第30話 『悲しくて泣いちゃうよ?』

 どういうわけか仲がよくなったらしい文乃と尾坂のことなど誰も検索しようとせず、バスはそのまま走り続ける。野々村曰く「名作」らしい魔女が宅急便をする映画を見て途中休憩を挟み、二時間ほど走り続けて、三半規管が弱いらしい野々村がエチケット袋を求めてさまよい始める頃、漸くのこと、バスは東京都に突入をする。

 やたらとぴかぴかと主張する看板や妙に背の高いビルたちが敷き詰められるように立ち並ぶ街並みから区切られるようにして、東都美術館は存在をした。

 バスから降りて学年主任による話が終わると同時に、胃袋が限界寸前だった野々村がトイレに向かって走り出す。野々村の荷物を持ったままその後を追いかけて行った植草の後ろ姿を眺めながら、僕は丁度後ろにあった白い花壇に腰を下した。ずっと座っているだけなのにひどく疲れた。植草のように車酔いをしたわけではないけれど、どうしてこうも疲れたのだろう。リコリスの運転する車に乗るときは疲労も何も感じないのに。乗り物に乗るということは、こんなにも体力のいることなのだろうか。

 緩い風に頬を撫でられるようにして、ぐるりと辺りを見回してみる。

 バスの窓から見えた都内は建物が多い分畑や木々の緑がとても少なく感じたのだけれど、美術館敷地内には花や木々などの植物が計算された場所に意図的に設置されていた。そして彫刻。やたらと黒光りをする裸の女やら犬を連れた着物姿の男やら気難しい顔をした男やらが至る所に存在している。かと思えばまた別のスペースでは水玉模様のワンピース姿の少女のバルーンがふわわと浮遊しているし、その反対側のスペースでは赤や黄色の戦闘スーツに身を包んだなんとかっていう正義の味方が5人でポーズを取っている。「美術館などお堅い大人が行くところで、子供なんてほとんどいない」とリコリスは言っていたけれど、小さな子供も多い気がする。これも正義の味方の成せる業なのだろうか。

 鞄の中からペットボトルを取りだし口に含む。なんてことはないただの水だ。適当に喉を潤し蓋を締めようとするのだけれど、小さな蓋はうっかり僕の掌から零れ落ち、ころころころと白い地面を転がっていく。

 あ、と思って先を行く蓋を追いかける。転がり続ける白い蓋は、これまたテカテカとよく光る磨かれた黒い靴の先でぶつかり、停止をする。

 やたらと転がったな、と僕は思う。10メートルほどか。くすくすという笑い声さえ聞こえてくる。つい先ほど前までは綺麗だった蓋には泥も砂もついている。ペットボトルにはまだ飲みかけの水が半分以上残ってるし、洗ってこないと駄目だなぁ。水道はどこにあるのだろうなどと思いつつ、屈んだ状態のまま蓋の汚れを払っていると、上から声が降ってきた。

「なー、トールちゃん。こういうとき、ごめんの一言もあってもいいんとちゃうんー?」

 軽快な男の声に嫌な予感を覚えた僕は、汚れを払う手を硬直させる。

「こういうときはな、『すいまへん』って一声かけるのがマナーなんやで? 心に思ってなくても一声謝罪の言葉をかけるのがマナーっていうもんなのよ。わかる? それにトールちゃん、さっきまであそこの花壇に座ってたけど、あれホンマはよくないことなのよ? 用心の表示とかなかったかもしれへんけど、トールちゃんが花壇に座り込むことでうっかりお花潰しちゃつたりしたらお花可哀そうでっしゃろが。ええか? トールちゃん。掌を太陽にっていう有名な歌があってだな。蛙だってアメンボだって皆生きてるっつーてな? お花は蛙でもアメンボでもないけど、ちゃんと生きてるんやでー」

 怪しい関西弁で僕のことを「トールちゃん」などという男は、硬直し続ける僕の手の平から汚れた蓋を拾い上げると、手中でぽんぽんと弄び始めた。

 背中を丸めて屈んだ状態の僕は、てかてかと光る爪先からズボン、上着というようにして相手の背格好を辿るように徐々に視線を上げていく。胸元に光る銀のチェーンが妙に眩しい。そしてやたら背が高い。背が高い関西弁の怪しい男なんて、知り合いで一人しかいない。

「トールちゃんなんで返事してくれへんの? まさか忘れたとか言わんといてね? 俺悲しくて泣いちゃうよ?」

 全く悲しくないような口調でそういって、にぃ、という笑みを浮かべる男。白い歯が太陽を反射してきらりと光る。

「リコリさんの元同僚の桃井おにーさんでーす」

 やはりお前か。

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