第6話 『ねぇ』
好奇心旺盛なクラスメイト達は、授業が終わるとすぐに僕の周りに集まってきた。
「どこから来たの?」「どうして少し遅れてきたの?」「前いたところはどんなところ?」
いつかテレビ番組で見た、動物園のパンダみたいだ。矢継ぎ早にされる質問に僕の頭は朦朧としてくる。そもそも僕はこんなにも積極的に誰かと触れ合うことになれていないし、こんなにも沢山の人に囲まれるのも初めてなのだ。
パーン、と頭が弾けてしまう前にそれを止めたのは前の席に座っていた野々村慎吾。彼は「はーいはーい!」と両手を振り回し周りを牽制し始めた。
「みんなー! 安西くんが困ってるじゃないかー! ほらー、こんなに顔が真っ赤になってるぞー!」
そうだろうか、確かに今、僕の体は皆に囲まれてとても火照っているのだけれど、そんなに赤くなってるのだろうか。確認するようにごしごしと顔を擦る僕の前で植草宏英が「はーい散った散ったー。見物料取るぞー」なんてクラスメイトを散らしている。
群がっていたクラスメイト達が適当にまばらになったところで、植草と野々村が僕の顔を覗き込んだ。
「大丈夫かよお前ー」
「すげー人気だなー。まぁ、珍しいからなぁ転校生とか」
それぞれが自分の椅子を持ってきて、僕の机を取り囲んだ。
「困ったことがあったら何でも言えよ。折角隣になったんだしさ」
なんて植草がニヒルに笑う。野々村はぴかぴかとよく光るビー玉みたいな目を輝かせると
「そうそう。そうだ、あとで校内案内してやるよ。ここ、滅茶苦茶広いから何も知らないと絶対いつか迷っちゃうぜ」
「そのほうがいいよ。シンゴなんて、もう十回くらい迷ってるもんな」
「そんなに迷ってねーよ!」
「この間、ちょっと三年の教室に行く、って言って迷ったばっかりじゃねーか」
「うるせー!」
植草はこほん、と小さく席をすると、斜め後ろに集まっている男子の一人を指差した。黒い髪を短髪にした、背の高い色黒の男。
「あれ、委員長の
今度は正面。教卓の前に群れる、女子の一人。ロングの黒髪をふわふわさせた、背の高い女子。
「
「一番胸がでかくて、人気のある女子」
後半部分、小さく顰められた野々村の発言に、僕はきょとんと瞬きをする。
「だからさ、胸だよ胸! わかるだろ? バ・ス・ト!」
わざわざ胸の部分を強調するようにしてジェスチャーをする野々村の真意がわからず、間抜けの表情のまま植草に視線を移す。足を組んだ植草が更に腕も組んで、うんうんと真剣な顔で頷いている。
「安西、胸はでかいほうがいいぞ。なんたって胸だからな」
「そうだぞ安西! おっぱいには夢と希望が詰まってるんだぞ!」
すでに声を潜める気が全くないような声量で叫ぶ野々村。僕はひとしきり眉を寄せ、首を傾げ、考えて、それから再度口を開く。
「なんで」
全く意味の解っていない僕の問いかけに、二人が信じられないという表情を作り上げる。
「はぁぁぁぁ!? お前何!? なんなの? 馬鹿なの? 死ぬの?」
バン! と勢いよく机を叩き立ち上がった野々村の突然の行動に、とにかく僕は驚いて、びくんと体を跳ねあがらせた。
その横では、植草が何やら真剣な顔で腕を組んでいる。
「落ち着けシンゴ。あー……これはきっと……そうだ、あれだ。俺が思うに安西は」
「うん」
「最近流行の微乳フェチ」
「……なるほど!」
「……?」
なにがなるほどなのだろう。
全く意味のわかっていない僕を置いて、二人は僕の知らない単語をたくさん並べて、僕の知らないところでどんどん話を進めていく。
「微乳かー、安西はでかいよりも小っちゃいほうが好きなんだなー」
「最近流行ってるっていうもんな、そういうの」
「確かにそれもいいかもしれないけど、やっぱり胸がでかいほうがいいぞー。なにせおっぱい様だからなー」
「なにが」
「どれくらいでかいほうがいいかっていうとだなー、こう、体育で50メートル走をしたときにゆっさゆっさと揺れるくらいの方がいいぞー」
「だから」
「例えて言うなら、佐野くらいの大きさの――」
「そうじゃなくて」
「なんだよ、うるせーなぁ。俺が折角巨乳の良さについて語ってやって――」
「……あんたさっきから、一体なんの話をしてんの?」
そこで沈黙――そして静止。
しゃべり続けた野々村は、そこで漸く自分の背後に佇む佐野の姿に気が付いた。
まるで般若のような形相をして仁王立ちをする佐野は「さいってい!」と叫びながら、どうみても固そうな野々村の頭のてっぺんを殴りつけた。ずがん! という音と共に、哀れ野々村は涙をぽろぽろ流しながら地べたにごろんと転がった。
「死ね! スケベ! 馬鹿野郎!」
べー! と舌を出しながら罵詈雑言を叩きつける佐野。僕は、のた打ち回る野々村を眺めながら去っていく佐野の胸も観察してみたりするのだけれど、そんなに巨乳がいいのだろうか。確かに佐野の胸は、周りの女子よりも一回りくらいふっくら膨らんでいるかもしれないけれど、だからといってどうして野々村が喜ぶのだろう。ていうか、あれだったらリコリスのほうが大きいんじゃないだろうか。などと考えているうちに、悶絶をしていたはずの野々村が地べたから復活を遂げる。
「――とまぁ、こういうこともあるから、安西くん、くれぐれも教室内では下ネタを控えるよう――」
「……そんな頭にでっかりたんこぶ作って言われても、全然説得力ねぇよ……」
植草の鋭い指摘に、「うるさい!」と涙目で睨めつける、野々村。賑やかな奴らだなぁ。僕の周りは今まで年上の人たちばかりで、こんなに同年代の人間と絡むことなどなかったのだ。
ふと目をずらすと、遠い場所からちらちらとこちらの様子を覗っている穂積文乃の姿が目に入った。文乃は僕が見ていることに気が付くと、またしても弾けるようにして目を逸らした。人見知りなのだろうか。そういえば、先ほどクラスの皆が僕の周りに集まっている時だって、彼女ひとりだけ自分の席でなにやら読書でしていたようだ。
気になった僕は、ぎゃーぎゃーと大声で騒ぎ続けている植草と野々村に問いかけてみることに決める。
「ねぇ」
会話に割り込むように口を挟んだ僕に、二人は「なんだ」というようにして顔を向けた。
「あそこの席にいる……」
「はぁーい、授業始めるわよー。みんなー、席についてー」
僕の言葉を遮ったのは、颯爽と現れた女教師だった。
つい数秒前まで散らばって騒いでいたはずの面々は、栄養状態の頗るいい薩摩芋のような体型の教師の登場に、ばらばらと自分の席に戻っていく。
それは勿論、野々村と植草も決して例外ではなくて、日直の号令がかかる前に椅子を戻して僕に背中を向けてしまう。
黒田幸彦の号令で立ち、頭を下げた瞬間に、野々村が小さな声で「わりぃ、またあとでな」と呟いたのが聞こえた。
まぁいいか。
とりあえず、まだ時間はたっぷりとあるのだから。
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