第26話 霊の願い

亀子さんの家で僕たちはいざなぎ流の祭祀の準備を始めた。

「ウッチーは「みてぐら」を奥の座敷にセットしてくれ」

山葉さんは式神や式王子をセットした大事な祭具を僕に託す。

僕は「みてぐら」を抱えて奥の座敷に向かった。

襖を開けて座敷にはいると、そこには僕に背を向ける形で十人以上の人が座っていた。

僕は亀子さんが浄霊の儀式を執り行うからと近所の人を呼んだのだろうかと考えながら真ん中に開けてあるスペースを通って座敷の奥まで進んだ。

「あなたは別役さんの所に東京からおいでているひとかね」

前の方にいた年配の男性が穏やかな雰囲気で僕に声をかける。礼服ではないがスーツを着こなし、葬儀や祭事に合わせた身支度だ。

「ええそうですけど」

僕は「みてぐら」を設置しながら男性に答えた。

「こんな片田舎までよう来てくださったね。他所から人が来ることは滅多にないき、わしらも嬉しいよ」

「別役さん方も娘さん一人やき、跡継ぎになってくれればえいのにね」

隣にいた女性も話に加わる。

「いや、それはどうかなあ」

僕は照れながら周囲を見回した。ほとんどの人が正装しており、男性は帽子を膝に乗せている人も多い。皆が穏やかな笑顔を浮かべて、和やかな雰囲気だ。

しかし、僕はあることに気がついた。

御子山という集落は家々が点在しており、一番はずれにある亀子さんの家は近所といっても、直近の家から二百メートル以上離れている。

この辺の人なら車を使う人もいるはずだった。しかしだが、家の前には美和さんの車と栗田准教授の車しかなかったはずだ。

僕は自分の想定が真実であることを認めたくなくて、車が無いのは送ってきてもらったか、歩いてきた可能性もあると自分自身を納得させようとした。

しかし僕は、もう一つの事実に気付いていた。

亀子さんの家に入った時に玄関には僕と山葉さん、そして栗田准教授の靴しか並んでいなかった記憶がある。

この人達は、靴を履かずに来たというのだろうか?それはとりもなおさずこの人達がこの間から見え隠れしていた霊であることを示していると思えた。

僕は心臓がドキドキし始めるのを感じながら、信じがたい思いで人々の顔を見渡した。

こんなにクリアに見えているから霊ではないと、僕は自分に言い聞かせようとした。

しかし、ぼくは後ろの方に、午前中にテーブルの下に現れた俊美さんがいることに気が付いた。

やはりこの人たちは霊なのだ。

僕が真相に到達した時、俊美さんは僕に向かって小さく手を振った。

僕の周囲を取り巻く霊達も笑顔のままなのだが、昨日山の中で立ち込める霧の中で襲撃されたことを思いだすと、自分が無事に済むとは思えない。

僕が身を固くした時、俊美さんが再び口を開いた。

「私たちはね、自分が死んで葬儀をしてもらったことも知っているの。ただ、これから逝こうとしている時に、亀子さんが自分は一人暮らしで寂しいから家に来て話し相手になってくれないかというから、ここに来ているの」

僕はあまりのことに、膝を付いてへたり込んだ。

「そんなことあり得ないでしょう。幽霊が自分の意思で友達の家に集まるなんて聞いたこともありませんよ」

ぼくが、抗議するように利美さんに問いかけても彼女は苦笑するだけだ。

「私たち皆が亀子さんに感謝しているのよ。自分たちの時間が終わった後で彼女のおかげでこうして集まって懐かしい人たちと語らう時間ができたから。皆最後の数年は動くのも難しくなったり、寝たきりだったりしてつらかったのよ」

そこに、山葉さんと栗田准教授が入ってきた。

「大丈夫かウッチー。今助けてやる」

山葉さんも周囲の状況に気付くと、蒼白な顔で御幣を取り出した。僕が霊達にとらわれていると思ったのだ。

その時、俊美さんが進み出ると、山葉さんが御幣を持つ手を押さえた。

「亀子さんの娘さんを呼んでくれてありがとう。これで私たちも安心して逝くことができます」

山葉さんは意外な成り行きに言葉を失っている。

「一昨日に僕達を取り囲んだのは、祈祷を妨げるために襲ったのではないのですか」

敏美さんはゆっくりと首を振った。

「亀子さんの娘さんを探してほしいと頼みたかったのよ。話をする前にあなた達は逃げてしまったけど、自分で考えて亀子さんの娘さんやお孫さんを連れてきてくれたからうれしかったわ」

山葉さんは驚きから立ち直ると、敏美さんに尋ねる。

「それではここに集まったのは私が祈祷するのを妨害するためではないのか?」

「ちがうわ。私たちはあなたの祈祷を受けて送ってもらうために集まっているの」

山葉さんは信じられないと言うように集まった霊達を見回したが、やがて笑顔を浮かべて集まっている霊達に宣言した。

「わかりました。心を込めて送らせていただきます」

座敷に座った霊達はそれぞれが笑顔を浮かべて山葉さんにうなずいて見せる。

僕と山葉さんは、霊達が自発的に集まってくれたことに感動して、テキパキと祭祀の準備を始めたが、霊感がないために状況が飲み込めない栗田准教授は怪訝な表情で僕たちを眺めていた。

準備が整ったところで、僕は栗田准教授に経緯を説明した。

「そんなことが起きていたなんて、全く感知できなかった」

栗田准教授は信じられないと言う表情で周囲を見回すが、集まっている霊達の姿は依然として見えていないようだ。

僕は亀子さんや美和さんたちを呼び、三人が見守る前で山葉さんは祈祷を始めた。

赤い袴に白衣を合わせた巫女姿の山葉さんがいざなぎ流の祭文を詠唱しながらゆっくりとした動きで舞う。

亀子さんの家は山の斜面のぽつんと立つ一軒家だ。周囲の森から蝉時雨が響く中、山葉さんは祭文を唱えながら舞い続けた。

祈祷が終わり、山葉さんが祭文の詠唱を止めたとき、僕は周囲の空気が変化したのを感じた。

街の雑踏の中にいるようなざわついた気配が消えて、代わりに、深い森が湛える心が静まるような気が満ちていた。

先ほど言葉を交わした霊達は山葉さんの祈祷によって不可知の領域へと送り出されたのだ。

僕は亀子さんの様子をうかがってみた。

亀子さんは顔を伏せて静かに涙を流していた。

そして、美和さんと百合子さんは亀子さんを気遣うように見つめていた。


翌日、僕たちは栗田准教授と共に高知県の西の方まで出かけた。バンガローが予約できたので、一泊してシュノーケリングをしようというのだ。

僕たちはバンガローがある丘の上からテーブル珊瑚が見られるという入り江まで歩いた。入り江の両側は切り立った崖で緑の木々に覆われている

入り江から外に出れば太平洋だ。真っ青な海と白い雲のコントラストが目にしみるようだった。

僕が準備にもたついている間に間に彼女は水着姿になり、シュノーケルをつけるとフィンを抱えて海に入っていく。

「何をしているんだ。早く行こう」

振り返って呼ぶ彼女の声に僕も慌てて海に入り、栗田准教授も続く。

装備をつけた僕は先行した山葉さんを追いかけた。

入り江の中を沖に向けて百メートルほど泳げば、テーブル珊瑚が見られるスポットがあると百合子さんが教えてくれたのだ。

先行した山葉さんが、海面に浮かんで波間に漂っているところに辿り着くと海底は一面にテーブル珊瑚に覆われていた。

テーブル珊瑚の周辺には、子供の頃アニメで見たクマノミやナンヨウハギそしてツノダシやチョウチョウウオが泳いでいる。まるで水族館の水槽の中のようだが違うのは自分も一緒に泳いでいる点だ。

シュノーケルを使って海中の散策を楽しんでいた僕は、山葉さんが海面に浮き上がっているのに気がついた。

僕も彼女のまねをして仰向けに浮いてみると。頭上には都会では見られない深い青が広がっていた。

「ウッチーありがとう」

不意に彼女の声が聞こえた。僕は彼女の方に顔を向ける。

「君のおかげで陰陽師を続けることが出来そうだ。」

彼女はそれだけ言うと、照れたような笑顔を僕に見せると、再びシュノーケルを咥えて海の中へと潜っていった。

僕は彼女が、浄霊に不可欠な知識を得て自信を取り戻したことを知った。

水中眼鏡越しに海中を覗くと透き通った水の中を山葉さんが泳ぐ姿が見える。

僕は彼女を追って、海底を目指して水を蹴った。

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