第34話 へぇ、そーなん

 剣を拾い上げた桃井薫は、iPhoneから流れる流行の曲をたっぷり楽しんだあと半分ほどの長さになった煙草を灰皿に放り投げ、通話ボタンを押した。

「はいはーい。もしもしみんなのアイドル桃井おにーさんですよー」

『あんた出るのが遅いんだけど!』

 鼓膜が破れる程度の声量を出すリコリスに、桃井はiPhoneから腕一本分の距離を取る。昔の相棒は大分興奮しているらしい。優秀な人物であるが、少しばかり、彼女は感情の起伏が激しすぎる――そのようなことを思いながら、恐る恐る再度耳を近づける。

「まーまー。そう興奮しなさんなってー」

『興奮せずにいられますかって! あんたは出ないし徹は携帯置いてってるし! テーブルの上に置きっ放しじゃ、一体なんのために持たしてるのかわかんないじゃない!!』

 彼女の言葉に、桃井は一人の少年の姿を思い浮かべる。最近リコリスが目にかけている小奇麗な顔をした少年。少女のような顔をしている割に妙に度胸が据わっていて、マグナムの威力を見せても冷や汗一つも掻かなかった。子猫のようなパワーだったが、センスはそれほど悪くない。背中を取ったときの手首の細さと肉の薄さを思い出しつつ会話を続ける。

「それで一体どないしたん」

『あんた今東都美術館にいるんでしょ!? 徹――徹そこで見つけなかった!?』

「トールちゃんだったらさっき会ったで」

『今は!? 一緒にいないの!?』

「知らんわ。トールちゃんどっか行ったわ」

 そこで聞こえる、何かを蹴りつけるような音。普段、自分の仕事をガサツだ野蛮だ乱暴だとケチをつけるくせに、実際のところ彼女のやり方もかなり乱暴な面がある。

「そんでそのトールちゃんがどないしたんねん」

『筒井雄太が見つかったわ!」

「誰やねんそれ知らんわ」

『カンノの末端よ――以前徹に近づいて撃退されたやつ――』

「へぇ。それでその筒井がどうしたんねん。コンビにで万引きでもしてたんかいな」

『そんなんだったらこんな焦ったりしないわよ! 筒井がね――口を割ったのよ――黒田幸彦の!」

「へぇ、そーなん」

 桃井は先日の出来事を思いだす。黒田幸彦。自分が殺すはずだった、黒田健一郎の一人息子。自分の標的である黒田健一郎を奪われたせいで、その報酬は半分に減ってしまった。

『やっぱりカンノは黒田幸彦に一役買ってたわ――ここ二ヶ月ほどで数回、カンノに出入りしている黒田幸彦を目撃したって』

「だからなんやねん」

『黒田幸彦――あいつ――迂闊だったわ!』

「はぁ?」

『あいつの狙いは――』

 今日の目的は、妻の殺害。数年に渡り他の男と関係を結んできた妻のことが汚らわしいのでこの世から消してほしいと、旦那直々に依頼を受けた。本来なら、さくっと仕事を終わらせてついでに美術館でも見学して、遊び気分で帰ろうと思った。今回の目標である妻がそれなりの美貌も持ち主で、そのまま殺すのが惜しかったので声をかけたらあっさりと着いてきた。ああ、これはいい女だな、それにしても尻が軽いなこれだったら黒田健太郎の他にも数人間男がいるんじゃないのかどと思いつつ、最後の情事を楽しんだ。そのまま殺してもよかったのだけれど、あのボディに穴を空けるのが惜しくなり生かしておいたら黒田幸彦にあっさり先を越されてしまった。わざわざそんなことしなくても、数時間あれば自分が殺してあげたのに。まぁ、自分の家庭をぶっ壊した原因は自分で殺してやりたいという、そういう欲求の現れだったのだろうが。

『徹――あいつ根っからのトラブル体質なのよ――本人にその気がなくとも、勝手に巻き込まれていくの――トラブルが向こうからやってくるのよ!』

 焦りに満ちた彼女の言葉に、思わず桃井は笑ってしまう。果たして彼女はこんなにも過保護な人間だっただろうか。彼の知っているリコリス・ベーヴェルシュタムという人間はあまり周囲に興味を持たない、どちらかというと不干渉な人間だったような気がするが。これも時の流れか年齢か、もしくは『安西徹』という名のつけられたあの少年のなす業なのか。

 くつくつくつと喉の奥を鳴らしながら、指先でおもちゃの剣を玩ぶ。

「それでなんやねん。俺にトールちゃん探して来いっていうんかいな」

『あんたどうせ暇なんでしょ? 今だってぷらぷらヌード絵画とか見てるんでしょ?』

「人聞きの悪いこと言わんとってー。今お客さんの誘導してんさかいー」

『まともになんかやらないくせに!』

「んまぁー、リコリスが今度一晩付きおおてくれる言うなら探してきてやってもええけど」

『はぁ!? あんた一体なに言って――』

「別に俺は行かなくてもええんよ? トールちゃんの腕が一本くらい無くなったって俺は痛くもかゆくもあらへん」

 思わず黙り込むリコリスに、桃井はにやりと口の端を歪めた。全くリコリスは、あの少年のどこをそんなにも気に入ってしまったのだろうか。昔の彼女だったのならば、下の人間にこんなにも気を使うことはなかっただろうに。いや、もしかしたらあったのかもしれないが、少なくとも桃井薫という人間にはこんなにも気にかけてくれたことはなかっただろうに。

 そんなことを考えつつ、口を開く。

「んまぁ、俺もトールちゃんのことは結構気にいっとるし。あのかわいー顔に傷がつくのは正直ちょっと惜しい気もするわ。今回は特別に――」

『……焼肉……』

「え?」

『今度時間が合うときに、焼肉奢るわ。カラオケだって付き合ったげる。だからお願い――徹を探してきて』

 リコリスの出した思わぬ答える、桃井は思わず拍子抜けをしてしまう。それから爆笑――まさかそういうつもりで言ったわけではなかったのに。涙が出るほどゲラゲラゲラと笑い転げる。あの安西という少年は本当に大事にされている。まさしく猫かわいがり、いや、愛猫が迷子になったとしてもここまで心配しないだろう。

(一体どこまで愛されとんねん)

『ちょっと薫……?』

 電波の向こうで顔の見えない元相棒が戸惑っているのがわかる。未だに震え続ける腹筋を押さえながら

「あー、悪い悪い。そーそー。じゃあ、焼肉奢ったってな。一番高いカルビつけといてなー」

『ついでに生もジョッキで頼んでおいて上げる』

「さっすがリコリスー。ようわかってるわ。俺としては、夜景の見える高級ホテルとかでもええんやけどねー」

『……それはあんたの仕事次第ね』

「はいはいー。わーってますよー」

『じゃあ切るから。徹のことよろしくね』

「はいはーい。任せておいてね飼い主さーん」

 それを最後に、ブッ、という音で通話が切れる。ひどく清清しい気分だ――嫉妬心がないわけでもなかったが、それ以上に元相棒の意外性が見れたこと、新しい一面を知ったことが好奇心を沸き立たせた。

(なんやねんあいつ……)

 桃井は面白いものは好きだ。面白いもの、意外性のあるものが大好きだった。

「静岡から東京までって結構時間かかんねんで? そのお駄賃がおねーちゃんの体ひとついうんも、結構割が合わんねん」

 それがすでに誰かのお下がりであるというのも、自分のターゲットがどこぞの子供に奪われたというのも大人としてのプライドが許さない。

「折角ここまできたんやさかいなぁ。たっぷり楽しんでかんといかんわ」

 そこですうっ――とおもちゃの剣の刃を指でなぞった。血は出ない。当たり前だ。これはおもちゃなのだから。

 口の端が愉快に歪むことを感じながら、おもちゃの剣を放り投げた。役目のなくなったヒーローの武器はこの世に必要がなかったのだ。

 

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