第29話 『よくわかんねーよな』

 それからの間、僕にとっては少しばかり生ぬるい木漏れ日のような日々が訪れる。

 黒田幸彦が遠くから射殺を狙ってくることもなく、カンノ株式会社の下っ端がナイフを持って襲い掛かってくることもなく、太陽が昇り沈んでいく。

 事件と言えば、せいぜい中間テストがやってきて僕が英語で共に赤点を取ったということと、予想外な頭の良さを見せた植草が学年で一位に君臨したいうことくらい。そしてそのせいで野々村と植草に散々馬鹿にされリコリスにひどく怒られて、リコリスの監視のもと一晩徹夜で勉強をして追試で100点を取り追試の追試を免れる。

 それ以外は、普通に学校に行き陽だまりのような授業を受けて、授業が終わるとEWCに行きリコリスに扱かれて、一日が終わる。

 リコリスに扱かれている時間以外は大体暇だったのだけれど、僕が授業を受けながら欠伸をしたりうたた寝している間にも、リコリスはひどく忙しく動いていた。

「あのねー、わたしはあんたみたいに暇じゃないのよ。わたしの仕事って、あんたの世話してるだけじゃないんだから」

 普段容姿に気を使っているリコリスのスーツが三日目を過ぎ額にできたニキビが主張した辺りで、学校を休み続けていた穂積文乃が漸くの事顔を出す。顔を出したのは文乃だけで、黒田の席は相変わらず空白のままだし佐野の席には花が置かれている。水色の花瓶に白い花。一体誰が毎日水を取り替えているのだろう、何日も立っているのに、名前も知らないこの花は、未だ枯れることがない。

 そのうち、完全に忙しくなったリコリスが一向に僕のアパートに寄りつかなくなり僕の面倒を見る人がいなくなり、暫しの休暇を言い渡される。

「わたし暫く忙しいからあんたの面倒見れないけど、ちゃんを周りには気をつけるのよ! 銃は忘れずに持っておくこと!」

 わかってるって。

 その空いた時間でどういうわけか野々村と植草の部屋に遊びに行き、連れられてお菓子やら何やらを買いに町に出て、社会科見学の日が訪れる。

 顔を合わせないだけではなく電話さえも繋がることのなかったリコリスが三日ぶりに僕のアパートに現れて、社会科見学に置けるお小遣いを押し付けて再び去って行った次の日の朝八時過ぎ。

 彰陽学園の広いグランドに止められたバスの中に、僕はいた。

 用意された大型バスの前から二台目の、窮屈に並んだ座席の一番後ろの右の窓際。真ん中を陣取っているのは野々村だ。左の窓際に位置する植草にちょっかいを出しながら、大声で笑ったり歌ったりしている。僕はバスに乗るのは初めてだ。タクシーだって乗ったことがない。バスの座席はリコリスの車の助手席よりもずっと固くて、座り心地があまり良くない。落ち着かなくて、バスが動き出してからも幾度となく腰を左右にずらしていたら、 

「トールってば落ち着きないなぁ、バスが嫌いなの?」

「乗り物酔いとかするのかよ。ちゃんと薬飲んできたか」

 と言われた。

 出席率の極端に低い文乃も遅刻することなくきちんと来ていた。窮屈に並べられた固い座席の隙間からおさげがちらちら見える。文乃が笑っている。どうやら誰かと話しているらしいが、それが誰だかわからない。なんとなく気になって亀のようにして首を伸ばしていると、それに気が付いたあざとい野々村がぐい、と僕の首に腕を伸ばして引き寄せた。

「安西ー、穂積さん来てるじゃん。よかったなー」

「そうだな」

「なんだよー、嬉しい癖にー。この、このっ」

「そういうわけじゃないけど」

 意味もなく頬をぷにぷにと触ってくる野々村を押しのけて、距離を取る。

 僕達のやりとりにげらげらと笑っていた植草が

「でもさー、変わるもんだよなぁ」

「なにが」

「穂積と尾坂だよ。あいつら、いつの間に仲良くなってんだろ」

「え?」

「尾坂ってさぁ、ついこの前まで穂積のこといじめてたじゃん。お前は知らないかもしれないけど、いじめてたのよ。佐野と一緒にさ。ま、妙な言い方するかもしれないけど、佐野は死んじゃったわけだし。尾坂も佐野に強引に引っ張られてる感あったから、もうそんなことする必要ないのかもしれないけどさ。女ってほんと、よくわかんねーよなー。俺だったら、自分いじめてたやつと絶対仲良くなんかしねーもん」

 植草の言葉に、真ん中に座っているうるさい野々村が意味もなく大げさに頷いている。バスが左右に大きく揺れて、文乃の隣の人物が露わになる。

 尾坂奈緒だった。

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