第77話 逆襲への序章
七瀬美咲嬢と黒崎氏が帰ってから気が付いてみると、僕もアルバイトを切り上げる時間だった。お店のバックヤードでエプロンを外して帰り支度をしていると、クラリンが店から顔をのぞかせた。
「ウッチー、最近バイク乗ってへんやろ」
「うん。やっぱり冬場は寒いからね。それに学校でヘルメットを持ち歩くのも何だか邪魔くさいし」
軟弱な発言だと意識しているが、背に腹は代えられない。冬場にバイクに乗ると寒いのだ。
「クラリンだってCB400SFを買ったのに乗っているところを見かけないじゃん」
「そやな、私も学校に行くときはヘルメットかぶるとヘアスタイルが乱れるし。スカートではバイク乗られへんからな。みんなでツーリング行くのは暖かくなってからにしよか」
僕はうなずいた。春休みになれば季節がら寒さも緩んでツーリングにも出かけやすいはずだ。
「ところで、山葉さんにバレンタインデーのチョコレート貰ったんやろ?。どんな中身だった?」
「義理チョコだって言ってたけど、手作り風マカダミアナッツ入りトリュフチョコって感じだったよ」
僕の答えを聞いたクラリンはニヤニヤしながら言った。
「そんなん義理チョコのわけがないやろ。雅俊が彼女に貰ったのと全然ちがうやん」
「え、そうなの?」
実はそんな気はしていたが、本人が義理チョコだと念押しをするから追求することもできなかったのだ。
去年も同じようにチョコレートをもらっているが、ホワイトデーには型通りにクッキー詰め合わせを買ってお返しをしただけだった。
「ホワイトデーにはちゃんとお返しをせなあかんよ」
「何を渡したらいいだろう?」
ぼくは、この際だからクラリンにご意見を聞いてみた。この手の相談を気軽にできるから彼女の存在は貴重だ。
「そうやな、年末にポルシェの一件で手に入れたペンダントって今でも持ってるやろ」
僕はうなずいた。ペンダントはその由来から本来渡すべきだと思った女性に受け取りを拒否されたのだ。
そして彼女は僕にやるから山葉さんにプレゼントしろと告げ、それ以来カバンの中に入れたままになっている。
「私がラッピングし直してあげるからよこし」
僕は何となく躊躇して言った。
「いや、でもそんな品物を渡したら特別な意味があると思われてしまいそうで」
「いい加減にしなさい。特別な意味のある品物を渡してスペシャルな気持ちを伝えたらええのよ。あんたは死者の記憶すら読み取るくせに、どうして自分達のことには鈍感なのかしら」
クラリンは、早くよこせと手のひらを上にして手を差し出している。僕は観念して鞄の底にあったペンダントの包みを渡した。
クラリンはよれよれになった包装を開けて中身を改めている。
「ウッチー、これってハート形で中身が空洞になっているやろ。彼女のハートを開かせるってゲン担ぎなんやで。知ってた?」
僕は無言で首を振った。ジュエリーなんておよそ縁が無いからそんなこと知っているわけがない。
「ほな、明日には綺麗にラッピングして持って来てあげるから、ホワイトデーにはちゃんと山葉さんに渡すんやで」
彼女は言いたいことを言い終わると、バタンとドアを閉めてカフェ青葉の店内に戻っていった。
どうしようと僕は自問した。
彼女が言うように、そろそろ自分の思いを伝えたほうがいいのかもしれない。そんな事を考えている時に、階段を降りてくる足音がしたので僕はどきっとした。
山葉さんが2階の自分の部屋で、袴と半着の巫女姿から、白シャツと黒いスカート、そしてカフェエプロンのバリスタ用コスチュームに着替えて降りて来たのだ。
「ウッチー、今日は夕方からクラリンと交代の予定だろ」
「ええ、そろそろ帰るところです。お先に失礼します」
「お疲れさまでした」
裏口から出ていく僕を、彼女は笑顔で見送ってくれる。
雰囲気はいいよなと、僕が強いて自分を納得させていると、彼女の声が追いかけてきた。
「今日の葦田さんの件、解決するために力を貸してくれないか」
「もちろん手伝いますよ」
「私に見えない相手なら君の力を頼るしかないからな」
振り返ってみると、彼女は真顔でこちらを見つめていた。僕はなんだかどぎまぎしながら片手をあげてカフェ青葉の裏口を出た。
翌日は日曜日で、僕はお昼からのシフトでアルバイトをするために、カフェ青葉に出かけた。
お店のバックヤードにある厨房で賄いの昼食を食べてから店内に入り、朝からバイトをしていた雅俊から仕事を引き継いだ。
さしあたって、僕がするべきなのはランチタイムのお客さんが帰った後の食器の片づけと洗浄だ。
僕がシンクの食器を洗っている横で山葉さんがコーヒーを淹れる準備をしている。
ランチタイムの後で、少しゆっくりできる時間帯だ。
そんな時間に、入口のドアベルが鳴ってお客さんが入って来た。テーブル席が空いているのにカウンター席に来るので、よく見てみると、昨日来ていた葦田さんの母親の洋子さんだった。
「こんにちは。昨日はどうもありがとうございました」
「いらっしゃいませ」
丁寧にあいさつをする洋子さんに、顔を上げた山葉さんが会釈をする。
「コーヒーをいただこうかしら」
「ホットコーヒーですね。お待ちください」
オーダーを受けて山葉さんがペーパードリップでコーヒーを入れ始めた。
洋子さんはコーヒーの粉にお湯を注いで蒸らしている山葉さんの手元を見ていたが、遠慮がちに山葉さんに問いかけた。
「あなたに聞いてもお困りになるかもしれないけれど教えてください。あの七瀬先生は信頼できる方なのですか」
コーヒーの粉が膨らむのを見ていた山葉さんは、目を上げると淀みなく答えた。
「少し変わった人ですけど、相談を受けた方に対しては一生懸命対応する人だと思いますよ」
洋子さんは黙った。納得したのかそれとも、内輪の人間に聞いても無駄だと思ったのか定かではない。
「こんな話は信用されないかもしれませんが、私は霊を見ることができます」
洋子さんは、驚いたように山葉さんを見つめた。
「実は彼女に頼まれていたのです。真紀子さんに亡霊が取り付いていいない場合でも、何かいる場合と同じように祈祷してくれと。実は、昨日は私には何も見えませんでした」
「そうなんですか。私はてっきり霊がついていたのをうまくお祓いしたと言われるのかと思いました」
山葉さんは、ペーパーフィルターのコーヒーの粉に一気にお湯を注いだ。そして、ほどほどの量になったところでいったん止めて、少しづつお湯を追加していく。
周囲にはコーヒーの甘い香りが漂い始めた。
「七瀬さんは、彼女のカウンセリングについて確固とした考えがあるようです。もう少し彼女を信じてカウンセリングを続けてあげてください」
山葉さんはコーヒーを温めてからカップに注いで洋子さんの前に出した。洋子さんはカップを手に取って一口飲んでから言った。
「そうですね。私は真紀子の症状に改善の兆しが見えないから焦っていたのかもしれない。七瀬先生からお聞きになったっかもしれないけれど真紀子は東北大震災で津波に巻き込まれて生命の危機に直面しました。それまでは明るくて優しい子だったのですが、被災後はふさぎ込むことが多くなってしまって」
洋子さんは話の途中でもう一口コーヒーを飲むとカップを置いて言った。
「このコーヒーおいしいわ」
「ありがとうございます」
山葉さんが笑顔で答える。
「大震災が起きた時あの子は学校に行っていました。学校の校舎は津波で被災したのですが、生徒たちは先生が的確に誘導して近くの山まで逃げたので無事でした。でもあの子は家にいるおばあちゃんが心配だと言って海岸の方にある家に戻ってしまったのです。私や夫は、もしも津波が来たら自分の安全だけを考えろと言っていたつもりなのですが」
「津波てんでんこですね」
山葉さんの言葉に洋子さんがうなずいた。食器洗いの仕事を片付けて途中から横で聞いていた僕は思わず訊ねた。
「津波てんでんこって何ですか」
「津波が来たときは、親や兄弟のことも考えずに自分の身の安全だけを考えろという意味の三陸地方に伝わる言葉だ。津波からの避難の大変さを表しているそうだ」
山葉さんが僕に説明し、洋子さんがうなずいた。
「あの子が家に着いてみたら祖母は避難した後でした。それから避難しようとして逃げ遅れて津波に巻き込まれたのです。逃げる途中に路上で津波に遭ったはずなのですが、どうも誰かが助けてくれたようで翌日の朝に崩壊を逃れた家の屋根にいる所を救助されました」
僕は昨日見た彼女の記憶の中の光景を思い出したが、黙っていた。
そして、代わりに思いついたことを提案してみた。
「一度被災現場を見に行かれたらどうでしょう。復興している現場を見たら彼女の恐怖感も薄れるかもしれませんし」
僕の言葉を聞いた洋子さんの表情は曇った。
「私たちの町は再建も復興もしていないのです。近くにある原発で事故が起きて大量の放射性物質が放出されたので、つい最近まで私たちが住んでいた辺りに行くのも許可証が必要でした。それに災害危険区域に指定されたので、放射能による避難指示が解除されたとしても、家の跡地に建物を再建することはできません」
僕は二の句が継げなかった。そしてよく知らないのに口を挟んだことを後悔しながら洋子さんに謝った。
「すいません。余計なことを言ってしまって」
「いいんですよ」
洋子さんは穏やかに答えると、コーヒーカップを口に運んだ。
「あなた達も七瀬先生と同じことを言ってくれるんですね。先生のおすすめ通りに私達が住んでいた町に行ってみようかしら」
美咲嬢も葦田さん親子に被災した時に住んでいた町に行くことを薦めていたのだろうか。
僕と山葉さんが互いに何か言おうとした時にお店の入り口から入ってくる二人連れがいた。
美咲嬢と黒崎氏だった。二人は店内に入ってきてテーブル席に座ろうとした。どうも遅めのランチを食べに来たようだ。その時、美咲嬢はカウンター席に洋子さんがいるのを見て立ちすくんだ。
「こんにちは七瀬先生。ちょうど今あなたのうわさ話をしていたところよ」
「う、うわさですか」
美咲嬢は固くなって答えた。
「ええ。それでね、あなたが薦めてくれていた、あたしたちが住んでいた町に行く件をお願いしてみようかと思って」
美咲嬢はカウンターまで駆け寄ってきた。
「本当ですか」
洋子さんはゆっくりとうなずいた。
「それでは、車や移動の経費は私どもが負担しますから、ご都合の付く日で日程を決めましょう」
「ええ、土日でもよろしいんでしょう?。次の週末なら空いていますよ」
美咲嬢は、僕たちに目を向けた。
「山葉さんとウッチーさんも一緒に行ってくれませんこと?。費用はすべて私達が持ちますわ」
山葉さんは僕の顔を見た。僕がうなずいて見せると彼女は美咲嬢に告げた。
「いいよ」
美咲嬢は笑みを浮かべると僕たちに言った。
「それでは出発時間や行程が決まり次第ご案内しますわ」
彼女の隣で黒崎氏が小さくため息をついた。準備はすべて彼がするのに違いない。
僕は思いがけなく東北まで行くことになった成り行きに驚いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます