28.ただの喧嘩というには
『おねがい、他の職員にばれてしまう前にミミックを連れ戻して!』
タイムリミットは、次にカメラが起動してミミックの不在が公になるまで。
文句を言うためだけに呼びつけたと聞いていた触手姫の表情は、昼に示したつんけんとした態度とはかけ離れていた。
乱れた髪も気にかけず、大きな声で新入りの自分に頼みこむ様子を冗談や嘘の類いには思えず、了承したはいいものの。
「……致命的な人選ミスなんだよなぁ」
虫の鳴かぬ中途半端な季節だった。
無音の景色でぼやく声の調子とは裏腹に、握る剣の刃は鋭い。
マッピーがスカウトされた理由は、様々な状態異常に強く仕事がしやすいというものだけではない。
軍で訓練を積んでいるため、戦闘能力が高いということにある。
そもそも魔族との戦闘を想定して雇われているマッピーに、おそらく無傷でなんとか連れ戻してほしいと願っただろうテンタクルの要求は見当違いもいいところだ。
3-A区画の外側、白い壁を背にマッピーは立つ。
壁そのものは劣化を防ぐべく手入れされて綺麗に保たれているものの、地面には放置されて生えたと思われる色んな形の雑草が生えていた。
短いものばかりなのは、先日の浄化作業で大人数が歩き回ったからだ。
剣を握り、目を眇め、マッピーは口の中で悪態をつく。
私がなにをしたって言うんだ。
答えは自分の中ですぐに思い当たる。
なにもしなかったからこうなっているのだ。
スカウト当時、『収容違反を起こした魔族代表達と戦うことがあるかもしれない』と言われた時に、『かまわない』と返したのはマッピー自身だ。
軍では敵と戦う時のために訓練を積んでいた。
その敵とは、人間であったり魔族であったり、こちらと会話さえ通用しないおぞましい思考を持つ化け物だと思っていたのはマッピーだ。
食い縛った歯が砕けそうだ。
壁に等間隔で備え付けられた灯りの仄かな琥珀色が、数メートル離れたところでこちらを睨み付ける敵を浮かび上がらせる。
表情はほとんど分からないが、少しの怯えと、それ以上に漲らせた敵意がうかがえた。
そうだ。
目の前に対峙する、輪郭そのものをぼやかして、纏う布以外は全身影みたいな不思議な素材でできた、見るからに人間ではない魔族が。
今日言葉を交わし、どこか夢みがちで抜けていて、苛つくものの憎めない性格であると知っているミミックが。
外の景色を見てみたいという、共感さえできる願いを持つ彼が、敵となった時にどう感じるか、考えなかったマッピーのせいだ。
もっとちゃんと考えておけばよかったと後悔しても遅い。
ただ、一縷の望みはあった。
事情を聞いたマッピーが下水管を辿って捜索を開始しようとした時、ミミックの方からこちらに歩いてきていたのだ。
わざわざ3-A区画に帰ってきたということは、戻る意思があるということでは。
職員らしく、マッピーは注意喚起をするべく腹から声を出す。
「ミミック族代表! 貴方の収容違反は」
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