第25話 家に潜む霊
翌日、僕と山葉さんは再び山の上にある亀子さんのお家を訪ねた。山葉さんのお父さんの孟雄さんの仕事がある日だったので、栗田准教授も同行している。
栗田准教授のミニバンが亀子さんの家まであと十メートルほどの場所に差し掛かった所で、道の真ん中でゴールデンレトリーバーが昼寝をしていた。
栗田准教授が軽くクラクションを鳴らしても、片目を開けてこちらを見てから再び寝てしまうふてぶてしさだ。
昨日に続いて霊達の妨害作戦に亀子さんの飼い犬が動員されているのかもしれない。
「どかしてみます」
僕がドアを開けて車を降りようとしたとき、谷の方から轟音が響いてきた。僕らが振り向くと、僕たちの真横の位置をジェット戦闘機が飛行するのが見える。
「今のは自衛隊か?」
栗田准教授がつぶやいた。
「横須賀か岩国から低空飛行訓練に来た米海軍のFA18ですね」
僕は機影を識別して栗田准教授に答える。FA18は山の上とはいえ住宅があるのと同じ高度の谷間を主翼下のパイロンが見えるくらいロールして急旋回していく。
ジェット機の騒音のおかげで犬はうるさそうに立ち上がると家の方に登って行った。
亀子さんの家の庭に車を止めて外に出た栗田准教授は景色を見て足を止めた。
「すごいな、こんな景色を見て暮らすのってどんな気分だろう」
亀子さんの家からは草薙氏から海に至る谷の下流の方面も見渡せた。ミニチュアのような家並みも見えて見晴らしは最高だった。
「住人にとってはいつもの景色ですよ。でも都会に行くとこんな風景を無性に懐かしく感じることがありますね」
山葉さんが微笑を浮かべて話す。
家の中からは亀子さんが顔を出して僕たちを招き入れてくれた。
家の中のリビングのテーブルに座ると山葉さんは亀子さんに尋ねる。
「亀子さん。あなたはお祓いを受けたくない理由があるんですね」
亀子さんは、しばらく考えていたが、あきらめたように話し始めた。
「あの人達はね、ここ二年ほどの間に、この辺りでみてた人が集まっちゅうが。みてたという意味はわかるかね(あの人たちはここ二年ほどの間にこの近辺で亡くなった人が集まっているのです。「みてた」の意味はわかりますか)」
「亡くなったという意味ですよね」
山葉さんが答えると、亀子さんがうなずいた。
「あんたはあの人達が見えゆうがかね(あなたにはあの人たちが見えるのですか)」
「ええ見えていますよ。私が見知った人も何人かいます」
山葉さんは穏やかに答えると亀子さんに重ねて聞いた。
「どうしてここに集まって来たのか教えてくれますか」
「もうわかっちゅうろう。あの人達は私が呼び集めてきたが(もうわかっているのでしょう?あの人達は私が呼び集めたのです)」
ぼくは耳を疑った。自分で霊を集めてくるなどにわかには信じがたい話だ。
「家のお父さんがみててから私は話す相手がおらんなった。近所の出役に行くときや農作業を手伝いに行くとき以外は1日中誰ともしゃべらない日が多かったきね(夫が亡くなってから私は会話をする話がいなくなりました。集落の共同作業や近所の農作業を手伝いに行くとき以外は一日中誰とお会話をしない日が多かったです)」
亀子さんはお茶を一口飲んだ。家の裏で栽培して自分が手作りしたお茶だ。
「そんなときに、同級生の俊美ちゃんがみてた。葬儀に参列したら、祭壇の脇に本人が立っちゅうのが見えてね。私は話し相手が欲しかっったき、家に遊びにきいやって、誘うてしもうた」
「誘ったら家まで付いてきたんですか。」
「そう、何処へ行けばいいかわからんと言いよったし、あの人は亡くなる前はしばらく寝たきりやったき、私と話が出来るのが嬉しいというてくれた」
栗田准教授は腕を組んで黙って聞いている。
「他の人も同じようにして連れてきてしまったのですか」
山葉さんは自分のこめかみの辺りを揉みながら質問した。
「そう。皆久しぶりに逢えたと言ってよろこんでね。私が呼んだ以上、帰ってくれとも言いにくいろ」
山葉さんは亀子さんを正面から見て、おもむろに言った。
「亀子さんそれは行き場のない霊達が霊感があるあなたの所に寄ってきただけのこと。責任を感じることはありません。この世の者でなくなった人たちは行くべき所に行かないと決していいことはないのです。わかってくれますね」
亀子さんはうなずいた。
「でも、私はまた話し相手がおらんなるね」
「亀子さんを説得してもらおうと思って美和さんを呼んでいます。ここに来てもらっていいですか」
山葉さんはスマホを取り出している。
「美和が来ちゅうがかね(美和が来ているのですか)」
亀子さんは驚いた様子で山葉さんに問いかけた。
「ええ、娘の百合子さんと一緒です。近くまで来ているはずなので連絡したらすぐ来られます」
「百合子?一度家に帰ってきてくれた時の女の子やね。どうしてあなたは私の家族の居所を知っていたのかね」
亀子さんは不思議そうに山葉さんに尋ねるが、山葉さんはこともなげに答えた。
「百合子さんが私の高校生の時の同級生なのです」
亀子さんは、目を閉じて考えてから答えた。
「わかった。考えてみるから、美和を呼んでください」
山葉さんはスマホを取り出して百合子さんに連絡を始めた。
僕はそれまで緊張のために気がついていなかったかゆみを感じてむこうずねのあたりを見た。そこには一匹の蚊が止まっている。
僕は屈み込んでピシャッと蚊を叩いたが、その時にテーブルの下に潜んでいた何者かと目が合った。
テーブルの下に潜んでいたのは、この間押し入れに隠れていたお年寄りのうちの一人だった。
亀子さんの家の窓から見える景色は、強い日差しを受けて、木々の緑や空の青さが鮮やかだが、テーブルの下の一角はモノクロ写真のように色あせた雰囲気だ。
僕は、蚊を叩いた姿勢で固まったまま、どうしようかと逡巡した。
心霊系が苦手な僕が、事もあろうに幽霊と至近距離で目を合わせているのだ。
「亀子さんは気を使う人やきねえ(亀子さんは周囲に気配りする人ですからね)」
僕の目の前にいる幽霊はゆっくりと話し始めた。
「自分で声をかけて連れてきた人を追い出すようなまねは絶対にせんと思うがやき」
「そうみたいですね」
まったりとした口調で話す彼女に、僕は思わず相槌を打つ。
「私達の一番の望みはね、自分たちの集落が寂れないように若い人に戻ってきてもらうことやき。亀子さんに、お祓いもして娘さんに戻ってきてもらいと言うちゃってや」
僕は彼女の言葉使いに聞き覚えがあった。以前、逗子のホスピスで祈祷の依頼者の姉が夢枕に立ち、僕が必死の思いで伝えたメッセージと最後の言い回しが似ている。
「私の名前は俊美やきね。亀子さんにちゃんと伝えてよ」
自分の名前を告げた高齢の女性の幽霊はふっと姿を消した。
「ウッチー誰としゃべっているんだ」
頭上のテーブル越しに山葉さんの声が聞こえた。僕はしゃがんだ姿勢からゆっくりと座り直した。
「ここに、俊美さんと名乗る年配の女性がいたのです。もう姿を消してしまいましたけど、亀子さんに伝えてほしいと言うメッセージがあります」
「まあ、俊美ちゃんがおったがかね。昨日から、ちっとも姿を見せてくれんかったに。」
亀子さんが身を乗り出して言ってから慌てて口をふさいだ。彼女が、亡くなった自分と同年代の人々の幽霊を話し相手にしていたというのは本当のようだ。
「内村君、何故すぐに言ってくれないんだ。僕は見てみたかったのに」
不満げな栗田准教授が口を挟む。
「無理ですよ、テーブルの下でいきなり遭遇したので、気が動転して何も出来ませんでした」
僕がいい訳のように栗田准教授に説明していると、山葉さんが尋ねた。
「敏美さんの幽霊と何を話していたのだ?」
僕はテーブルの下で幽霊と交わした会話を思い出しながら答えた
「亀子さんは自分で呼んだ人を追い出したりは出来ない人だから、お祓いを受けて娘さんに戻ってきてもらうように伝えてくれと話していました」
山葉さんが何か言おうとした時、家の外から自動車のエンジン音が聞こえてきた、家につながる坂道を登ってきているようだ。山葉さんは亀子さんに告げた。
「美和さん達が来たみたいです」
「タイムラグが少ないですね。きっと御子山集落の中まで来て待っていたのですね」
僕は独り言のようにつぶやいた。国道から登って来たら20分以上かかるのだが、彼女たちは御子山集落内まで来て待機していたのに違いない。
亀子さんは席を立つと黙って玄関の方に歩き始めた。僕と山葉さんもそれに続く。
玄関の前まで行くと入り口の磨りガラス越しに歩いてきた二人のシルエットが見えた。
先に立っていた人影は黙って戸を開けると中まで入る。それは美和さんだった。その後ろに百合子さんも続く。
「ただいま。この家は昔と全然変わってないわね」
美和さんが飾り気の無い口調で話し、亀子さんは玄関口まで歩いて行くと、ゆっくりと話し始めた。
『美和すまなかったね。あんたの人生の大事なときに祝ってあげるどころか家から追い出すようなマネをししまった。本当はお父さんも美和と仲直りしたかったのだと思うけれど、あの人は、かたくななところがあってよく戻って来たと素直に言えなかったの』
「もう昔の話しでしょ。それより、お父さんが亡くなったときに何で連絡を取ってくれなかったのよ」
美和さんは、南国の人らしくあっさりとした人柄のようで、過去に拘泥しない雰囲気で亀子さんに問う。
「わたしはあんたに合わせる顔がないような気がしてね」
「そんな性格だから、お父さんが図に乗ってたのよ。ほら百合子、おばあちゃんよ。ちゃんとご挨拶しなさい」
「こんにちは、おばあちゃん」
亀子さんは二人を招き入れ、美和さんと百合子さんは亀子さんの家のお茶の間に座ったが、美和さんは周囲を見回して妙な顔をした。
「奥の方から人の声がしたけど、他にも誰かいるの」
僕もその気配は感じていた。居間のテーブルの周囲にいた一同は顔を見合わせた。
「ここにいる以外は誰もいないはずだ」
山葉さんがぼそっと答えた。
美和さんは気味悪そうな顔をして亀子さんに告げる。
「お母さん。山葉さんが言うようにお祓いを受けてくれる?近所の人が気味悪がるようではこれから先大変なことになるわ」
亀子さんはため息をついて美和さんに答えた。
「俊美さんにもそう言われたき、そこの太夫さんにお願いする事にしようかね」
山葉さんはうなずいたが、その横で美和さんが怪訝な顔をした。
「俊美さんて誰の事なの?」
「亀子さんのお友達のことですよ。学校の同級生だそうです。」
山葉さんはしれっとした表情で答えた。
亀子さんが祈祷を受ける決心をしたのでその日の午後からお祓いをすることになった。
僕と山葉さんは一旦山葉さんの家まで戻って準備を始めた。
隣の集落とはいえ、僕たちは亀子さんの家から標高差で二百メートルほど下にある国道まで降りてから、再び山葉さんの家まで山道を登らなければならない。
新たな儀式に必要な式神等を山葉さんが作る様子を、栗田准教授は喜々として写真に納める。
儀式に必要な祭具を揃えた後、巫女の衣装に着替えた山葉さんと僕は栗田准教授と共に再び亀子さんのお宅に向かった。
軽四輪トラックでは、栗田准教授が乗れないため、栗田准教授が自分のミニバンを運転する。
亀子さんのお宅に着くと、亀子さんと美和さん、そして百合子さんの三人は庭の木陰に折りたたみテーブルを持ち出して親、子、孫の三世代でお茶をしているところだった。
僕たちも急ぐ理由はなく、庭のテーブルで開かれた尾お茶会に加わり、百合子さんが勧めてくれる紅茶を頂いた。
昨日出かけた高知市の市街地は湿度が高くてまとわりつくような暑さだったが、山の上では涼しい風が吹いて過ごしやすい。
「ここは良い所ね。私が休みの日には別荘代わりに泊まりに来ようかしら」
百合子さんがつぶやくのを聞いて、亀子さんが相好を崩した。
「いつでも泊まりに来いや。ここはあなたのふるさとやきね」
僕たちがいない間に、亀子さんと美和さん親子はすっかり仲良くなったようだ。
「さあ、太夫さんが来てくれたからそろそろ準備をしましょう」
美和さんが腰を上げたので、僕たちは儀式を始めることになった。僕は大勢の霊達が、身を守るために戦いを挑んでくるのではないかと気が気ではない。
「山葉さん、昨日のように攻撃をしかけられたらどうするのですか」
僕が小声で聞くと、山葉さんは引き締まった表情で答えた。
「なすべきことはなさなければならない。あの亡霊たちが攻撃してくるならば私はそれを受けて立つだけだ」
山葉さんの決意を秘めた表情を見ると、ぼくは対決を避けて妥協できる案は無いかと考えていた自分が恥ずかしくなった。
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