第79話 3.11の記憶(後編)
自分の家の跡地を見ながら、真紀子さんはつぶやいた。
「もう元には戻れないんだね」
「そうよ。生きていくには前に向かって進んでいかないと」
洋子さんがポンと彼女の背中をたたいた。
「だいたい、学校でいじめに遭っているなら早く言ってくれれば良かったのよ。黙って言いなりになるから相手も調子に乗るのよ」
「だって、話しにくかったもん」
真紀子さんは顔を上げると弱々しく微笑んだ。
葦田さん親子が自宅跡地を歩く様子を美咲嬢は静かに見守っていた。
その後、再びミニバンに乗り込んだ僕たちは、真紀子さんが通っていた小学校の跡地に向かった。
津波で被災した校舎は、震災の遺構として保存される予定だという。
真紀子さんは荒れた校舎を見ながらつぶやいた。
「ここで一緒にいた同級生はバラバラになってしまった。もう会えない人も多いだろうな」
彼女がいた小学校では、東日本大震災の地震が収まった後、近くの山に向かって素早く避難したので津波の犠牲者は出ていないと聞いていた。
「同級生の人もみんな無事だったんでしょう?」
真紀子さんの代わりには母親の洋子さんが答えた。
「地震と津波の翌日には原子力発電所の事故で発生した放射能のために避難指示が出されたのです。みんな混乱の中で避難を余儀なくされてあちこちに散らばっていきました。内陸の町に町役場の事務機能や、一部の小中学校が開設されたのですが、皆がそこに集まっているわけではありません」
その話で思い出したのか真紀子さんがボソッとつぶやいた。
「私はやっとたどり着いた避難所でガイガーカウンターを向けられたのが忘れられない。放射能を持ち込むから出ていけみたいなことを本当に言う人がいたんだもの」
真紀子さんがつぶやいたのを聞いて、美咲嬢は顔色を変えた。そして、つかつかと真紀子さんに歩み寄ると、ゆっくりと話し始めた。
「あなたは、一緒に被災した女の人を助けられなかったことですごく自分を責めていたのです。その上、避難先で放射能の汚染源のように扱われたことで自分を大事に思う気持ちを失っていたのですわ」
真紀子さんはゆっくりと目線を上げると美咲嬢の顔を見つめた。
「誰にも引け目を感じる必要はないから、自分はかけがいのない存在だと考えてください。そして四月からは元気に高校に行ってください」
真紀子さんはゆっくりとうなずいた。
その横で、校舎を眺めていた山葉さんは洋子さんに話しかけた。
「流出した家屋等の瓦礫から見つけ出した写真やアルバムを思い出の品として保管しているというのを聞いたことがありますよ。せっかく来たのだから探してみてはいかがですか」
「ええ、話には聞いたことがあります。とても見つからないだろうと思ったので探しに行ったことはありませんけど」
「丁度いい機会だから行ってみましょう。お昼を食べた場所の隣が町役場で事務を再開していたみたいです。場所を聞いたら教えてくれるのではないでしょうか」
「そうですね。今でも保管してくれているなら行ってみましょうか」
洋子さんは美咲嬢を振り返り、美咲嬢は話が聞こえていたようでうなずいて見せた。
町役場に戻る途中で僕たちは巨大なビニール袋を積んだトラック数台とすれ違った。
「除染作業で出た廃棄物を運んでいるのです。海岸沿いに仮設の処分場が作られているのですね」
入念な下調べをしているらしい黒崎氏が教えてくれる。
「でも、処分場にしてしまったら。元住んでいた人たちが戻ってても住むところがなくなってしまうでしょう?」
「内陸部の高台に新たな居住用区域を造成する計画のようです。いずれにしてもこの町では避難指示が解除されて初めて復興が始まるのでしょうね」
黒崎氏はふうっと息をついた。
町役場についた僕たちは、とりあえず思い出の品保管場の担当者を探すことになった。
問題はそれをどこの課が担当しているかがわからないことだ。
誰でもいいから職員を捕まえて聞けば早いのだろうが、僕たちは壁に貼ってある組織図を見て右往左往していた。
その時、真紀子さんが僕の服の袖を引っ張った。
僕が立ち止まって彼女の顔を見ると、彼女は事務室の奥の方でパソコンに向かっている女性を指差している。
僕はその女性の顔を見ているうちに真紀子さんが何を言いたいのか理解した。
その人は東日本大震災の際に真紀子さんを助け、自身は津波にのまた女性とよく似た風貌だった。
「あの人、津波にのまれた人とそっくりじゃないですか」
「内村さんもそう思いますか。私最初に見た時、ドキッとしてしまって。」
彼女が生きていたのだろうか。それとも、顔立ちの似た兄弟や親せきと出くわしただけなのだろうか。人口密度の少ない地方だったらその可能性も無いわけではない。
僕と真紀子さんがその女性に声をかけようか迷いながら佇んでいると、美咲嬢と山葉さんが僕たちの様子に気が付いて寄ってきた。
「二人とも何をなさっているのでございますか」
「いや、あそこにいる人が、真紀子さんを助けて自分は津波に飲まれた女性に似ているので声をかけようかと迷っていたんです」
「真紀子さんを脅かしていた幽霊女のオリジナルが生きていたかもしれないということですわね。それなら本人に聞けばよろしいのではありませんこと?」
「そうだな、あっさり聞いてしまうのが手っ取り早い」
山葉さんも同意して二人は事務所の奥まで歩いて行き、問題の女性の横で立ち止まった。
「すいません。あなたは東日本大震災の時、津波に巻き込まれた女の子を助けませんでしたか」
「はい?」
女性は怪訝そうに山葉さんを見上げた。
「確かに逃げ遅れた小学生くらいの女の子を助けようとした覚えがありますけど。なぜそんなことをご存じなのですか」
美咲嬢は通路に立っている僕たちの方を指差した。
「その時の女の子があそこに来ていますの」
女性は真紀子さんの方を見ていたが、彼女の風貌が記憶と一致したらしくガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。
「うそ。あの子が生きていたの?」
彼女はそのまま、小走りに通路まで出てきた。
真紀子さんは身を固くした。
今まで散々彼女を怯えさせた映像とうり二つのご本人が目の前に迫ってくるのだから無理もない。
「キャー!。やっぱりあの時の子だ!生きていてくれたのね。嬉しい」
女性は真紀子さんをがっちりと抱きしめていた。
「いったい何事だよ」
女性の上司らしい職員も現れたが、女性は真紀子さんが目を白黒させているのに気が付いて手を放すと言った。
「ごめんなさいね。嬉しかったからついはしゃいでしまって。ほら!震災の当日に津波のさなかで見失った女の子の話をしたでしょう」
「ああ、明け方近くに凍死しそうな顔をして帰って来たのを覚えているよ。翌朝、無線機抱えて飛び出して行ったけど見つけられなかったって言っていたじゃないか」
「実は生きていたのよ。わざわざ訪ねて来てくれたみたいなの。あなたどうやって避難できたの?」
彼女は自分の上司と真紀子さんに交互に話して忙しい雰囲気だ。
「消防団の人が見つけてくれたんです。私もあなたは流されたと思っていたのにどうやって助かったんですか」
「引き波に流されそうになったけど、他の建物にどうにか引っかかったの」
「つらい話が多かったから、明るい話題もできてよかったね」
うれしそうな男性職員の言葉に女性もゆっくりとうなずいた。
そこに洋子さんも現れ、事情を聴いた彼女は女性と連絡先を交換し合った。
「本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる洋子さんに、女性は言った。
「この町は私たちが頑張って復興します。いつかここに戻って来てくださいね」
それは彼女の願いだと僕たちは感じた。
二人に見送られてそのフロアから出た僕たちに、黒崎氏が追い付いた。
「思い出の品の保管場所は聞いてきましたから、行ってみましょう」
役場に来た目的を覚えていたのは彼だけだったようだ。
しかし、役場で場所を教えてもらった思い出の品の保管場所では、葦田家の品物は見つからなかったので、僕たちは東京に帰ることにした。
帰り道では僕は三列目の山葉さんの隣に座った。
常磐自動車道を走るうちに、葦田さん親子や美咲嬢は眠り込んだようだ。黒崎氏は大丈夫だからと一人で運転を続けている。
静かになった車内で山葉さんは、ぽつりとつぶやいた。
「ご本人に巡り合えるなんて奇跡だね。私が思うにウッチーの霊視能力は霊や人と共感する力がベースになっているのだ。それ故、彼女の心が作り出したものまで一緒に見ることができたのだ」
「だから山葉さんには見えなかったのですね。彼女が見ていたのは罪悪感が作り出した幻覚だたんでしょうか」
「きっとそうだ。主な原因さえなくなれば、美咲さんが上手にカウンセリングするだろう。でも今回はいろいろと考えさせられることが多かったよ」
山葉さんは珍しく物憂そうに言った。
「どうしたんですか」
「彼女が転校先でいじめられた話を聞くと何だかうんざりしてきたのだ。災害なんていつ自分の身に降りかかるかわからないものだろから、被災して一生懸命避難してきた人がいたら、せめて支援の手をさし伸べてあげたいものだな」
山葉さんは、しばらくするとうたた寝を始めた。
僕は寝顔がかわいいと思いながら彼女の横顔を眺めた。
祈祷に臨むときのきりっとした表情と違い、無防備な彼女の横顔には守ってあげたくなるような、あどけなさを感じる。
黒崎氏の運転するミニバンは東京を目指して着実に走っていた。
僕は、真紀子さんのうつ症状はきっと改善するにちがいないと信じることにした。
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