さんを悩ませていたのは西山家の二つの家系の諍いだった。公輝さんと雄基さんはそれぞれの親族に話して事態を収拾すると約束してくれた。
西山さん達と別れて東京に帰るミニバンの中で、僕はもらってきた器を床に転がした。赤土まみれなので取り合えず床に置いたのだ。しかし栗田助教授はそれが目についたようだった。
「内村君その器はもっと大事にしたほうがいいと思うな。調べてみないとわからないが年代物の白磁の香炉だから価値があるかもしれないよ」
僕は慌てて「白磁の香炉」を両手で抱え上げた。山葉さんは隣で僕の様子を見ながら笑顔を浮かべる。
「昔の人だから律儀にお礼の品物をくれたのだな。これでどうにか落ち着きそうだね」
僕は白磁の香炉の価値よりも彼女が何気なく発した言葉の意味を考えていた。
取り憑いていた霊がいなくなった今ならば、僕のアプローチを受け入れてくれるのだろうかとかんがえて、僕の心臓の鼓動はドキドキし始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます