38.されど日々は続く

耐水性のシートを敷き詰めた箱の中、触手の下半身をちょこんと納めるテンタクルのなんと冷めたことか。

気だるげに髪の一房を指に絡めて暇潰しをする様が、無関心さを演出している。


「言い争ってる暇があったら、手を動かしなさいな。

仕事中でしょ」

「おっしゃる通りで」


今日も触手姫の言葉の切れ味は抜群である。

破壊した区画を修理する業者の手伝いを任命されたマッピーは、ぐうの音も出ず同意するしかなかった。


玄関には賽の目状に刻まれた瓦礫を拾い集めた押し車が置かれたままだ。

マッピーがミミック達の仮住居を訪ねたのは、単に彼らの様子が気になったからである。


「ところで、あの時言ってたぼくらを外に出してくれるってお願いはまだ上司の人にしてないの?」

「あんだけ怒られた直後でできるわけないでしょうがバカ。

ミミックの同伴でテンタクルが部屋の外に出ても文句言われないようになっただけありがたいと思えバカ」

「バカじゃないもん……」


ミミックとテンタクルの上には、相変わらず分厚い天井がある。

仮住宅とはいえ魔族を収容する施設の頑強さに抜かりはない。


ただ、魔王のごとき覇気を放っていた主任が落ち着いたタイミングを見計らい、かろうじてテンタクルの室外への外出要請は通った。

一つ、ミミックかマッピーを同行につけること。

一つ、粘液が付着するなどなにか異常が起こればすぐに各エリアに備わっているマイクに向けて報告すること。

その他諸々の条件付きで、事前に知らせずとも室外へ出られるようになったのだ。

元よりテンタクルが部屋から出てはいけないという規則はなく、骨を折ったのは粘液の毒性を危惧していた3-A区画担当者への説得くらいなものだったが。

……正確に言えばほとんど説得用の言葉を考えたのはメカクレ先輩なのだが、マッピーには事実をわざわざ告げる気はさらさらなかった。


十割マッピーのおかげと思わされているミミックは、おかげでバカと連呼されてもむっつりと口をつぐむしかなかった。


「そういえばテンタクル、聞きたかったんですけどね」

「なにかしら」

「どうしてあの時、私を指名したんですか?」


ミミックの脱走を公にしたくないにしろ、こっそりと告げた相手をマッピーにした理由だ。

誰が聞いているとも知れないのでマッピーは言葉を濁す。

聞かれても問題はないかもしれないが。

報告した時爆笑したという所長の噂を思い出して、確実にバレてるよなと冷や汗が落ちた。


ああ、とテンタクルが口元に指先を当てて、蠱惑的な笑みを浮かべる。


「前の浄化作業で下水道の場所を知っていただろうから、ミミックを追いかけられると思ったのと……あとはそうね、あなたバカでしょう?」

「はいそうですねって言うと思います?」


突然の悪口に今度はマッピーがむっつりと押し黙る。

わがまま触手姫に聞くんじゃなかったと若干後悔し始めた頃、テンタクルの視線がわずかに上を向く。

巨躯のミミックに背負われた状態で、視界には何枚も貼られた天井のパネルしか見えていないことだろう。


その姿勢は、あの日の夜の彼女に酷似していた。

壁どころか建物そのものが切れてしまい、天井とてひとたまりもなく吹き飛んだ夜。

ミミックが目を奪われたのと同じ夜空を目の当たりにし、床に座り込んだままぱかりと口を開けて外の景色に夢中になっていた。

もたれる壁のない心細い空間を、暗闇にて無数に浮かぶ白い光を、サーチライトの一振でかき消えたその儚さを、吹き抜けた風の冷たさを。


「多少仲良くなったところであなたは壊れないだろうと思ったのよ、おバカさん」


たった一夜だったがその光景を作り出したバカな人間に向かって、テンタクルは目元を緩めて笑った。

ころころと、鈴を鳴らすような笑い声は年相応の少女にふさわしい、かわいらしいものであった。




『人間と魔物が仲良くできる世界へ』。

どす黒い本音を隠す建前か、所長が願う真の想いか。

そんなスローガンを掲げる交流会館 文化研究所の一日は、今日も幕を開ける。




《おわり》




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