翅
@ns_ky_20151225
翅
「あれ、ほんとかな」
「知ってる、血がなかったってやつでしょ」
「ちゃんとした記事とかないんだけど」
「みんな口止めされてんだって、医者とかも」
彼女はそんな無責任なうわさ話に興じる男女から離れて座っている。いつの間にかクラスでそういう位置についてしまった。群れないけれどそこにいるのは放っておいてくれる。それに黙って一人でいてもスマートフォンがあるのでなんでもない。
ふと思いついて彼らが言っているうわさを検索してみた。出てきた結果を流し読みしていると、事件の流れも自然と目に入ってきた。ついでに成り行きを思い返しながら読む。
三か月前、隣町の高校生が夕方遅く一人で下校中何者かに襲われて死んだ。凶器は刃物と推定された。犯人はまだ見つかっていない。動機は不明。目撃者はなく、手がかりもない。
一時は日が落ちてから出歩く者はなくなった。小学校はすべて集団での登下校、中高はクラブ活動等を取りやめ、時間をそろえて一斉下校とした。また登下校の時間帯を中心に有志による見守りも行われた。
その後、自治体の緊急対応による監視カメラの設置が完了したことや、人手不足、対外試合や大学受験の都合もあって集団登下校は終了となった。不安の声はあったけれど仕方がない。ずっとみんなでそろって帰るわけにもいかない。こんな田舎町では見守りもいつまでも続くものではない。農作業などもあり、こちらもすべて警察に任せて終了した。ただ、警察官の数は足りておらず、すべての通学路の見守りは行えないため、巡回のみとなった。
凶行が連続するのではと皆震えたが、悪い想像は実現せず、今のところ二件目は発生していない。それもあり、登下校がいつも通りになったせいか気が緩みかけたころ、妙なうわさがひろまった。検死を行った担当医からのリークとのことだったが、本人含め関係者はみな否定している。
それが今さえずられている話だった。遺体に血がほとんど残っていなかった。または臓器が一部欠損していた。あるいはその両方。
「あんたどう思う? いっつもスマホ見てるけど、なんか新しいことない?」
中の一人が彼女の方を向いて言った。
「なんにも。警察も病院も否定以外はだんまり。でもさ、その担当医、ほかの病院に移るんだって」
彼女は話を合わせた。本当はそんな無責任なうわさ話などに加わりたくはなかったのだが、他人から距離を置いて静かに過ごすためにはあえて話をしなければならない時もある。にこにこと、愛想よく。
「え、ほんと? 洩らしたから?」
「さあ、でももう火葬しちゃったし、証拠はないけどね」
早速食いついてきた。興味本位の話の種にするのは亡くなった被害者や遺族には申し訳ないが、自分自身の平穏には代えられない。あんな風に話しかけられた時にむやみに正論を言ってもなんにもならない。相手が話を広げられるように種をまくだけにする。それが彼女が自分で開発した話のコツだった。
「だよねー、あたしも燃やすの早すぎるって思ってたんだ。こんな事件なのに」
燃やすって……。心の中で軽蔑しながら表情には出さない。
別の女子が言う。
「怖いよ。カメラあっても集団下校したいな。だってあれは見てるだけだし」
その言葉に男子が同意する。もう笑っていない。
「だよな。犯人分かって捕まっても被害者が自分なら意味ないよな」
「それに、カメラが見てても、血を抜くようなことする奴は止めようって思わないんじゃない?」
「うわ、なんかやだ。ねえ、一緒に帰ろう。さっき話したあの店」
「寄る?」
「うん。新メニュー試したい」
「あたしはあんたの食欲のほうが怖い」
彼女は言葉のピンポンが始まったのでまたスマホの画面に戻った。それでもカメラについて言われたことにはなるほどなと感心した。たしかに監視カメラの犯罪抑止効果は見られてるから止めようって思う者にしか効かない。あんな切り刻み方をする奴がカメラの存在程度で止めるだろうか。
そのカメラは最新型で高精細。電柱など高いところに取り付けられているが、証拠として使えるほどはっきりと人の顔を写せる。動画もコマが跳んだようなぎこちなさはなく滑らかだった。映像は何とかいう人権に関連した法律に基づき、河川監視カメラのようにネットで公開されている。
そのライブの動画を見ようとしたら、データ通信量の注意が出た。
画質を落としていくつか見てみる。隣町の学校の通学路にはもう下校の列ができていた。発生地区だけに、自主的な集団下校を続けている。
彼女は少しためらってから、事件のあった道のカメラに切り替えた。
誰もいないなと思った時、急に映像が黒くなった。何かがカメラの前にある。画面全部ではなく、一部が透けて明るいが、ふちがぼやけて向こう側がわからない。別のカメラに切り替えるとちゃんと見えているが、戻すと黒くなった。スマホのせいではない。
通信量の注意を閉じ、映像を一時的に高精細にしてみる。ふさいでいるものの形はそれでもわからなかったが、ぼやけているふちの部分に筋のようなものが見えた。虫の翅だろうか。レンズに止まっており、細かく動いている。
ふざけて画面をとんとんとつつく。窓の向こう側に止まった虫を追い払うようなつもりだった。
動きが止まった。画面が明るくなる。また道の様子が見えてきたが、その一瞬、彼女は息をのんだ。
飛び去って行く虫が振り返った。カメラのレンズの奥のこっちを睨みつける。
気のせい。そう思った。人の顔をした虫なんかいるはずない。
彼女の学校は普段通りに戻っていた。自主的な集団下校もしない。帰りはみんなばらばらで、一人だったり友達同士だったり、クラブで遅くなる場合はだれかが迎えに来たりしていた。
彼女自身は一人で帰っている。とは言っても通学路は登下校の時間に人目がなくなるほどではない。田畑のほうが多いが、声を上げて誰かの家に届かないほどでもない。
だから事件は他人事だった。隣町はさびれすぎていたのだ。あれ以来、カメラ設置以外にも、放っておかれた故障中の街灯はすべて直され、数も増やされた。
彼女の頭をあの虫の姿がよぎった。今ならまだ明るいし。そう思った。
「ねえ、一緒に帰る?」
あの女子が誘う。彼女は一瞬考えて断った。
「ありがと。でも寄るところあるから」
「じゃ、ばいばーい」
日は傾いているが、まだ明るい。彼女は自分の通学路をそれ、隣町のほうに向かった。歩きながら時々あの監視カメラの画像を見るが、もう黒い影はなかった。
なぜだろう。あの虫、いや、あの顔が気になる。一瞬だったから錯覚かもしれない。今そこに行ったっているはずはないだろうが、それでも現場に行ってみたい。
彼女は自分でもよくわからない思いに突き動かされていた。予想より早く日が沈んでいるのにも気づかなかった。無視したのかもしれない。
そこに着いた頃、日は地平線にあった。光が水平に走ってきてかえって明るく感じられた。廃屋の塀が赤い。
あの監視カメラが設置された電柱はすぐ見つかった。枯れたつる草が巻き付いている。カメラはこっちを向いている。スマホを見ると自分が映っていた。彼女は手を振ってみた。このカメラの向こうには人がいるのだろうか。それとも記録されているだけだろうか。
映像が黒くなった。
見上げたが、監視カメラのレンズ部になにかがついている様子はなかった。もう暗いが、あのレンズの大半を覆うようなものが見えないはずはない。
でも、スマホ画面の映像は闇。何も見えなくなっている。
もう一度見上げ、また目を落とす。自分が映っていた。
その後ろに虫がいた。翅がふわり。覆いかぶさるように。
振り向くと、目。夕日、いや、血の色。
了
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