第66話 ウエポンのプロフィール

彼女は横向きに寝転がり、右手で頭を支えながらタブレットの画面を眺めていた。

空いている手は、赤っぽい包装の袋からポテトチップスをつまんでいた。

キャミソール姿で寝ころんだまま足を組んでいるので、ライトブルーの水玉模様のパンツが覗いている。

何でこいつが僕の部屋でくつろいでいるんだと、ぼくが唖然として見詰めていると、彼女も僕の方に目を向けた。そして僕の視線に気がつくとピョンと起きあがってベッドの上に正座した。

「ウエポンのパンツ見たな」

彼女は僕を咎めるように言うが、昼間出現した時に比べて機嫌が良さそうだ。

「目に入ってしまったんだよ」

「だったらそんなにまじまじ見なくてもいいでしょ」

中学生のパンツが見えて嬉しいかというと微妙な所だが、見ていたのは事実なので僕は返事に詰まった。

そして、話をそらさなければと思って尋ねた。

「ウエポンって名前なの?」

「そうよ。友達は皆ウエポンって呼ぶの。今日はあんたのせいで危うく消されそうになったけど、この部屋の居心地がいいから、私の休憩所にするってことで許してあげるわ」

「勝手に休憩所にしないでくれよ。どうやってここに来たんだ?」

自分の部屋に女子中学生の幽霊に居着かれては落ち着かないことこの上ない。

お祓いしようにも、昼間山葉さんと彼女を浄霊しようと試みて、逃げられた結果現在に至っているのだから容易にできるとは思えなかった。

「昨日から私の行く先々につきまとっていたくらいだし。こんな可愛い中学生が部屋にいたら嬉しいでしょ」

彼女は口をとがらせて言い返す。

「いや、それはたまたま行き会わせただけだし」

しどろもどろになる僕の前で、彼女は横座りに姿勢をかえてポテトチップスを食べている。僕は一瞬、部屋のマスコットとしていいかもしれないと思ったが、彼女の素性を思い出して思い切り首を振った。

「幽霊はいやだ。悪いことは言わないから山葉さんの祈祷を受けて転生した方がいいよ」

彼女はため息をつきながら遠い目をした。

「いつもは気がついたら道路に立っているの。そして、目の前にじじいやばばあが運転する自動車が見えて、ああ、こいつに事故を起こさせないと行けないんだと思ってその前に飛び出すの。まるで誰かに操られているみたいに」

「自分の意志ではないみたいに聞こえるけど」

僕が問いかけると彼女はベッドに仰向けになった。

どすんとベッドに倒れ込んだ反動でポテトチップスがシーツの上に散らばった。

「わからない。わかるのはこの部屋には、のほほんとした空気が流れていて私ものんびり出来るという事よ」

僕や山葉さんが思っていたのと様子が違うようで、彼女も地縛霊の一種で、交通事故という事象に縛られているのだろうかと思える。

しかし、彼女が交通事故を誘発していることは事実だった。

普段は霊感がない人でも彼女が飛び出した瞬間その姿を視認して回避動作をすることが事故につながっており、彼女自身の能力の高さが霊感のない人にもその姿を見せているのに違いなかった。

「自分をはねたドライバーが高齢者だったから、その恨みを晴らすために、高齢のドライバーを標的にしていた訳ではないのか?」

「はねたのではなくて押しつぶしたのよ。あいつは歩道に乗り上げて車体と建物の間に私をはさんだまま、ブレーキのつもりで思い切りアクセルを踏み続けていたのだから」

僕はその様子を想像してしまった。アクセルとブレーキを踏み間違えたタクシーの車体と交通標識にはさまれて絶命する彼女の様子は思い浮かべるのが痛い。

「でも、死んでしまったのはもうどうしようもないと思っている。私はリサチンと海に行く約束していたのに行けなくなったのが心残りなの」

「海に行けば心残りが無くなるのか?」

「うん。でも東京近辺の人だらけの海水浴所じゃなくて、もっと水がきれいで、珊瑚礁の間を熱帯魚が泳いでいるような所に行きたいのよね」

腑に落ちないことが多かった。それでは何故、彼女は繰り返し路上に現れて交通事故を引き起こしているのだろうか。

その時、ウエポンは僕のベッドの上に上半身を起こすと、。何かに耳を澄ましているような表情を浮かべた。

「どうしたの」

僕は問いかけたがその直後に彼女の姿はフッと消えた。

それはまるで、ホログラムの投影機のスイッチを切ったような唐突さだった。

シーツの上に散らばっていたポテトチップスも同時に消え、部屋の中にはタブレット端末から流れる音楽だけが響いていた。

彼女は最初に見た時はおそらく亡くなったときに着ていた冬用の制服姿だったが、季節に見合ったワードローブに変わっていた。

その上、今回はお菓子まで持ち込んでいたくらいで、地縛霊の場合とは様子が違っていた。

翌日から、僕の学科の前期末試験が始まった。

何はともあれそれなりの成績は取らなければならない。

ぼくはとりあえず初日の試験科目をこなすと、さっさと自宅に帰ることにした。

試験中は雅俊とクラリンは交代で夕方のアルバイトに入るが、僕は移動に時間を食われるのでアルバイトは休みを貰っていた。

自称ウエポンの事は気になるが試験の後で山葉さんに相談するつもりだった。

もっともウエポンが毎夜僕の部屋に出現するようなら、その時は対処方法を考えようと思いながら大学の教室を出て歩いていると、後から雅俊の声が響いた。

「ウッチー。昨日の悪霊の件はまだ解決してないんやろ。俺が自分なりに集めたデータがあるけど見てみないか」

雅俊がデータと言う言葉を使う時は、信用に値する情報を相当な量集めていることを意味していた。

「いつの間にそんなことをしていたんだ」

「別に、現地調査までしたわけではない。最近の事故情報を拾い集めたり、SNSで情報提供依頼を拡散したら結構な件数が集まったんだ」

雅俊はタブレット端末にデータを入れているというので、僕たちはキャンパスのベンチに座ってそれを見ることにした。

リュックサックからタブレットを取り出した雅俊は起動しながら、自分が集めた情報を説明してくれた。

「集めた事故情報は過去半年間に世田谷区で起きた軽微な事故も含めた交通事故のうち、運転者が高齢のドライバーであることを条件にフィルターをかけたものと、SNSで集めた高齢者のドライバーによる事故にはなっていない「ひやり、はっと」を含めた事例だ。後者は自己申告の場合が多い」

雅俊は真剣な表情だった。こういう時の彼は関西弁で話すことを忘れている。

「それで、該当する事例を地図に落とし込んだのがこれだ。事故の事例が赤色で、「ひやり、はっと」の事例が黄色で示してある」

「さっきからヒヤリハットっていっているのは何のことだよ」

僕が尋ねると雅俊は冷たい一瞥を僕に向けた。

「たとえば、ドライバーが運転していて事故にはならなかったけど危なかったと感じた事例だよ。ひやっとしたとか、はっとしたとか言うから「ひやり、はっと」なんだ」

雅俊はそんなことも知らないのかと言いたげだが、そんなこと知らないよと僕は思う。

雅俊が示した世田谷区の地図には無数の黄色と赤色の点が描かれていた。

「この点々を画像ソフトで書いたのか。」

「そんな面倒くさいことするわけないだろ。先に一覧表を作って個別の事案毎に緯度と経度を入れ込んでおいてから後でまとめて地図に表示させるんだよ。緯度経度は住所が判れば算出してくれるソフトがあるからな」

雅俊は自分でプログラムを組んだりしているので、簡単そうに言うが大変な作業に違いなかった。

地図上では世田谷区の東側の境界辺りに赤と黄色の点が集中していた。点が集中したエリアは円を描いているように見えるが、その円は世田谷区の境界線で途切れていた。

「区の境界線で途切れているけど、密度の高い部分が円を描いているように見える」

僕が指摘すると雅俊はうなずいた。

「そう思うだろ。それで隣の渋谷区でも同じように作業をしてみた。もっとも、面倒くさかったから、赤点の事故の事例だけだ」

雅俊が次に表示したのは渋谷区の地図だった。今度は西側の境界線で途切れた赤い点の集合が現れた。

「世田谷区側と合わせて見ると、半径五百メートルぐらいの円形の範囲に集中しているんだな」

僕の言葉を受けて雅俊が僕に質問した

「こんな形で地図上に現れるのはどんなケースか判るか」

雅俊の問いに僕は首を振った。咄嗟には思いつかない。

「例えば、違法電波の発信がある場合に、電波障害の被害箇所を地図上にプロットしていくとこんな感じになる。円の中心が電波の発信源というわけだな」

僕が地図上の円の中心は何処になるだろうと覗き込むと、雅俊は世田谷区の地図に切り替えた。そしてスクリーンをタップすると地図上に赤い矢印が表示された。

「ここが、対象となる事例が集中している円のおおまかな中心点だ。小田急線の東北沢駅の東南側の辺りになる。おそらく小田急線と交差している都道の路上だな」

ぼくと山葉さんが目撃した事故現場は点が集中した円の北東の端の辺りに含まれていた。

「それから、世田谷側の対象事例の件数を時系列で整理したグラフがこれだ。三月の下旬頃に、急に件数が増えて高水準のままで現在の七月に至っている」

雅俊がタブレットの画面に呼び出したのは折れ線グラフだった。彼が説明したとおりに巡別で示されたグラフは三月下旬に件数が跳ね上がってそれ以降は発生件数が多いままで推移していた。プラトータイプと呼ばれるグラフの形だ。

「そんなわけで、三月下旬以降、この円の中心から発信される何かによって、事故が増加しているかもしれないという推論が成り立つわけだ」

「その中心点に何があるんだろう」

「それを今から確かめに行かないか」

僕は、試験勉強のことを一瞬考えたが、ここまで情報を見せられたら見に行きたい。

好奇心は猫を殺すと言うくらいだ。

「行く。山葉さんも呼びたいくらいだ」

「彼女には声をかけてある。五時に東北沢駅で待ち合わせているんだ」

「やけに手回しがいいな」

「だって、こんな面白そうな事件が身近にあれば、解決してみたいと思うだろ」

そんなものかな。僕がぼんやりとしているうちに雅俊は駅を目指していそいそと歩き始めた。

僕たちは東北沢駅で降りると、雅俊が山葉さんとの待ち合わせ場所に指定した出入り口を目指した。実はカフェ青葉は下北沢駅よりも東北沢駅が近いくらいなのだが、東北沢駅には各駅停車しか停まらないので、下北沢駅を使うことが多くなる。

エスカレーターを登って地上に出てみると、山葉さんは既に待っていた。いつもの仕事用の白シャツと黒パンツの出で立ちだ。

「ウッチーは今日のアルバイトはお休みではないのか」

「雅俊に話を聞いたから見に来たんですよ」

「そうか、それでは早速、問題の中心点を確認に行こう。雅俊君案内してくれ」

山葉さんに促されて雅俊は先に立って歩き始めた。

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