第25話 『笑うんだなぁ』
ビジネスホテルに一泊をして、埼玉に帰る。
ビジネスホテルというか、「ホテル」つまり「宿」の類に泊まることは初めての経験だったわけなのだけれど、なかなか面白いものだった。
部屋は広いしベッドはふかふか。浴場は共同だったけれど、アパートの風呂とは広さも清潔感も桁違いだったし、家族と離れて出張中のサラリーマンと話をすることも、それほど悪いものではなかった。朝食のバイキングも嫌ではなかったが、これだったらアパートの狭いキッチンでリコリスが作るハンバーグの方がおいしいかもと僕が言うと、目の前でコーヒーを啜っていたリコリスがひどく喜んでいた。
リコリスのポルシェを三時間ほど走らせて、まず行き着いたのは病院。先日、僕が高熱を出したときに入院をしていた所なのだが、なんでもEWC専属の病院らしく、「色々と融通が利く」らしい。撃たれた所と、体の様子と、桃井に殴られ蹴られしたところを見てもらい、薬を貰って帰される。
EWCに寄り道をして地下の運動場で少し体を動かして、そこを出たのは十九時過ぎ。築十数年のアパートの前で、僕一人だけ赤のポルシェから降ろされた。
「私は一度会社に戻るから。明日はちゃんと学校に行くのよ」
ブルン、ブルルンという音を立て去っているリコリスは素敵だ。それこそ、全世界に名を轟かせる高級車の名に相応しい。
学校には遅れることなくきちんと到着することができた。
教室に入ると、名前も知らないクラスメイトに声を掛けられた。「おー。久しぶり、安西」「入院してたって聞いたけど、大丈夫か? 事故? 病気?」それらに適当に答えながら席に着く。暫くすると野々村と植草もやってきた。植草は軽快に声を掛けてくれたのだけれど、一方野々村は自分の席に座り僕に背中を向けていた。いつもはうるさいくらいなのにどうかしたのかと思っていると、隣に座る植草が
「拗ねてるんだよ。シンゴの奴、安西に一杯LINE送ったのに、全然返ってこなかったから」
そういえばそうだ。昨日家に帰って携帯を開くと、僕のスマホは野々村慎吾で一杯になっていた。
「野々村」
「……」
「野々村ってば」
背中を叩いても肩を小突いても全く反応のない野々村。どうしたらいいのかわからなくて困っていると、植草が
「あーあ。シンゴはだんまりかぁ。仕方ないなぁ。なぁ、安西。今日の昼飯はシンゴ抜きで二人で食おうぜ」
「え……」
「仕方ねーじゃん、シンゴ黙り決め込んでんだから。学食の日替わり、今日豚カツ定食なんだよ。超うまいから食いに行こうぜ」
と、ひどくにやにやした様子で言うものだから、僕はまた少し迷ってしまう。三人で行動するとき大体の主導権はお調子者の野々村にあり、ニヒルな植草が便乗し、僕がついて行くというものだ。
僕は少しだけ考え込んでしまうのだけれど、植草が僕のyesを促すようににやりと口角を上げるので、僕は首を上下に揺する。
「うん」
僕がそう言った瞬間に、それまでじっと前を向いていた野々村がすごい勢いで後ろを向いて、僕の首にしがみ付いた。
「ダメだダメだ! 俺がトールと飯食うんだから、ヒロひとりだけにいい思いなんかさせないぞ!」
「だってシンゴ、お前安西に怒ってるんだろ? ずっと言ってたじゃねーか。安西が学校に来ても無視してやるって」
「言ってたけど! でも違うの! 今日食堂でトールと豚カツ定食食うのは俺なの!」
「一人で食えばいいじゃん」
「ダメなの! トールは俺と一緒に食うって決めたの! デザートにアイスも食うんだから!」
などと僕の頭をすっぽり包む野々村に、植草は「お前……どんだけ安西が好きなんだよちょっと気持ち悪ィよ……」とうんざりしている。
対する僕は、気持ち悪いとは思わなかったわけなのだけれど、野々村があんまり窮屈にしがみ付くのでほんの少しだけ苦しくて、小さくげほげほと咳き込んでしまう。ちょっと面倒くさい奴だなと僕は思ってしまうのだけれど、野々村と植草のやり取りがなんだかとても面白くて、僕は少し笑ってしまった。すると植草が
「あ。安西が笑ってる。珍しー」
と、驚いたような口調で言い出して、それに反応を示した野々村と他数人のクラスメイトが僕の顔を覗き込んでくる。
「あ。ホントだ。珍しー」
「笑うんだなあ、安西も」
なんてまじまじと見つめられて、僕は少しだけ恥ずかしくなった。
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