11.触手姫は取り扱い厳重注意
「あなたはバカなのね」
皮肉すら効かせない、直球の罵倒。
ストッパーをかけて固定した台車の持ち手が、みしりと音を立てた。
「……考える努力はしてますよ」
「それならなおさら救いようがないわ。
面倒くさいから努力だのあれこれと言い訳して、考えないようにしてるだけでしょ」
艶を帯びた肉厚の唇から、気だるげなため息が漏れる。
罵倒とため息の主は、上半身だけ見れば魅力的な美貌の女性であるものだから言葉のトゲもより鋭く感じてしまう。
今回の掃除場所であるテンタクルの自室前にて、マッピーはうぐうと呻き声を上げた。
毒を分泌するテンタクルの部屋は、特に慎重に清掃が行われる。
分厚いマニュアルの三分の一は、テンタクルを含めた毒を持つ魔族のためにページが割かれているほどだ。
数ページにわたる小難しい内容をざっくりと説明すれば、丸ごと消毒ができるようにテンタクルには二つ部屋が用意されている。
荷物とテンタクル本体は別の部屋へ引っ越し、無人になった前の部屋を職員が心置きなく清掃する、という手筈だ。
「掃除の順番くらい考えなさいな」
「おっしゃるとおりでゴザイマス」
既に開け放たれた扉の外枠にもたれ掛かり、小さな移動用鞄に荷物を詰めたテンタクルが、冷めた視線を廊下に投げかける。
覗き込んだ顔が写るほどに磨きあげられたそれは、これから移動するテンタクルの粘液に汚されるだろうことは容易に予測が可能で。
要するに、完全なる二度手間であった。
「テンタクルはある程度粘液放出の調整ができましたよね!」
「だからなに?」
廊下の掃除は楽しんで行ったが、さりとて自発的にもう一度やりたいかと言われればそれはまた別の話。
仕事を増やしたくないと一縷の望みを掛けて問いかければ、返ってきたのはばっさりとした拒絶であった。
「人間の要望でここに来てあげているのに、これ以上わたしを煩わせるつもり?」
マッピーは新米なので、ここに暮らす魔族達の素性を知らない。
しかし、部屋の入り口で座り込むテンタクルの眼差しはどうだ。
長い睫毛に彩られ、宝石のようだと比喩するのはその美しさと、無機質さ。
目の前の存在は会話のできる虫か、あと少しすれば飽きるだろう玩具かなにかと認識しているとしか思えない。
上目遣いの瞳はこちらを見上げているのに、頭が高いのはこちらの方なのでは、と錯覚すら覚えてしまう。
「……もう一度お掃除させていただきます」
「そうなさいな」
お前の作業量など知ったことではない、と語る眼に根負けし、マッピーはがっくりと肩を落とした。
刺繍の施された袖口が、部屋の前に隣接された台車に触れる。
ずるりと這いずる音と共に、テンタクルの身体が台車の上に乗りあがる。
「あっちょ、せめて私が抱えるからっ」
「触る相手は選びたいの」
スカートの中で蠢く肉色から、ぼたぼたと遠慮なく落ちる毒入りの粘液が、あっという間に廊下へと染みを作る。
なんなら先ほど見た分泌量より増やされている気すらした。
わがまま触手姫。
顔をしかめるマッピーの脳内で一つのあだ名が思い浮かんだ。
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