第20話 『わたしの身長を抜いたらね』

 それから暫くして、一体誰が通報したのか警察と一緒になぜか救急車が到着する。

 恐らく、黒田の銃から発射された銃弾が僕の腕を掠ったことが原因だろう。「大丈夫」だと言ったのに、僕はそのまま市内の病院に運ばれて、手当てを受ける。暫くして「保護者」であるリコリスが到着をし、警察手帳を持った二人組のおじさんが現れて、話をされる。

「君は、穂積文乃さんと一緒に歩いていて撃たれたんだね?」

「そうです」

「その撃った人に心辺りがあったり、怪しい人を見た記憶とかはないかい?」

「……ありません」

「そうかい……じゃあ、君は、撃たれる直前、穂積さんのことを守るようにして押し倒したという話を、たまたま周りにいた人から聞いたんだけど」

「……歩いていたら、石に躓いて転んだんです。それで、思わず穂積さんの腕を掴んだらそのまま一緒に倒れちゃって、それで」

 僕の適当なでっち上げに、警察の人が本当に納得をしてくれたのかはよくわからない。

 そのあと、病院の待合室でじっとしている僕を置いて、リコリスは警察の人と共に別室に移る。右の二の腕をぐるぐるで包帯塗れにした僕が、意味もなく足をふらつかせたりうとうとと転寝をしたり、辺りを走り回っていた小さな子供が僕の足に躓いて泣き声を立てたり自販機でジュースを買ったりしているうちに時間が過ぎる。

 中年男二人と共に別室に閉じこもっていたはずのリコリスが再び僕の前に現れたのは大体一時間半ほど経ってからのことだ。

 太陽はとっくの昔に落ちていて、時間を見ると十九時。ひどく不機嫌そうな顔のリコリスに言われるがまま、駐車場に置いてあった赤のポルシェに織り込んだ。

 黒のパンツスーツを着込んだリコリスは、片手だけでハンドルを取りながら器用に煙草を取り出して口に含むと、ちゃっ、とそこに火をつけた。リコリスが愛煙家だということは知っていたけれど、車の中で吸うのは珍しい。僕は何度も赤のポルシェに乗っているけど、車の中で吸っているのは初めて見た。

「面倒なことになったわねー……」

 リコリスは呟くようにしてそう言うと、ふわー、と煙を吐き出した。開けた窓から、景色と一緒に白い煙が流れていく。

「これ、さっき警察の人から借りた銃弾だけど」

 リコリスは脇に置いていたビニル袋を取り出すと、助手席に座る僕の膝の上にぽんと置いた。中に入っているのは体長五センチくらいの金属で、焼けたみたいに少し形が歪んでいる、短い筍みたいな形をしている。

「これ、なんだかわかる?」

「……タマ、かな。鉄砲の」

「そう。正確に言えば、190アトラソフショット 」

「あとらそふ?」

「弾丸の名前よ。アトラソフっていうのは、弾丸だとかピストルだとかを作ってる、ロシアの会社」

 リコリスはそこでギアを入れ替えて、ぎゅい、と軽くアクセルを踏んだ。

「弾丸にも色々サイズだとか種類があってね。使う銃器に合わせて、色々変わるの。個人の趣味もあるだろうけど……基本的にこのタイプは狙撃銃に使ってるのよ。狙撃銃ってなんだかわかる? ライフルだとか、遠距離から目標を攻撃できる銃のことよ。ほら、会社の地下室にあったでしょ? あんたはまだ、一度も触ってないけどね」

 そういえば地下の二階に、やたらでっかい銃がいくつも並んで置いてあった。

「アメリカだとか海外では結構、自宅に拳銃を置いている家が多いんだけどね。日本は治安がすごく落ち着いてるし、銃刀法があるから、そう簡単に手に取る機会なんてないものなのよ。モデルガンだとかエアガンだったらまだしも、普通に生活をしている限り、本物の銃なんてものはね――」

「へぇ」

 袋に入った銀色の筍を手に取り、しげしげと眺める、僕。それからとある疑問に気が付いて、それを問う。

「なんでこんなもの持ってるの?」

「警察に知り合いがいるのよ――まぁ、普通は絶対に、持ち出せるようなもんじゃないけどね」

「ふぅん」

 ここ暫くのやり取りで、どうやらEWCが「普通の警備会社ではない」ということは薄々勘付いていたのだけれど、まさか警察と繋がりがあるなんて。

 リコリスは僕を横目でちらりと見ると、

「あんたさぁ、撃たれたとき、なに見たの?」

「え?」

「え? じゃなくて。一体、何を見たんだっていうの。あの、頭の禿げかけたおじさんたちは適当なことを言っておけばあしらえたかもしれないけど。わたしはそうはいかないのよ。わかってる?」

 右の人差し指で、ちょん、と僕の頭を突く、彼女。僕は突かれた場所を抑えて、こう答えた。

「ビルの屋上に、多分、銃だと思うけど、を、構えた黒田を見た」

「黒田?」

「クラスメイト。最近、学校に来てない」

「なんで?」

 僕はリコリスに色々なことを話す。黒田幸彦が佐野麗香と付き合っていたこと。その佐野が文乃をいじめていたこと。そして、その佐野が亡くなって、黒田が登校拒否になったこと。

 一通りの説明にリコリスはふむ、と顔を傾けて、ぎゅる、とギアを入れ替えた。

「あんたの言う、その黒田君? が、どういう経緯で銃を手に入れたのかわかんないけど、とりあえず、面倒なことになってることには変わりがないわね」

 そうだね、と言いながら、僕は車の窓を開ける。少しだけ息苦しいな、と思ったのだ。それは多分、リコリスの吸う煙草のせいだけではなくて。

「佐野っていう子の死の原因が穂積文乃のいじめとどう関係があるのかわからないけど――あながち、無関係とは言えないのかもしれないわね――ああ、あんた」

「え?」

「ちゃんとピストル持ってるんでしょうね?」

 僕はぺたぺたと体を触り、それからふるふる首を振った。

「持ってない」

「えぇ?」

「家に置いてきた。あんまり、使う機会なかったから」

 簡潔な僕の言葉に、リコリスがはぁぁ、とため息をつく。

「あのねぇ。今まではそんなに危険はないと思ってたからそんなにうるさくいわなかったけど、こんな事態になってるのよ? あんたの腕前がダメダメなのはわかってるけど、万が一の可能性があるでしょうが。どんなに扱いがへたくそでも、猫に小判でも豚に真珠だったとしても、特がなくても損も大してないんだったら、せめて威嚇用にでも持ってなさい」

 随分な言い草だな、と思うのだけれどリコリスにいうことも最もなので、大人しくうん、と頷いておく。

「黒田くんていう子がどんな子なのか全然ちっともわかんないけど、銃っていうのは普通、そんな簡単に扱えるものじゃないのよ。あんたもわかってるでしょう――あんな小さい銃ひとつだけ扱うのも、あんなに大変なんだから」

 リコリスの言葉に、僕は家に置いてきたであろう護身用のピストルを思い出す。

 二日に一回くらい、EWCの地下二階にある射撃場で練習をしているのだけれど、僕の射撃の腕前は一向に上がらない。発砲の際、漸くのこと振り回されることはなくなったけれど全然的には当たらないし、それどころか狙いとは全く違う方向に飛んでしまう。

「ライフルを使う程度の遠距離から掠り傷つけるなんて、そんな簡単にできるようなことじゃないのよ。少なくとも、狙った弾を100%の確率で外すあんたよりもよっぽど腕がいいってこと。あんただろうが穂積文乃だろうが、これで誰かに狙われてるってことはほぼ確実になったんだから、もっと気を引き締めなさい」

 ひどく緊張感のあるリコリスの言葉に、僕は流れる風を感じるままに首を動かし「わかった」と頷いた。

 リコリス曰く、「あんたの返事は、わかってるんだかわかってないんだかよくわからない」らしい。野々村や植草にも同じようなことを言われてしまった。「お前っていまいち、何考えてんのかよくわかんねーよな。面白いけど」僕としてはきちんとわかった上で返事をしているわけなんだけれど、傍から見ればそういう風に見えるんだろうか。よく、わからないけれど。

「ていうか、普通にそんな大したことは考えてないんでしょ。あんたの場合。なにをしてるのかと思ったらちゃっかり穂積文乃と仲良くなって、デートなんかしちゃってるし。殺せばいいのに、うっかり守っちゃうし」

 そういえばそうだな。あそこで放っておけば、僕の手を汚すこそなく綺麗さっぱり殺すことができたのに。

 そこで僕は、ふとあることを思い出す。

「そういえば穂積さんは?」

 僕が知っているのは、銃に撃たれそうになった文乃をかばった辺りまでだ。そのあと、救急車に乗った僕と文乃は離れてしまった。

「あんたが乗った後、パトカーに乗っておまわりさんと一緒に警察署まで行ったそうよ。それで、まぁ、当時の状況だとか色んな話をして、家の人が迎えにでも来たんじゃないの」

「ふぅん」

「何? 心配してんの?」

「そういうわけでもないけど」

 にぃ、という意地の悪い笑みを浮かべるリコリスになんとなくむず痒い居心地の悪さを感じて、シートベルトに押し付けられた体を捩る。

 リコリスは、半分ほどに長さの減った煙草を口から離すと、それを灰皿に押し付けた。脱力するかのように長い長いため息をつき、新しい煙草を口に咥え、また火をつけた。

 ハンドルを握りながら器用にも片手だけで行われる動作を眺めながら、僕は文乃のことを思い出す。

 不安に揺れる文乃の瞳。普段は分厚い眼鏡を掛けているし、猫背の上に俯いているから殆ど誰も知らないけれど、眼鏡の奥にあるその瞳は、意外と大きく睫も長い。パンダみたいな垂れ目をしている。撃たれる直前に押し倒したら、ひどく驚いた顔をしていた。そりゃあそうだ。なんの前触れもなく押し倒されたら誰でもびっくりするだろう。僕だって多分びっくりする。銃を掠って血の滲んだ僕の腕を見たときは、なんとも言えない泣きそうな表情を作っていた。とはいっても、文乃は大体、いつでもどこでもどんな時でも意味もなく泣きそうな顔をしているけれど。 

 文乃は今、一体何をしているのだろう。もう家に帰ったのだろうか。警察官に色々な質問をされて困ったことは確かだろう。泣いているかもしれない。

 開けた窓から入り込む空気と流れる景色を楽しみながらそれらのことを考えて、僕はふと、とあることを思い出す。

「そういえばさ」

「はぁ?」

「穂積さんて、一体、何? なんで僕は、穂積さんを殺さないといけないの?」

 それは、何度目かにおける僕の素朴な問いかけだった。

 鈍くさくて頼りない小さな文乃。運動神経だってよくないし、頭だって特別いいというわけでもない。特別価値があるようには見えないけれど、特別邪魔になるわけでも鬱陶しいわけでもないまるで空気のような透明な存在。生きているからなんだと言われても正直なにもいえないけれど、だからといってわざわざ殺してしまうほどの価値があるとも思えない。

 リコリスは、横眼だけで様子を覗うようにして僕を見て、それから煙草を口から離した。白くて短い煙草の端に、綺麗に噛み跡が付いている。

「教えてあげたいところだけど、残念ね。それは言えないわ」

 いわゆる『企業秘密』とかいうやつらしい。この前もその前も断られた。もしかして、この先一生、僕には教えないつもりなのかもしれないけれど。

「大人になったら教えてあげる。あんたが、わたしの身長を抜いたらね」

 楽しげにいうリコリスに、一体何年後の話だよ、と僕が言うと、すぐに抜くわよ、とリコリスは笑った。

 

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