第15話 『取り合えず歩く?』
それから時間はあっという間に過ぎた。
リコリスと共に週末をすごし、体の使い方を教えられ、それを覚え、月曜日の朝になると赤のポルシェでそのまま学校に送られる。
そこで、野々村や植草と会話をして授業をしたり聞き流したり勉強をしたりしなかったり昼寝をしたりのんびりしたりしながら、ゆるりと流れる春の小川のようななんとも生温い時間を過ごす。
文乃は相変わらずのんびりしていて鈍くさくて何もないところで転んでみたりもしているのだけれど、二度ばかり僕が牽制をしたおかげで、佐野とその取り巻きはあれ以来彼女に手を出していないらしい。今の所、取りあえず。僕の目の届く範囲では。
虐めが目に見えて少なくなったといっても、文乃はずっと一人だったし、誰かに声をかけることもかけられることだってないようだった。それでもいい、いじめられてカッターナイフで切りつけられて、間違えてうっかり殺されるよりましだろう。文乃にはもう少し生き延びて貰わねばいけない理由がある。
そして、五月六日。GW三日目の土曜日。
僕は駅前のロータリーで一人ぽつんと佇んでいた。
出かけようと行ったのは野々村だ。
『折角の連休なのに、どこにもいかないなんてつまんねーじゃん! 遊び行こーぜ、遊び!』
ほぼ一方的に取り付けられた集合時間は午前十時。今の時間は九時四十分なので、約束の時間まで二十分ほど余裕がある。
朝というには少し遅いが、昼というには早すぎるこの時間、行き交う人は途切れない。うまく休日を勝ち取ることができなかったスーツ姿のサラリーマンにスポーツバッグを抱えたジャージの集団。そしてОL。親子連れが多いのは休日ならではの光景なのか、どの家族もみんなリュックを背負い大きな荷物を抱えている。
そんな人達を観察しながら、僕はふぁ、と欠伸をする。少し眠い。リコリスからレクチャーを受けるということは、なかなか大変な作業だった。リコリスは美人で面倒見のいい人だけれど、その分性格はとてもキツイし力だってかなり強い。ここ暫くの間で、僕の体には痣も傷も沢山できた。体育の時間、腕や足にできている巨大な青痣赤痣を見つかって、「それどうしたんだよ!」と野々村に心配された。(木曜の夜に「クラスメイトと出かけてくる」と伝えると、リコリスはなぜだかひどく喜んだ。着ていく服を選んでやろうかと言われたけれど、それはやめとくと断った)
観察することにも飽きてきて、どうしよう軽く昼寝でもしようかと思っていると、通行人の中に見覚えのある顔が現れる。
小さい顔と小さな体で、しめ縄みたいな三つ編みを二つぶら下げた女の子。眼鏡はかけていないけれど、僕にはそれが誰だかすぐにわかる。
穂積文乃だ。
淡いピンクのブラウスとチェックのスカートを着込んだ文乃は、なにかを探すかのようにしてきょろきょろと辺りを見回して、ぱっと瞳を輝かせた。それからぱたぱたと小走りで僕の前までやってきた彼女に、僕は顔を顰める。
はぁはぁと軽く息切れをする彼女の顔は例の如く真っ赤だけれど、心なしかほころんでいるし、うきうきしているようにも見える。
一体なんの用事だろうと思っていると、正面にいる奈々恵がもじもじと両手を合わせて恥ずかしそうにこういった。
「あの、ね」
「……?」
「野々村くん、から、聞いた、よ。誘ってくれて、すごく、うれしかった」
野々村?
野々村が一体、文乃に何を言ったというのだろう。
などと思っていると、丁度いいタイミングで野々村からLINEが入る。
『やほー⭐おっはー!😊!いい朝かにゃーん?😸
約束してたところ悪いんだけどぉー、実は今日、俺もヒロも急な用事で行けなくなっちまったにゃーん😸ごめんにゃー😿その代りといっちゃーなんですがー、心優しい俺たちがぁ、ひとりぼっちで寂しいトオルくんを癒すために可愛い可愛いホズミさんを送ったので二人でしっぽりしてきてねー💛』
考えてみれば水曜日、野々村と植草がこそこそ不審な動きをしていた気がする、なにかと思ったらそういうことか。
もじもじと顔を紅潮させる文乃と対峙をしながら、僕は考える。
行けない代わりに文乃を送ったととか、そんなことを言われても。
そもそもこの計画を立てたのは野々村と植草であって僕ではないので、どうしたらいいのかわからない。遊ぶと行っても、一体何をすればいいのだろう。どこに向かえばいいのだろう。この場所に対する土地感もまったくないし、どこに何があるのかもわからない。
などと色々なことを考えていると、放置されていた文乃が不安げな顔で僕のことを見上げてきた。
「安西、君」
「うん?」
「怒って、る……?」
怒ってる? 一体何を?
「わたしが、くるの、遅かったから……」
わたしが来るの遅かったから。ああ、待たされたせいで怒っていると思ったのか。
「違うよ」
僕が首を左右に振ると、文乃はほっと息をついた。
どこか行きたいのかな。少し遊んだ方がいいのかなと僕は思う。僕としても、このままのこのこ家に帰ってリコリスに馬鹿にされるのも嫌だし、折角ここまで来たのだから、何か行動を起こしてもいいかもしれない。
「どこか、行く?」
僕の言葉に、文乃はぱっ、と顔を上げた。
「行かない? 帰る? それならそれで別にいいけど」
僕がそういうと、文乃は小さな唇で息を飲んで、ふるふるふると首を振った。
「かえら、ない」
「そう」
「いき、た、い!」
珍しくはっきりとした、文乃の主張。よっぽど行きたいところがあるのか、それともよっぽど暇なのか。
とにかく、文乃の口からはっきりと「行きたい」という言葉が出た以上、僕が帰る理由はない。残念ながら今日はピストルは持っていないけれど、ただ遊びに行くだけならば必要ない。『穂積文乃』の観察をするチャンスだろう。
「じゃあ行こうか」
どこに行く? と僕が言うと、文乃は困ったように首を傾げた。文乃も特に何も考えていないのかもしれない。
「取り合えず歩く?」
すると文乃はぱぁっ、と顔を輝かせて、それからこくんと頷いた。
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