第78話 3.11の記憶(前編)

黒崎氏が運転するミニバンは常磐道をひた走り、東京を出発してからすでに3時間ほど経過していた。

途中のパーキングエリアで一度休憩したが、黒崎氏が終始ステアリングを握っていた。

僕は彼が疲れていないか心配だった。

「黒崎さんずっと運転しているけれど大丈夫ですか」

「お気遣いありがとうございます。これぐらいなら平気ですよ」

黒崎氏はクールに答え、午前中に東の方に走るので日差しがまぶしかったのか、彼はサングラスをかけたままだ。

「四国に比べたら東北地方は近いものだな」

「地続きでございますからね。オホホホ」

三列目のシートから山葉さんと美咲嬢の声が聞こえてくる。

二人を一緒に座らせると揉めないかと心配なのだが、彼女たちはなぜか一緒に三列目シートに収まってしまったのだ。

「右手の森の向こう辺りがJビレッジですよ。東日本大震災後しばらくの間、原発の復旧作業の拠点として使われていたのですが、この夏からはサッカー施設として再開されるそうです」

黒崎氏が教えてくれたのでそちらを見たが、建物が見えるわけではない。ナビゲーションの画面をみたら、高速道路から少し離れた場所に、広い敷地が広がっているのがわかる程度だ。

何気なく後ろを振り返ると、二列目シートに座っている洋子さんと目が合った。

「震災後は、ご自宅には何回か戻られたのですか」

「家は津波で流されて残っていません。私と主人は様子を見に行ったことはあるのですが、真紀子を連れて行くのは初めてです」

洋子さんが真紀子さんの方を見ているようなので、僕は真後ろにいる真紀子さんの方を振り返った。

カフェ青葉で祈祷を行った時の様子を思い出して心配になったのだ。しかし、彼女はまっすぐに僕を見返した。

「久しぶりに故郷に帰るんだよね。どんな気分?」

黙っているのも気詰まりなので、とりあえず口から出たのは、気の利かない質問だった。

「うん。最初はすごく怖いと思ったけど、巫女の人も幽霊なんていないって言ってくれたし、今はちゃんと町の様子を見てこなければと思っている」

巫女の人とは山葉さんのことのようで、僕は話していいのか悩んだが思い切って自分が見た光景を告げることにした。

「この間お祓いをしたときに、被災した時の真紀子さんの体験が僕にも伝わってきました。津波に流されそうになった女性を助けようとする場面です」

真紀子さんが目を見開いた。

「どうしてそんなことがわかるのですか」

「彼は霊感みたいなものが強いのですわ」

後ろの席から美咲嬢が口をはさんでフォローし、僕は思っていたことを伝えることにした。

「真紀子さんはまだ小学生だったはずだから、大人を助けようとしても体力的に無理だったんです。彼女も二人とも落ちるよりはと、自分で手を振り払ったように見えました。そのことを気に病んではいけないと思いますよ」

「そうですわ。カルネアデスの舟板の話をご存じかしら。水難事故に遭って溺れそうな二人の人の前に、一人しか掴まれない大きさの舟板が漂ってきたとき、生き残るためにもう一人を押しのけて結果的に相手が水死しても罪に問われないという話です。あなた達は相手を押しのけるどころか互いに助け合おうとして必死に努力したのですから、誰にも非難されるいわれはないはずですわ」

美咲嬢も彼女に伝えたかったらしく、生真面目に話す。

だが真紀子さんは視線を落とした。

「でも、あの人は」

そこまで言って真紀子さんは口をつぐんだ。隣では洋子さんがため息をつき、気づまりな雰囲気になった空気を破るように黒崎氏が告げる。

「そろそろ常磐自動車道を降りますよ」

ミニバンは黒崎氏の言葉通りに料金所を抜けると一般道に降りた。

「ここから北の方は帰還困難地域に通じているので許可証がないと通行できません。葦田さんのお宅があった辺りは南側で避難解除準備地域に当たるので、居住はできませんが今は自由に通行できるそうです」

「その、なんとか地域ってどう違うんですか」

「空間放射線量の多いほうから、帰還困難地域、居住制限地域、避難解除準備地域です。福島第一原発事故で放出された放射性物質はその時の風向きの関係で北西の内陸方面に流れたようですね。そのため、葦田さんが住んでいた町では原発に近い海岸部が避難解除準備地域になり、内陸よりのエリアは帰還困難地域に指定されています」

「黒崎さん詳しいんですね」

「現地入りするために調べたのです。私も七瀬カウンセリングセンターの職員ですからね」

「そうだったんですか」

ぼくは、彼のことを美咲嬢の個人的な執事だと思っていたので少し意外だった。

「美咲お嬢様の研究所はNPO法人として認可を受けて、都からの業務の委託を主に運営しています。私や上門さんは法人のスタッフでもあるのです。」

「彼女ってすごい人なんですね」

僕の言葉に黒崎氏は当然のようにうなずいた。

その間にミニバンは、市街地に入っていき、周辺では工事用らしき車両の行き来が多くなった。

「町役場が一部の業務を再開していて、コンビニも営業しているようですね」

黒崎氏の言葉にかぶせて美咲嬢の声が響いた。

「黒崎、あなたと同じ名前の和食どころが営業しているみたいですわ。先にお昼にしませんこと」

役場の近くに何件かの飲食店の看板が見えていてその一つに「和食処くろさき」と書いてあった。黒崎氏はちらっと時計を見てから言った。

「そうですね。十二時を回ったら除染作業の業者さんで込み合うかもしれないから早めにお昼ご飯にしましょうか」

黒崎氏は役場の駐車場にミニバンを止めた。

和食処の他にご当地の名前を冠した焼きそばのお店もあるし、カフェも営業している。

「まだ居住できないはずなのに、飲食店が営業しているのですね」

「がれきの除去や、除染作業は始まっている。業者さんのために営業しているのだろうな」

僕の言葉に山葉さんが答えた。

洋子さんと、真紀子さんは感慨深そうに街並みを眺めている。

「和食処くろさき」は思いのほか豊富なメニューを取り揃えていた。

何を頼もうかと迷っている僕の横で山葉さんは言った。

「私はメヒカリ定食にするよ」

「メヒカリってなんですか」

「深海魚の一種の小魚だ。私の故郷でも食べていたよ」

「それじゃあ僕もそれを頼みます」

僕が山葉さんにつられてオーダーしただけでなく、葦田さん親子も同じものを頼んでいた。黒崎氏と美咲嬢は海鮮丼セットをオーダーしている。

「私、ちょっと街を見てくる」

そう言い残して真紀子さんは外に出ていった。

心配なのか洋子さんもその後に続く。

「このお店の魚介類って地元産なのかな」

山葉さんは何気なく聞いたようだが、黒崎氏は固い表情で首を振った。

「この町の漁業は試験操業はしているけれど、漁獲物は流通していません。放射線のモニタリングをしているのですね。放射能の影響がないはずの近隣県でも風評被害が相当あるみたいですよ」

僕たちの記憶では、東日本大震災は過去のことだが、現地ではその影響は今でも続いているのだ。

「ところで、現地に行って具体的に何かする計画はあるのか」

山葉さんが美咲嬢に聞いた。

「いいえ。現地に問題の女性の霊でもいたら話は別ですけど、基本は現状を見てもらって本人が意識の切り替えをはかることをお手伝いするだけですわ」

「そうか。やはりそうだよな」

山葉さんが言葉を濁す。

「何か考えがおありでございますか」

「少し気になることがあるのだが、確証が得られたら話すよ」

その時、葦田さん親子が店内に戻ってきた。

「この辺の町並みはかわってないね」

「そうね。原発事故さえなければとっくに元の生活に戻れていたはずなのに」

洋子さんは悔しそうな表情を見せる。

その時、僕たちが注文した料理が次々と運ばれてきた。

メヒカリ定食は、小魚の唐揚げがお皿にてんこ盛りになっていた。

あら汁とサラダが付いて結構なボリュームだ。

メヒカリの唐揚げは脂がのっていて、ほろっとした身の触感と共に癖になりそうな美味しさだ。

「この味が懐かしいわね」

洋子さんがつぶやきながら食べるのを、美咲嬢は食い入るように見ている。山葉さんはため息をつきながら言った。

「お味見に一匹上げるよ」

「ありがとうございます。頼みもしないのに申し訳ございませんわ」

美咲嬢の顔に満面の笑みが浮かんだ。

食事の後、僕たちは海岸に向かった。

途中の道路脇には白い塀が延々と続いている。

「ここは災害廃棄物仮置き場になっているのですね。津波で被災したエリアは住宅地として再建しないでスポーツ施設や公園に整備する計画のようですよ」

黒崎氏が解説しながらミニバンを海岸と並行して走る道路に乗り入れた。

周囲には建物の基礎部分が残り、一面の草原となっている。

ところどころに流失を免れた住居が残っている程度だ。

真紀子さんと洋子さんは表情を硬くしている。

「この辺りが葦田さんのお家があった辺りですね」

黒崎氏は車のスピードを落としてどうしようかと言いたげにバックミラーを覗いた。

その時、美咲嬢が指示するよりも早く山葉さんが手を上げた。

「黒崎さんちょっと車を止めてくれ」

山葉さんの言葉に黒崎氏はハザードを出してミニバンを路側帯に止めた。

「どうしたんですか山葉さん」

「ウッチーあそこの交差点のところに見えないか」

山葉さんが目をすがめてみているのを見て、僕は何が見えるのか察しがついた。彼女が示したあたりを凝視するとうっすらと人影が見える。災害で犠牲になった方の霊がいるのだ。

「高齢の女性みたいですね」

「身内の方が葬儀をしたはずだが、本人の思いが強くて霊が現場に取り残されたのかもしれない。私たちが慰霊してあげよう。美咲さん、時間をもらっていいかな」

美咲嬢も葦田さん親子も異存はなかった。

山葉さんはミニバンのラゲッジスペースから御幣や榊を取り出すと手早く準備し、祭文を唱えて祈祷を始めた。

彼女は旅先なので普段着だが動きやすくするために防寒着は車に脱ぎ捨てている。

山葉さんが祈祷を続けるうちに、道端にたたずむ霊はその数が増えていた。

5人、6人と数を増していくが皆、高齢の人ばかりだ。真紀子さんを助けた女性の姿はない。

やがて、山葉さんの祈祷は終盤を迎え、彼女の祈祷に合わせて人影は揺らぎ、人魂のような形になって彼女の手元に引き寄せられていく。

そして、彼女が気を込めるとそれは、何処へともなく消え失せていた。

山葉さんが、いざなぎ流の祈祷で御霊を慰めて、来世へと送り出したのだ。

山葉さんは御幣を持ったまま最後に深く一礼した。

気温は低いのに彼女の額には汗が浮かんでいる。

「そこに何かいたんですね」

真紀子さんが僕に訊ね、僕は黙ってうなずく。

「私が見ていたのと全然違うのがわかる。さっきのが本物の霊なんですね」

彼女ははっきり見えなかったようだが霊の存在を感じることができたらしい。

そして、それは、自分が今まで見ていた女性の姿が、自分自身が作り出したものだと気づくことにつながったようだった。

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