第18話 『どうやって復讐すればいいんだろうな』

 佐野麗香の葬儀はしめやかに行われた。

 佐野は自宅通いだった。僕が文乃と映画を見に街へ繰り出した日の晩に、友人の家に行き夜遅く帰宅をするはずだった彼女はなんの迷いかカンカンカンカン電車の通過を知らせる音を無視して線路の中に入り込み、命を絶った。

 第一発見者は、死の直前まで彼女と共にいた黒田幸彦。なんで黒田が、と思うのだけれど、その疑問は野々村によってあっさり解かれることになる。

「ああ、あいつら付き合ってたから」

 ああ、そうなの。

「黒田って寮じゃないの? 通い?」

「黒田は寮だよ」

 さらっと出された野々村の答えに、僕は少し首を傾げる。寮は男女二棟に分かれていて、それぞれ男子禁制、女子禁制になっていた。一度野々村と植草に連れられ二人の部屋に入った時、厳めしい顔の管理人が玄関の入り口辺りにぽつんと座っていたはずだ。

「見つかるとやばいからな。だから皆、口裏合わせて窓から出入りしてるんだよ」

「去年、三年の男が彼女連れ込んでんの見つかってすげー大変なことになったもんな。ま、今回はそれ以上にすげー大変なことになってるけど」

 そうね。

 葬儀には学園長と教頭、学年主任と担任と生徒会長、そして我がクラスからは委員長と副委員長が参列をしている。クラスからも参列をしたいという奴は多かったのだけれど、授業の関係と、あまり人数が多すぎると邪魔であるという配慮。

 委員長であり佐野の恋人であった黒田は、担任と共に通夜の晩からずっと佐野が入った棺桶に付き添っている。

 残った僕達は、副担任の元について自習をしたり普通に授業を受けたりしながら、ふわふわとしたひどく落ち着かない時間を過ごしていた。

「佐野って事故? 自殺?」

「一応事故って話だけど、警察は一応、自殺の件も考えてるって話だぜ」

 野々村の素朴な問いかけに植草はさらっとそう答えたのだけれど、隣で聞いている僕には、いまいちどうも腑に落ちない。

「自殺、って」

「え?」

「佐野って、自殺、するの?」

 その問いかけに、野々村と植草はきょとんとした瞳で僕を見た。

「は?」

「え?」

 どうしてだ、なんでそんなことをわざわざ聞くんだ、と表情だけで問いかけてくる二人。他のクラスメイトが、佐野のことを一体どのように見ているのか知らないけれど、文乃をいじめる佐野を牽制したことのある僕の頭では、どうしても文乃にカッターを突き付けている佐野とネガティブシンキングの集大成のような暗い暗い自殺願望を結びつけることができなかったのだ。

 「まぁ、確かに佐野って、クラスの中じゃすげーうるさかったしさ。自殺とかそういうの、全然しそうに見えなかったけど。でもさ、そういう悩みっていうのは、ふつー誰でも持ってんじゃねーの?言わねーだけとか、誰も気づかねーだけだって。多分さ」

 なんでもないような口調でそう言う植草の隣で、わかったような顔をした野々村が腕を組んだまま頷いている。そういうものなのだろうか。よく、わからないけれど。

 教室を見渡してみると、ハンカチがびしゃびしゃになるほど泣いている女子がいる反面、「授業が潰れた」とひどくのびのびしている奴もいる。僕が転入してきたその日、資料室にて文乃の背中をモップで突いていた女子達は、教室の隅に集まって支え合うようにして嗚咽を漏らしていた。

 自分の席に座る僕は、なにやら騒ぎ始めた野々村と植草の間から覗くようにして、同じく自分の席で縮まるようにして丸まっている文乃に目を向ける。

 文乃は、泣くわけでもなくだからといって喜んでいるわけでもなく、怒っているわけでも決してなくて。ただただ、いつものように、今にも泣きだしそうな気の弱そうな表情のまま、じっ、と俯いていた。

 佐野の葬儀が終わった後も、僕達は暫く慌ただしくて落ち着きのない時間を過ごす。

 まず、佐野とその家族に捧げる手紙を書いた。原稿用紙一枚をまるっと一枚渡されても、僕と佐野はそれほど親しい間柄ではなかったので、一体なにを書いたらいいのかわからない。どうしていいのかわからずに悩んでいたら、いつのまにやら一番最後になってしまった。仕方がないので、こっそり植草と野々村に手伝ってもらいなんとか書いて提出をした。

 そしてその次に、朝礼での学園長による挨拶と、全校生徒による黙祷。専門医によるカウンセリング。教室に戻ったらすぐに「命についての授業」を受けて、「メンタル・チェックシート」なるものが配られる。

 上質な白い紙に書かれた五十問近い質問を「はい・いいえ・どちらともいえない」の三択で答えて、また少し、担任による「命の話」を受ける。

 命はこの世でたった一つしかない大切なものだ。お父さんとお母さん、そのまたお父さんとお母さんやご先祖様から繋がれてきた大事なものだ。君達には、沢山の悩みや苦しみがあるかもしれない。けれど、その大切な命を簡単に投げ出してはいけないんだ。悩みがあるなら、相談しよう。家族や先生や友達に助けを求めよう。

 なんとなく頼りないイメージのあった担任の風間だったのだけれど、クラスの生徒をひとり亡くし、残った生徒の心のケアのために命の尊さ・大切さを説く風間真一教諭はとても立派に逞しく見えた。いくら背の低い、カマキリみたいに痩せぎすな、眼鏡を掛けた中年教師だったとしても。

 普段は、適当に聞き流したり昼寝をしたり隣の席のやつと話をしたりしているクラスメイトも、今回ばかりは事態を深刻に受け止めたようで、時折ハンカチでずるずると涙や鼻水を啜りながらも、神妙な顔で風間先生の話を聞いていた。

 勿論それは僕も例外ではなくて、昼寝をすることもなく延々と話される教師の話を一つも零すことなくじっと聞いていたわけなのだけれど、途中、まるで池の中に一つの花が咲くようにして、ひとつの疑問がポッ、と音を立てて沸き起こる。

 佐野麗香は、本当に自殺をしたのだろうか。

 というか、学園長も教頭もクラスのやつも、佐野の家族……は知らないけれど、皆、佐野麗香の死は「自殺」であると、いくらなんでも決めつけすぎではないのだろうか。

 もしかして「自殺」ではなく「事故」なのかもしれないけれど、ちょっと断定しすぎじゃないか? 誰も見ていないはずなのに、どうして皆、佐野麗香は「自殺」もしくは「事故」であり、「殺人」ではないと言い切れるのか?

 野々村と植草の話のよると、こういうことだ。

 あの夜、佐野麗香は恋人である黒田幸彦の寮部屋に忍び込み、思う存分いちゃいちゃした後、寮長にばれぬようこっそり帰った。

 そのあと、佐野の財布が寮のテーブルの上に置きっぱなしであることに気が付いた黒田が大急ぎで佐野のあとを追いかけるのだが、そこには無残に飛び散った佐野の肉片が残されていたのだという。

 クラスで一番背の高い植草は、背の順で並ぶとクラスで二番目に背の高い黒田の後ろになるのだけれど、全校朝礼にて皆で目を瞑り亡くなった佐野に黙祷を捧げている時、黒田幸彦が何やらぶつぶつ呟いていたことを聞いていた。

「麗香は自殺じゃない。誰かに殺されたんだ」

 なんて、今にも死にそうな形相で唱える黒田の顔は誰がどう見ても自殺志願者のそれでしかなかったそうなのだけれど、黒田と佐野が付き合っていたことや佐野の死体の第一発見者が黒田であったことを知っているので、気味悪がりつつも同情していた。いつもうるさく無駄に感情表現豊かな野々村でさえも何とも言えない顔をしていた。

 僕は、特に何も思うことなく二人の会話をただ聞いていたわけなのだけれど、とある疑問を胸に持つ。

 黒田幸彦は、佐野麗香の死を解明するかのようなヒントを持っているのではないのだろうか。

 わからない。そもそも僕は、佐野とも黒田ともそれほど親しいわけではないし、特に込み入った話をしたわけではない。ただの勘だ。もしかして黒田も何か知っているわけではなくて、恋人だけにあるなにか特別な勘が働いているのかもしれない。

 

 その日の帰り、僕は偶然にも黒田幸彦と鉢合わせる。

 学校が終わり野々村達に誘われるまま二人の寮部屋で一時間ほどごろごろとし、別れた後に駅に向かうと、ひどく思いつめた表情の黒田がホームに引いてある白線の内側に佇んでいたのだ。

 今にも飛び込んでそのまま佐野の後でも追ってしまうのではないかなど思っていると、ジーンズとパーカーというラフな姿の黒田が階段の辺りでぼーっと突っ立っている僕の姿に気が付いたらしく、弱々しく歯を見せながら「よぉ」と軽く右手を挙げた。

「今帰り?」

「そう」

「そっか、そういや安西って電車通学だって言ってたっけ」

「うん」

「家、どこ?」

「澤田駅」

「さわだえき? どこ、それ。」

「野間駅で伊瀬野線に乗り換えてずーっと下ってくとあるよ」

「知らねー、どこだよー」

 そこで苦笑。

 ゆっくりと黒田の隣に並んだ僕は、今にも白線の内側から外側に出てしまいそうだったクラスメイトが弱々しくも笑ったことにほんの少しだけ安心する。

 黒田は寮生活のはずだ。明日も学校があるというのに、わざわざ私服に着替えて電車に乗っていくなんて、一体なんの用事だろう。同じく寮生活の野々村と植草は、行動力があってうるさい奴らなのだけれど次の日学校があるときは「面倒だから外出しない」という言っているのに。

 僕はそこであることをふと思い出し、それをそのまま口に出す。

「黒田」

「ん?」

「前にさ、購買で奢ってもらったことあるじゃん」

「あー、うん」

 僕の言葉に、黒田がどこか懐かしそうな瞳をする。

「あの時のお金、やっぱり返すよ」

「いーって、別に」

「でも、一個分お金多かったし」

「ばっか。たった八十円とかだろ」

「でも」

「気にすんなって。八十万円とかじゃねーんだし。そんな前の事、時効だろ、もう時効」

 そこで黒田が強制的に会話を終わらせ、僕達の間に、再び沈黙が訪れる。

 元々会話の少ない僕達だ。どちらかがわざと話題を出そうとしなければ、続く会話も続きはしない。暫くの間、鳥の囀りや靴の音、遠くに走る車の音に耳を澄ませていたのだが、そのうち、列車の到着を知らせるベルが響いてくる。

 カンカンカンカンカン――『列車が到着します。危ないので、白線の内側でお待ちください』――

 沈んだ顔の黒田は、先ほどから白線の外側に立ったまま、砂利に埋もれた線路を見つめてそこから一歩も動こうとしない。

 遠くで聞えていたはずの列車の音が、滑るようにして近づいてくる。豆粒みたいだった車両が秒を稼ぐほど大きくなって、はっきりと見えてくる。

 あともう十秒もすれば停車をするだろうという時に、それまでじっ、と俯いていた黒田が顔を上げて、微笑んだ。眉を寄せ、口の両端を引き上げて、ひどく光沢のある、悲壮感に満ちた瞳をこちらに向けて。

「なぁ、安西」

「え?」

「大切な奴を殺されたときって、どうやって復讐すればいいんだろうな」

 しゃああぁぁぁあぁぁっ――

 風を切るようにして到着した列車の扉は、僕たちの前で開かれる。

 そこから、草臥れたスーツ姿のサラリーマンと子供を連れた中年の主婦、そしてやたらひっついた高校生くらいのカップルが出てきた。その、カップルの彼氏の腕と僕の肩がぶつかって、僕は少し弾き飛ばされる。そうしているうちに、黒田は電車の中に入ってしまい、あ、と思った瞬間には扉が閉まり、僕はその場に取り残される。

 無事に列車に乗ることに成功をした黒田は、白線の内側でぽかんとしている僕を見て彼もまたぽかんとしていた。

『列車が発車します』

 そのアナウンスと共に重たい車両が動き始めて、黒田の姿も大きな車両も見えなくなる。

 間抜けな僕は、遠くなる列車を見送ったままぽつんとその場に佇んでいた。知らない誰かが、ホームの階段をばたばたと駆け上がりながら、叫んでいる。「くっそー! 乗り遅れたー!」「次の列車っていつだー!」「バカヤロー! あと二十分以上もあるじゃねーか!」

 親切ともいえるかのような彼らの声を聞きながら、僕は白線の内側に立ち竦む。

 どういうことだ?

 黒田は、一体なにを知っているのだというのだろう。


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