第3話 『少し寝なさい』

 いつの間にか夜はすっかり過ぎ去っていて、明るい太陽が顔を覗かせていた。

 リコリスの細くて長い腕に引っ張られるようにして社長室を出て、エレベーターに乗り、スポーツカーに吸い込まれる。

「家や学校については、数日中に準備しよう……ああ、大丈夫だよ。そんな、持ち金数百円の子供から家賃を取ろうとか考えていないから。わからないことや困ったことがあったならば、すぐにリコリスに聞くと言い。彼女は優秀な人間だ」

 社長曰く、「身分の証明というのは、結構どうとでもなる」ものらしい。住民票でも、戸籍でも、ばれないようになんだって。むしろ、「ばれないようにするもの」らしいのだけれど。

「まぁ、あんたも色々、大変なことばかりだけど」

 事態が起きて数時間、もう、かれこれ七、八時間経つのだろうか。

 軽快に風を切り続ける振動を感じながら、僕はうつらうつらとし始めていた。なにせ、殆ど丸一晩中起きていたのだ。本来体を目覚めさせるはずの太陽の光を浴びながらも、僕は殆ど夢見心地の状態だ。その、夢と現実の間を彷徨うようなひどくふらふらとした思考の中で、僕はリコリスの話を聞いている。

「あんたなら多分大丈夫よ。勿論私も手助けするし……あんたなんだか、変な悪運強そうだものね」

 うとうととする視界の左の方で、リコリスのダークグレイのスーツの腕が動いている。金色のカフスボタンがきらきらと太陽を反射して、とても眩しい。夢現の僕は、この車が左ハンドルであることに気が付かない。

「もう少し落ち着いたら、銃の練習もしましょう。どうして前に向けて撃った弾が後ろにいくのよ……あんな調子じゃ、いつ自分で自分の頭を打ち抜いたって全然不思議じゃないものね」

 そんなことしないよ、と僕は言ってやりたかったのだけれど、あまりに図星過ぎて実際自分でも同じようなことを思っていた。うん、と返事をしたかったのだけれど僕はあまりに眠かった。ぐんぐん上がる太陽の光も眩しかった。

 そういえば、僕が引き摺ってトランクに入れたはずの安西徹の死体は、一体どうなったのだろう。そろそろ、異臭の一つや二つ漂ってきても不思議ではないと思うのだけれど、僕はもう眠くて眠くてどうしようもなくて、安西徹のことなど、正直どうでもよくなってくる。

 我慢できなくて瞼を落とした僕の額を、「少し寝なさい」とリコリスが軽く撫でてくれる。

 少しだけ体温の低いその掌がとても暖かくて優しくて、殺しのことなど忘れて僕は本格的に目を閉じる。

 明日のことなどどうでもいい。僕はとりあえず寝たかったのだ。


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