第67話 リサチンの想い
雅俊が案内したのは、東北沢駅の東口だった。
僕も、雨の日に少しでも歩く距離を減らそうと思って、東北沢駅を使うことがあり、各駅停車に乗って東北沢駅からカフェ青葉に行くことがあるからだ。
しかし、その時に使う出口は西口だ。
僕たちは駅から出て、南北に走る二車線の道路を歩いた。
そして、少し歩いたところで、雅俊は立ち止まった。
「この辺りが円の中心に当たるはずだ」
周囲は何の変哲もない道路と町並みで、中心点でウエポンが待ち受けているような気がしていた僕は拍子抜けした。
「この場所でも交通事故が起きて人が死んでいますね。時期としては事故が増え始める前の3月上旬頃です」
雅俊がスマホを見ながら簡潔に事実を伝える。
「この道は環状7号線が混雑しているときに抜け道に使う人が多いみたいだな。道幅が狭いところもあるから、地元の人や通学に使う人には迷惑な話だ」
山葉さんも淡々とした雰囲気で答えている。僕は昨夜のウエポンの件が気になっていたので彼女に話すことにした。
「山葉さん、実はこの間の中学生の霊が僕の部屋に現れたんです。彼女は気がついたら路上にいて、誰かに命じられたように事故を誘発しているというんですが」
雅俊のスマホを覗き込んでいた山葉さんは眉をひそめた。
そのうえ、眉間にしわを寄せて僕を見ている。
彼女が霊視をしようとするときの癖なのだが、僕は何だか睨まれているみたいで気分がよろしくない。
「またウッチーにくっついていたのか。今も気配があるようならカフェ青葉で祈祷しようか?」
「それが、僕と話している最中に誰かに呼ばれたみたいに姿を消したんです。加害者のことをことさらに恨んでいる様子でもなくて、友達と一緒に海に行く約束を果たせなかったのが残念だと言っていました」
山葉さんは腑に落ちない表情だ。
「その話を聞いた限りでは、彼女が自分の意志で高齢の運転者を捜して事故を起こしているとは思えないな。何か別の者の意志が働いているのだろうか」
山葉さんは考え込んでいた。しかし、雅俊が事故情報のデータから導き出したグラウンドゼロには手がかりは何も無さそうだった。そろそろ立ち去る潮時かなと思っていると、スマホを見ていた雅俊が口を開いた。
「その中学生の名前は聞いたのか」
「自分ではウエポンと名乗っていた。ニックネームだと思うけど」
「この場所で事故死したのは、上本美沙子さん。事故当時15才だ。上本をもじってウエポンと呼ぶことはありそうだな」
雅俊がスマホの画面を示した。画面にはデータベースから呼び出したらしいテキストが被害者の氏名と年齢、そして事故の日付と現場の所在地を冷たく羅列していた。
「彼女は車両と構造物の間にはさまれたと言っていた。運転者がアクセルとブレーキを間違えたらしい」
雅俊はスマホを操作した。
「そのとおりだな。誤操作で歩道に乗り上げた自動車と電信柱に挟まれたと書いてある。降って湧いたような災難だな」
「彼女は電信柱とは言わずに、建物と言っていたような気がするが何故だろう」
「突然、事故に巻き込まれて即死したのなら、建物とか電信柱とか識別している余裕はないはずだ」
雅俊はスマホをしまうとため息をついた。
「以前ならウッチーの幽霊話と交通事故の記録が一致しただけで大騒ぎしていただろうな。今日はもう引き上げようか」
僕たちが東北沢駅の方に引き上げようとしているところを女子高校生が足早に追い抜いていった。
その制服はウエポンが着ていたセーラー服の夏服バージョンに見えた。
夏服は生地が白地で二本ラインが紺色と、配色が合い服と逆転した半袖デザインだがリボンは同じ紺色だ。
そしてヘアスタイルもウエポンと同じようなワンレングスだ。
「ウエポン!?」
僕は思わずつぶやいていた。通りかかっただけの人には聞こえない程度のつぶやきのはずだったが、その子は僕のつぶやきに反応して振り返っていた。
こちらを向いた顔を見るとウエポンとは別人だとすぐにわかった。
整った顔と言っても日本人の顔立ちはバリエーションに富んでいるから、同じタイプの顔を探す方がむしろ難しい
「今、ウエポンって言いましたよね。もしかして上本さんの知り合いの方ですか」
彼女は僕の目を真っ直ぐに見て問いかけてきた。
「知り合いと言えば、知り合いだけど」
「本当ですか。もし事故現場を探しているんでしたら私も今からお花を供えようと思っていたところですから案内します。私は二宮里沙といいます」
「ひょっとして、リサチンと呼ばれていませんか?」
彼女は目を見開いて口に手を当てている。
「ウエポンに聞いていたんですか。いやだあいつどんなことを話したんだろう」
「一緒に海に行く約束をしたと言っていましたけど」
里沙さんは僕の言葉を聞くと一瞬黙り込んだ。その目にはじわっと涙が浮かんできている。
「こっちに来てください。ウエポンはこの先の三叉路のところで事故にあったんです」
彼女は僕たちを促して歩き始めた。
「雅俊、グラウンドゼロの位置が違ってるじゃん」
「すまん。誤差の範囲だと思って許してくれ」
僕と雅俊がこそこそ話している間に、先に立っていた里沙さんは十メートルほど先まで歩き、そこにある電信柱を指した。
「ウエポンはここで死んだんです。私の目の前でした。右腕がちぎれて転がっていて、血が沢山流れていて・・」
里沙さんはその時の情景を思い出して気分が悪くなったのか口を押さえてうずくまった。
事故現場に供えるつもりで持ってきていたらしい小さな花束が足元に落ちる。
「大丈夫か?。私たちのせいで嫌なことを思い出させてすまなかった」
山葉さんが一緒にしゃがみ込んで背中をさすった。里沙さんは顔を上げると誰に言うともなくつぶやいた。
「いいかげんな運転をしてウエポンの未来を奪うなんて。まともな運転が出来ない奴なんて消えて無くなればいい」
僕は彼女の言葉を聞くのと同時に、周囲の空気がピリピリするのを感じた。そして何だか重苦しい気分になってくる。
「里沙さん、故人のことを偲ぶのはいいが、いつまでも故人の死を受け入れなかったり、加害者への恨みの念を持ち続けることは、あなたにとっても上本さんにとってもいいことではないよ」
山葉さんが里沙さんをなだめるように囁きかけた。
「でも、私はウエポンがかわいそうで」
里沙さんは静かに涙を流しつづけている。山葉さんはため息を付くと言った。
「里沙さん、私は陰陽師をしています。私が上本さんが安らかに旅立てるようにお祈りをしてあげるから、あなたはカウンセリングを受けたほうがいいですよ」
「カウンセリング?私が受けるんですか」
山葉さんはうなずくと彼女に告げた。
「親しい友達が目の前で事故死したりすると人の心は大きく傷つきます。それを直すためにカウンセリングを受けることは恥ずかしいことではないのです」
里沙さんが顔を上げた。周囲に立ちこめていたピリピリした雰囲気が少しずつゆるんできた。
「でも、カウンセリングとか何処で受けたらいいかわからないし」
「私が良い臨床心理士さんを紹介します。よかったら里沙さんの連絡先を教えてください。」
山葉さんは真剣そのものだった。彼女の話し方が「ですます調」になっているからそれとわかるのだ。彼女が里沙さんから連絡先を聞き出している時、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
パトカーは次第に近づきやがて僕たちの前の道路を通り過ぎていった。その後から救急車のサイレンも聞こえてくる。
「また交通事故みたいだな」
雅俊がつぶやいた。
僕たちはリサチンこと二宮里沙さんを東北沢駅まで送った。彼女は学校の帰りにウエポンの事故現場に花を供えるのが日課になっていたという。
「臨床心理士の先生には私からも連絡しておきます。近いうちに行って下さいね」
「わかりました。学校の期末テストが終わったら行ってみます」
里沙さんは一度振り返って僕たちに手を振ってから駅の建物に入っていった。
彼女と別れた後で、僕は山葉さんや雅俊と一緒にカフェ青葉に立ち寄ることになった。山葉さんが話があると言うのだ。
僕が店のバックヤードで待たされていると、山葉さんはアイスカフェラテを持って来てくれた。
「これは私のおごりだ」
「ありがとうございます」
僕も彼女も二人きりになると妙に固い雰囲気の会話になってしまう。
僕に関して言えば意識しすぎなのは判っているが、そこはどうにもならないところだ。
かしこまってカフェラテを飲んでいる僕に山葉さんが言った。
「ウエポンの件だが、彼女はリサチンと海に行けなかったのが心残りだと言っていたのだな」
「ええ確かにそう言っていました」
「私は、ウエポンに事故を起こさせているのは里沙さんだと思う。彼女にも納得して貰うには一緒に湘南あたりの海に連れて行って、ウエポンの望みを叶えた上で転生させたことを知らせようとおもう。今度ウエポンがウッチーの所に姿を現したら、そのことを知らせて連れてきてくれないか」
「どうして彼女が原因なんですか」
「里沙さんの友達への思いが、高齢の運転者のいる現場にウエポンを引き寄せているのだ。本人はそこまで意識していないはずだが、彼女の潜在意識がこの現象を引き起こしているのだと思う」
「でもウエポンは関東周辺じゃなくて珊瑚礁で熱帯魚が泳いでいるような綺麗な海に行きたいと言っていましたよ」
山葉さんは腕組みして考えていたが、やがて言った。
「それなら、ウッチーと去年泳いだ私の故郷の海に連れて行こうか。あそこなら珊瑚礁と熱帯魚なら揃っている。そのうえで、ウエポンを連れて行くには依り憑いているウッチーにも来て貰った方がいい。一緒に来てくれるか?」
幽霊と一緒に旅をするのは気が乗らなかったが、僕の脳裏に去年一緒に泳いだときの山葉さんの水着姿がちらついた。
「行きます」
即答した僕に彼女が微笑んだ。だが、僕には疑問があった
「でも、そこまでする必要があるんですか。最初山葉さんは連れてきたウエポンをそのまま神上がりさせようとしていましたよね」
「今回の件で、本人が望まないのに転生させようとするなど、おこがましいことだと気がついたのだ。本人が納得してからでないと、いざなぎ流で召喚する神々すら手を貸してくれないことを思い知らされた。所詮、私は神ではないからね」
山葉さんの言葉は自嘲気味に聞こえたが、彼女は言葉とは裏腹にやりがいを感じているようだった。
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