第2話  古材(ふるざい)



 太の友人に建築関係の営業マンをやっている男がいる。 


 この日はその友人に誘われて、と言うより “昼飯おごるから” と言われて手伝いをさせられる事になった。 客から預かっていた重い荷物を届けるのだそうである。


 最近新築した家で、ここの夫婦は結婚して十数年経つが子供がいないため、二人は休日になると共通の趣味であるアンティーク物を見つけにたびたび夫婦で出かけて行くのだそうだ。アンティークショップと言うような小洒落た店から、骨董店と呼ばれるものまでさまざまな店を見て回るのが好きなようである。


 こうした趣味を持つ夫婦なので新築と言ってもかなりこだわりを持っているようだ。家の内装や外装、外構がいこうまでアンティークな物を取り入れているようで、この日は夫婦が以前から目を付けていた、古民家に使われていたはりいて板材に加工したものが出来上がって来たので、それを届けるために二人が出向くことになったのだ。


 この板はインテリアとして壁に取り付けてフックも付けるそうだが、業者ではなく自分達で取り付けたいと言うのだ。業者にビス止めされるのを嫌い、以前に買っておいた高価な骨董品の和釘わくぎを使いたいのだそうで、こうした面倒くさい客はどこにでもいるものだ。




 ”ピンポ~~ン”

「平成ハウジングです」


「は~~い、 あ、どうもご苦労様です。お手数てすうをおかけします」


「板材お持ちしました」


 そう言って二人が幾つかに切り分けられた古材ふるざいを無事夫婦に引き渡した。





「それにしてもあの家、まるで骨董屋みたいな新築だなぁ~。あの夫婦何であんなものが好きなんだろう? 俺には価値がさっぱりわからねえなぁ~??」


「この仕事やってるとたまにいるんだよ、ああいう面倒くせえ客が」


 そう言いながら車を出した。


 帰り際に太が何気なく家の方を見ると、何やら黒っぽいものが一瞬視界に入った。


「どうした?」

「いや、ちょっと黒っぽいものが見えただけ」

「どうせ骨董の何かだろう、俺達にはわかんねえよ」

「そうだな」


 そう言ってその場をやり過ごした太だが、心の中では気になって仕方が無かった。


 後日、気になって仕方が無かった太はバーのママの所へ行くことにした。




「こんばんは」


「いらっしゃい太さん、そろそろ来る頃だと思ってたわ」


 太はギョっとした顔でカウンターの席に着く。


「何で? 何で来ると思ってたの??」


「気になってることがあるんでしょ、また[黒い曼殊沙華]見たんでしょ、違う?」


「何でわかるんだよ、まるで監視されてるみたいだな」


「フフフフ、わかるのよ。こういう時はあちらから連絡が来るのよ」


 そう言ってママはニヤッと笑ってグラスを出す。

 いつもの焼酎をグラスに注ぎながら話を切り出した。



「太さん、最近行った家で見えたんでしょ。そこには絶対近づいちゃだめよ! そのうち大変なことになるから関わっちゃダメ。出来れば友達にも関わらないように伝えてあげて」


「え~~、俺はともかく奴はダメだよ。仕事で行ってるし、客だから。 ん~~、まあ一応伝えておくけど、ちょっとなぁ~~」


「大丈夫、伝えるだけでいいから。そんなに先にならないから」


 そう言ってママが説明を始めた。


 ママによれば、この家で近いうちに警察沙汰になる様な大事件が起こるそうだ。それはこの夫婦の前世に起因するらしい。夫婦の骨董好きも前世の因縁で仕組まれた事のようだ。



 時代は江戸末期、もうすぐ幕末の動乱期に差し掛かる頃の江戸の谷中やなかに[仁吉にきち]と言うしがない指物さしもの職人がいた。仁吉には[みよ]と言う女房がいて、二人は貧しいながらも仲睦まじく暮らしていた平凡な夫婦だった。


 ある時、仁吉は取引先の問屋で遊び好きの若旦那に半ば強引に誘われて吉原の遊郭ゆうかくに行くことになった。二人で遊びに、とは言ってもくるわの中に入れば若旦那と職人では相手の格も違ってくる。当然職人の仁吉には切見世きりみせ下級女郎かきゅうじょろうまわしし部屋の並局なみつぼねだ。それでも仁吉にとって吉原は華やかな別世界なのだ。


 その晩、仁吉に就いたのは[芳乃よしの]と言う女郎だった。この時代の下級女郎では源氏名は持たないのが一般的だが、芳乃はどうしても源氏名が欲しいと言ってこの名を名乗っていたのだった。父親は酒と博打ばくちが大好物のクズで、そのため母親は働き詰めで体を壊して死んでしまった。親の借金のせいで女衒ぜげんに買われて吉原に入ったが、少々歳が経っていたので格付の厳しい吉原では上には上がれない。年季ねんきが明けた遊女の末路は悲惨なものだ。そのため遊女たちは馴染みの客に身請みうけけされるのが一縷いちるの望みであり唯一の夢であった。平凡な暮らしに強い憧れのある芳乃は、せめて名前だけでもという思いから源氏名にこだわったようなのだ。


 仁吉はきらびやかな吉原に魅せられ、芳乃に対しても少しばかりの好意を持ってしまった。それ以来何度か吉原に通い芳乃に逢うようになった。とは言え根はしっかりした男なので遊びと割り切り、芳乃に入れあげたり吉原に通い詰めるようなことも無かった。

 それに比べて芳乃の方は一縷の望みにすがるかのように次第に仁吉にのめり込んでいった。商売とは言え心の底は[か弱い女]なのだろう、生い立ちを考えればうなずける話だ。


「仁吉さん、あたしゃあんたに惚れちまったみたいだよ」


「俺も同じだぜ、おめぇに惚れてるのさ。だからこうして逢いに来てるんじゃねぇか」


「本当かい? 嬉しいよ」


 そう言って芳乃は少し涙ぐんだ。 と、ここまでなら三文芝居さんもんしばい台詞せりふのようなものだが、仁吉は女の涙にそそのかされるようにとんでもない事を言ってしまった。


「ああ、本当さ。おめぇの年季が明けたら、俺は女房と別れておめぇと一緒になりてぇと思ってるのさ」


「え、本当かい? 本当かい? 信じていいのかい?」


 驚く芳乃に仁吉が答える。


「ああ、本当だぜ!」


「ありがとう、ありがとう」


 そう言って芳乃は仁吉の腕の中で泣き崩れていた。


 だが、仁吉にとってはあくまでも郭の中での話に過ぎないのだ。当然、女房と別れる気など全くなく、商売女と割り切った上での話のつもりだった。




 吉原遊郭はその華やかさとは裏腹に実際の生活環境は劣悪なものだったらしい。衛生状態も悪く、満足な食事もなく栄養失調も多かったようで多くの遊女は若くして亡くなるものが多かったらしい。下級遊女は腐った飯を食わされたり性病にかかってしまうものが多くいたと聞く。


 芳乃も例外ではなく過酷な労働の為に次第に身体が衰弱し、その挙句[労咳ろうがい(今で言う結核)]を患ってしまう。見世みせにとっては売り物にならなくなった遊女などゴミ同然である。芳乃はそのまま見世の物置小屋に押し込められ、食事も与えられず死を待つばかりとなった。何ともむごい仕打ちである。だが、それが吉原と言う所なのだ。


 ほどなくして芳乃が息を引き取ったので定石じょうせき通り亡骸なきがら浄閑寺じょうかんじに放り込まれた。




 芳乃の心中はいかばかりだったろうか? 御霊みたまとなった女は、親を呪い、吉原を呪い、自身の運命を呪った。そして、何よりも一縷の望み・唯一の夢だった仁吉との暮らしも叶わず更に、仁吉の言葉が郭の中の戯言ざれごとと知って、それまで大きく膨らんでいた愛情が全て憎しみへと変わったのである。芳乃の御霊は、もはや手の付けられない怨霊となってこの世を彷徨さまようこととなったのである。



 時が経ち仁吉とみよの夫婦は同時に現代へと転生した。


 当然、芳乃の怨霊はこれを見逃すはずはない。待ってましたと言わんばかりに二人に取憑いたのだった。二人を巡り合わせ、結びつけたのは芳乃の怨霊の仕業であった。二人の趣味が骨董と言うのも芳乃の仕掛けなのだ。夫の名は[芳野 仁(ひとし)]、妻は[芳野 美代子(みよこ)]と言う。この名前からして怨霊の凄まじさ、恨みの念がどれほど強いかをうかがい知ることが出来るだろう。




 太はママからこの話を聞かされ、次の日に友人に電話を入れた。


「あのさ~~、例のバーのママの話なんだけど。ママが言うには、暫くあの骨董の家に近づくなって言うんだよ。変な話だしお前は信じないだろうけど、とにかくしばらくは近づかない方が良いってさ」


「ハハハハ、例のママさんか? 俺もいつか飲みに行ってみたいな、ハハハハ。 まあどっちにしろ一区切りついた物件だし何も無ければ来年の挨拶回りまで行くことは無いなぁ~」




 電話でそんな会話をした二人だったが、太たちがこの家を訪れてから三週間ほど経った日曜日の事だ。夫の仁は休日だと言うのに会社の取引先の付き合いでゴルフに行くことになった。その日は早朝から憂鬱ゆううつそうな顔をして準備をしていた。


「あ~ぁ、日曜だと言うのに仕事の接待ゴルフかよ。面倒くさいなぁ。誰か変わってくれないかなぁ。」


 そう言う夫に妻が明るく答える。


「ハイハイ、仕方ないでしょ大事な取引先なんだから」


「でも俺はゴルフなんてろくに出来ないし、結局太鼓持ちみたいなもんだからな。やだなぁ~~」


「駄々をこねてないで行ってらっしゃい、気を付けてね!」


 そう言って美代子は仁を送り出した。


 だが、仁のゴルフ話は真っ赤な嘘である。実を言うと仁は会社の若い女子社員と不倫をしているのだ。この日もゴルフと称して女子社員に逢いに行っていたのだった。

 そんなことも知らずに美代子は幸せそうに新築したてのこだわりの住宅で家事をしていた。洗濯機を回しながら、台所の洗い物を済ませてから掃除機をかけ始めた。



 リビングや廊下のフローリングを掛けた後、自慢の骨董部屋に取り掛かった。スイッチを入れ床をかけ始めると、何やら人のささやくような声が聞こえた。変に思ってスイッチを切ると何も聞こえなくなった。気のせいだと思ってまたスイッチを入れると、今度は少し大きな声が聞こえる。


「みよ、みよだ。お前が[みよ]だ」

「そうだ、この女がみよだ」

「そうだ、こいつだ、こいつが仁吉の女房だ」


 部屋中の骨董品から囁くような声が聞こえてきた。


「え、何?? どこから声がしてるの?? 何なのよ、気味が悪い。え~、え~??」


 美代子が驚き気味悪がっていると、次第に部屋中の骨董品がグラグラと揺れだした。地震かと思ったが床も天井もどこも揺れていない。ポルターガイストのように骨董品だけが揺れだしたのだ。美代子は恐ろしくなり部屋から逃げようとすると、出口の引き戸がガラガラっと勢いよく閉まった。あまりの恐怖で声も出せず立ちすくんで固まってしまった。すると、先日夫が和釘わくぎで壁に取り付けた板材から声がした。



「お前が[みよ]だね、仁吉の女房だね。あたしは吉原遊郭の遊女の[芳乃]だよ。あの男に前世の恨みを晴らしに来たのさ、フフフフフ」


「何なの??、何なのよ??・・・・」


おびえ切った美代子はそれ以上何も言えない。



「そうだそうだ、恨みを晴らせ」

「そうだ、一思ひとおもいにやっちまえ」

「殺せ、恨みを晴らせ」


 美代子にとっては何の関係もない全くの逆恨みなのだが、コツコツと集めてきた骨董品に取憑いている霊たちが芳乃に同調して強いパワーを送ってしまっている。



「お前に直接関係なくても、お前の亭主を痛めつけなきゃ気が済まないんだよ。いい気味さ、夫婦そろって地獄に落ちな」


 すると、この部屋の骨董品が芳乃に同調する中で、たった一つ奥に置かれた小振りの和箪笥わだんすだけが美代子に味方した。



「やめろ~、やめてくれ。その女に罪はない、やめるんだ!」



 [江戸指物えどさしもの]と言う呼び名があるが、これは現在の東京家具組合が活性化の為に作った呼び名だ。また、薄く挽いた板材を用いるのが特徴で、かくありなどの組継手くみつぎてを多用して仕口しぐちを見せないのがいきとされる。しかし、江戸時代には特に決まった特徴や呼称は無かったので、この和箪笥にはそうした特徴は見られない。


 実はこの和箪笥は前世で仁吉が作ったものだった。それを問屋の若旦那が吉原の遊女に持って行った物だった。かすかに残った前世の仁吉の思いが美代子に味方していたのだ。しかしここはまさに多勢に無勢だ、美代子の命も風前の灯火ともしびだった。



「黙れ仁吉、お前の見ている前で女房をあの世に送ってやるのさ。フフフフフ、いい気味だよあたしを裏切った罰だ! 死ね~~!」



 芳乃が声を荒げると同時に周囲の骨董品がガタガタと揺れだした。次第に夫の取り付けた板の揺れが激しくなり、和釘が抜け始めてきた。そしてついに、金縛りのように見動き出来ない美代子に向かって和釘が飛んだ。


“ シュッ ”と飛び出した和釘が美代子の右目から脳に向けて何のためらいもなく刺さる。続いて二本目が心臓を一気に貫いた。


 美代子は悲鳴を上げる間もなく即死だった。




 不倫を楽しんでいた夫の仁が夕方になって帰って来た。車を停め玄関のドアに手を掛けると何か違和感を感じた。


「お~い、美代子! 帰って来たぞ~~」


「お~~い、美代子」


 リビングの灯りを付けて声を掛けるが返事がない。不倫をしている負い目もあってか少々過敏になっていた。そしてついに骨董部屋の引き戸に手をかけて開けると、そこには冷たくなった妻が横たわっていた。



「う、う、うわぁ~~~~~!! 美代子~~、美代子どうしたんだ・・・・・。何で、何でだ、一体何なんだ」


 すると、壁から落ちていた板から、そして周囲の骨董からざわついた声がする。


「仁吉、仁吉~~! 随分とご無沙汰だったねぇ~~、フフフフフ」


「え? 何だ? 一体何なんだ~~???」


 仁はパニック状態の中でハッと思い直して、震える手で携帯を取り出し救急車を呼んだ。続けて警察にも電話を掛けた。



 しばらくしてパトカーと救急車がけたたましくサイレンを鳴らしてやって来た。警察と消防が中に入って来てみると、そこにはパニック状態で半狂乱になった仁が涙を流して震えながら妻を抱きかかえていた。


 妻を調べて、死んでいることを確認すると消防は救急車に乗ってそのまま引き上げて行った。この後は殺人事件として警察が担当することになったのだ。

 鑑識が写真を撮り証拠になる様なものを集めていた。夫を事情聴取のため参考人として連れて行くのだが、とても話を聴ける状態ではなく一時的に警察病院に移送し鎮静剤やその他の処置をしてからしばしベッドで眠らせたのだった。


 次の日に目を覚ました仁を待っていた警官が事情聴取を行った。仁が朝家を出て夕方帰宅すると妻は和釘を刺されて死んでいたと言うのだ。だが、警察の調べではその日この家に来た者はなく、戸締りもしっかりしていて何者かが出入りした形跡は無かった。その上、凶器となった問題の和釘だが、先日仁が壁に取り付けただけで誰も触った形跡がなく釘には彼の指紋しか残っていなかった。こうなるとその状況から、どう考えても仁は妻を殺した[殺人犯]として容疑者扱いされることになる。


 取り調べの中できつく問い詰められたのはその日の行動だった。負い目がある仁はなかなか言い出せずにいたが、とうとう最後は白状した。 だが、それが逆に功を奏したのだ。あの日の妻の死亡推定時刻には、仁は不倫相手とラブホテルに居たことがわかったのである。ホテルの防犯用のカメラに二人が入る姿がしっかりと映っていたのだ。


 このため捜査は振出しに戻った。そして仁は証拠不十分となり一時的に釈放されることになったのだが、そのまま仁を無罪放免と言う訳にはいかない。仁とその周辺は常に刑事が張り込んでいるわけだ。


 仁は家に入り暗がりに灯りも付けずリビングの椅子に座ってうなだれていた。


「何でだ、一体何があったんだ? 美代子、美代子・・・」


「フフフフフ・・・・・」


 どこからともなく女の声がする。そしてついに仁の前に芳乃が姿を現した。




「あ、ふぅふぅふぅ、・・・あ、・・  な、何だ? お前は何なんだ??」


「フフフフフ・・・ 仁吉さん、随分とお久しぶりだねぇ~~。 あたしは吉原遊郭の遊女[芳乃]だよ!」


「何なんだ、何言ってるんだ???」


「あんたは忘れてもあたしは忘れないよ。あんたは前世であたしの馴染みの客だったのさ」


「前世?? 知るかそんなもん?」


「あんたは前世であたしにこう言ったのさ。[おめぇの年季が明けたら、女房と別れておめぇと一緒になろうと思っているんだ]ってねぇ。あたしら遊女にとっちゃ一縷の望み、夢のまた夢なのさ。それをあんたは、そんな気もないくせにいい加減なことを言ってあたしをもてあそんんだんだよ。くるわの中の戯言ざれごとで済むと思うのかい?」


 芳乃は仁に恨みの全てをぶちまけた。だが仁にしてみれば何の事やらさっぱり意味がわからない。


「知った事か、前世なんて何言ってるんだか意味わかんねえな。 何なんだ一体?」


「さあ、じゃそろそろ始末を付けようかねぇ~~。 フフフ」


そう言って芳乃は怯える仁に近づき ” フゥ~~ッ ” と息を吹きかけた。すると仁の身体から力が抜けて行き、意識ははっきりとしているが思うように身体が動かない。まるで催眠術にかかったような状態だ。


「さあ、支度は出来てるよ」


 芳乃がそう言って荒縄を仁に差し出す。 このリビングには天井に太いはりが通っている。これも夫婦で十分に吟味して買った古民家の古材である。仁は操られるままに差し出された荒縄を梁の中央にくくりつけた。そして座っていた椅子に立ち上がり荒縄に自分の首を掛けた。


「さあ、もういいよ。 一思いにおやり」


 そう言われた仁は立っていた椅子を蹴り飛ばした。


「う、うぇッ・・・。」



 仁はその場で息を引き取った。


「あ~~、やっと願いが叶った。これで仁吉はあたしのもの。これからあたしたちは夫婦めおとになって地獄の底で暮らすのさ。 フフフフ、アハハハハ~~~」




 それから二日が経った。


 一切の動きが無く仁が出入りすることも無い。何の変化も無い状況に不信を抱いた張り込みの刑事が、意を決して中に入った。玄関を開け中に入るといきなり目に飛び込んできたのは、梁からぶら下がった仁の死体であった。刑事は応援を呼び、現場はしばし大騒ぎとなった。


 後日、警察の発表では不倫をしていた夫が妻を殺して自分も首をつって自殺した、と言うことにされてしまっていた。警察も調べようがなく苦肉の発表だったが実際は迷宮入りになったようだった。そしてこの家は住宅ローンを組んだばかりだったので、銀行の所有となったのだが、銀行にとっては極めて迷惑な物件だ。骨董やアンティークを集めた気味の悪い家で入居早々に家主二人が死んだとなれば買い手など付かない。マスコミも大々的に報道したので周囲に知れ渡り、銀行の不良債権となってしまったのだ。



 皆さんは骨董やアンティーク物に興味はあるだろうか? 「いやいや、うちはそんなものに興味なんて誰も持ってないから関係無いし大丈夫だ」そう言って高を括っている諸氏も多いだろう。だが、何も骨董品や選んだ古材ばかりが問題ではないのだ。


 戸建て住宅などは建売よりも注文住宅の方が多いだろうと思う。[一生に一度の大きな買い物だから]などと考えて、作り付けの家具かぐ建具たてぐも特注にする人も多いと聞く。工場で量産される既製品は製造の都合上全く同じ材質のものが使われるので安心だが、特注の一品物となるとそうではない。こうした物を造るのは下請け、孫請けの小さな町工場だ。こうした所は良い材料など使えない。たまに工事現場で出た廃材の処理を押し付けられたりもする。町工場ではたまったものではない。 今の作り付けの家具や建具は芯材しんざいを組んでベニヤやメラミン材などの表面材を貼り付けたフラッシュ構造と呼ばれるものがほとんどだ。つまり、表面をきれいに貼ってしまえば中身は見えなくなってしまうのでわからない。このため下請け業者は押し付けられた廃材や古民家の古材などを挽いて細かく裂きフラッシュの芯材に使うのが常套手段じょうとうしゅだんである。もちろんこうした古材などは、御祓いなどするはずもなく使われているのだ。皆さんの家庭にも怨念のこもった古材の一部が紛れ込んでいるかもしれない。





「太さん、言った通りになったでしょ。とんでもない事件になるって。近づかなくて良かったわね」


「あぁ、ママの言った通りだ。 でも、悲しい話だね。何が悪いのかこんがらがってわからなくなったよ」


「ええ、悲しい話よね。世の中には理不尽で割り切れない事がいっぱいあるのよ」


「全くだ!! 理不尽だよなぁ~~、世の中って」


「だから太さんは、安易に骨董やアンティークだとか古材なんかに手を出しちゃだめよ」


「もちろんさ、そんなもの興味ないし価値なんてちんぷんかんぷんだよ。そんな金があったら新車を買うよ。」


「そうね!」


「でも俺貧乏だから、また中古車かな? 今のもボロボロだし車検も近いしね」


「中古車だって同じよ。よく見ないと色々憑いてるわよ」


「え~~、ママ脅かすなよ。なら買いに行くとき一緒に見に行ってくれよ!」


「いいわよ、でも高いわよ~~~(笑)」


「え~~金とるの?」


「冗談よ、でもドライブくらいは連れてって欲しいわね」


「それならお安い御用だ、ドライブはどこがいい?」


「そうねぇ、九州とかいいな。夏なら北海道もいいわね」


「え~~~、ドライブには遠すぎるよ!」


「でもどうせなら私、ハワイがいい!!」


「もうドライブじゃねぇじゃん!」


「アハハハハ~~~」




      黒い曼殊沙華  第二話   古材(ふるざい) 


                    終わり

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黒い曼殊沙華 高草木 辰也(たかくさき たつや) @crinum

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